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演劇教育フォーラムへ行ってきたお話

演劇教育フォーラムへ。
「親の顔が見たい」でお世話になったまんぼさんとたけちゃんが会場にいるというのと、
会場が小平で、以前住んでいたエリアだったということと、
先日、アゴラ劇場に立たせてもらって、
平田オリザさんに勝手な親近感を抱いていたからという理由。

もちろん演劇教育ということに興味がないわけではなかったけれど、
演劇的な手法を軸に地域の子どもたちや様々な国にルーツを持つ人たちとの交流やその変化について、
スライドでの写真や動画を観ているうちに胸がいっぱいになってしまった。
ていうか泣いた。

学校であったことを車座でみんなで話をしたり、とびっきりの笑顔で身体を動かしていたり、子どもたちがファリシテーターの大人に元気よく飛びついていたり。

あぁ!君たち、生きてるねっ!

って声をかけたくなるくらい画面の向こうの子供達の笑顔が眩しくて美しい。

と、同時に、なんで自分がこんなに演劇が大好きだったかを思い出すことができた気がして、
公演終わったばかりの抜け殻の心がエンパワーされたのを感じた。

わたしは演劇を始めるまで、
いわゆる優等生で、
親や社会が良しとすることしかやってこなかった。

勉強ができること
偏差値の高い大学に入ること
安定した会社に入ること

とにかくお勉強ができることが、
自分の価値で、そこから外れることが、
ものすごく怖かった。

本当は子供の頃から歌うことや演じることが大好きで、
演劇科のある大学に進学したいと親に伝えたら、
もっと偏差値高い大学に行きなさいと言われて、わたしも偏差値高い=自分の価値
だったから、抵抗できずに親が望む通りの大学に進学した。

でも、そこで人間関係のつまづきや、
勉強への興味を失ってしまったことから、
心を病んでしまって、
大学4年間と卒業後の1年間をほとんど引きこもって過ごすことになった。

鬱が一番酷かったとき、
ああ、もうダメだ。死のうと思って、
飛び降りようとしたら、
はっきりと自分の中から、
「女優になるまで死ねないんですけど!!」
という声がした。
その時にやりたかったことをやらないまま死ぬのはやめようと思えて、
今も無事生きてる。

そんな状況の中、
演劇研修所に奇跡的に入所して、
さまざまなエクササイズやメソッドを通して、感じた最初の衝撃は、

「どう思われたいかが先行して、
どう思いたいかを失くしてしまっていた。」

ということ。
親がどう思うか
周りがどう思うか
何が常識か
どう振舞えば他人の機嫌を損ねずにすむのか
そんなことばかり考えて生きてきた自分に気付いて愕然としてしまった。

つまりわたしは自分を本当の意味で生きていなかったのだ。

演技がうまくなりたい!
という想いはそのまま、
自分を取り戻したい!
ということだったんだと思うし、

自分は誰なのか?
どこから来たのか?
どこへ向かっているのか?
人生の目的は何か?

という形而上学的な問いを、
演劇を通して自分自身にしてきたんだと思う。


研修所を修了して12年目。
研修期間も含めたら15年。
わたしはようやく
自分の五感を使って感じて、
自分のマインドをもって行動することができるようになった。

その豊かさよ!

それを感じていたからこそ、
いらっしゃっていた小金井市の市長や、
小金井市の教育長、
フォーラムに参加していた議員さんや、
学校関係者の方々が、これからの学校教育で必要になってくるのは、

自分で感じ、思考し、行動する。なのだ!

ということに信念を持って活動されていることに救われた気持ちになった。

いい子でいなくちゃいけない。
いい点数を取らなくてはいけない。
と抑圧されて苦しかった自分の子供時代の声に、ようやく社会が耳を傾けはじめてくれたんだ。という希望があった。

特にグッと来たのが、
お芝居を作ってみよう、
という中学生対象の授業で、
実際クラスの中にいた、
寝ている子、遅刻してきた子、うまく発言できない子をお芝居の中に登場させたら、
そのお芝居は、
とても豊かで面白いものになった、
というエピソード。

つまり演劇は、社会において「ダメ」とされている人たちにも居場所をつくる。

これは、社会生活をする上で、
人の話を聞かないことや、
遅刻してきたり、はっきり意見を言わないことを肯定するわけではない。

そうではなくて、人間の存在そのものが肯定されてよいのだ、
ということを演劇を通して子供達に伝えることができるよ、ということ。

わたしたちはわたしたちそのものに価値があって素晴らしいんだよ

これをわたしも子供時代に知りたかった。

わたしの学校時代を思うと、
今、不登校の子どもたちって感覚正しいんじゃない?と思ってしまっていた。
だって、先生や社会が子供達をコントロールして、自分たちの都合の良いようにしてるだけだったじゃん、と思うから。

わざわざ奴隷になりに学校なんて行かなくていいだろうとまで思っていた。

でも、こんな風に、演劇というツールから学んで学校教育が変わろうとしているのなら、
そこには未来の希望がある。

演劇ばっかりやってると、
社会から遮断されているように感じたり、
むしろ社会を憎んで自ら遮断しているような感覚に陥るときがある。

でも、このフォーラムに参加して、
演劇がどう社会と混じり合って、よい影響をもたらすことができるのか、
についてとても良い事例を見せていただいた。

参加出来て良かった!
まんぼさん、たけちゃん、ありがとう!



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