2020/10/24 お墓参り

 昨年亡くなった、友人のお母さんの月命日。
 友人(以下、脳ちゃんといいます。)に誘われて、お墓参りに同行することになりました。なぜか親類以外のお墓参りに誘われることがたまにありますが、毎回不思議な気持ちです。

 お墓が開く時間に合わせて、朝の日暮里駅から歩いて向かいました。ふだんは人通りの多い谷中銀座も、まだのろのろと支度中といった雰囲気。朝からやっているコーヒー屋さんからコーヒーの香りがして、つい寄り道しそうになりますが、グッと堪えて歩きます。

 途中にあった、おばあさん2人が店番をする小さなお花屋さんでお花を調達します。
 できあいの花束はボリュームが足りなかったので、紫色のトルコキキョウと、名前のわからない黄色い花を買い足しました。
 お花屋さんに黄色い花の名前を尋ねると、「オンシジュウムっていうのよ。女の子がドレスを着て踊ってるみたいでしょ?」と教えてくれました。どう見てもそう見えなくてポカンとしていると、みるみるうちに束ね直されてきれいになった花束が手渡されました。
 お会計のとき、どこへ持っていく花かと尋ねられたので、お墓参りに行くのだと伝えると、「あら、きょうだい二人でえらいわね」と。
 わたしと脳ちゃんは、たまに姉妹に間違われることがあります。見た目は真逆に近い二人なので、どの部分から我々を姉妹だと思ったのか知りたいのですが、毎回聞きそびれてしまいます。どっちが姉でどっちが妹に見えたのかも気になる。次のチャンスには忘れず聞いてみないと。
 それにしても「きょうだい二人でえらいわね」って。二人とも今年30歳です。

 天気の良い朝のお墓は、さっぱりと気持ちがよく、二人で和やかにお花を供えました。脳ちゃんが前回供えたお花がまだ新しく、彼女がここに頻繁に足を運んでいるのだと思うと、少し胸が痛みました。
 その場にしゃがんで、少しだけ脳ちゃんのお母さんの思い出話をしました。脳ちゃんのお父さんとのなれそめや、旅行が好きだったこと、亡くなる直前は、お医者さんに内緒でビールを飲んでいたこと。
 お母さんが亡くなり、ご遺体がおうちに帰ってきた翌日、それまでずっと癌を患い弱りながらも耐えていた飼い犬(ふたばちゃんといいます。)も亡くなったのですが、スピリチュアルな話があまり得意ではないわたしも彼女も、動物って、こういう「待っててくれたの?」みたいなエピソードがよくあるよねとしみじみ話しました。
 脳ちゃんのお母さんのお墓と同じ敷地内に、ペット用の供養塔もあり、そこにふたばちゃんも眠っているので、そっちにもお花を置いてきました。

 脳ちゃんは、お母さんが末期癌の宣告を受けた直後こそ、かなり取り乱して不安定な様子でしたが、お母さんが亡くなる直前直後は毅然としており、本当に立派でした。その時のことを、えらかったよね、と言うと、やはり未だに悲しくなってこっそり泣くことはあると、彼女は少し恥ずかしそうに言いました。脳ちゃんが前回供えたお花と、今回持ってきたお花で、假屋崎省吾の生け花かな?みたいににぎやかになった花立が少し可笑しくて切なかったです。
 残された人はいつか、亡くなった人への思いに折り合いをつけて、また自分の生活を始めなければなりません。亡くなった人の記憶を捨てることはありませんが、ちゃんと片付けて、また自分の生活に戻らなければいけないというか。

 自分の母親が亡くなったときのことを想像しようとすると、想像がつかないのか、想像したくないのか、その両方なのか、あまり深いところまで思い至れないのですが、とにかく、その人にやさしくできるのは、相手が生きている間だけだってことだけ、忘れちゃいけないなって感じです。

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