踏み外すときは大体やさしさにもたれかかってしまったときだ
2020/04/28 マイミューズ
18:00。早々にタイムカードの打刻を済ませ、あわてて家を出た。家のすぐ近くのコンビニの青年誌売り場へ脇目も振らずに向かう。
今日発売のヤングチャンピオンは、表紙が篠崎愛で、袋とじグラビアに、おまけのクリアファイルまでついているらしい。
はやる気持ちを抑えて雑誌の棚を丹念に探すが、篠崎愛が表紙のヤングチャンピオンはもうなかった。
根元が黒くなった金髪がだらしない店員さんに、「雑誌はそこに出てるので全部なんで」と冷たくあしらわれて悲しい。
すべての腹いせにお菓子とモンスターエナジーを買ってやったが、カロリーを気にして、よくわからないオーガニックみたいなお菓子と、カロリーゼロの青いモンスターエナジーを選んでしまった。
あの金髪の店員さんなら、カロリーのあるモンスターエナジーを飲むと思う。わたしの負けだ…。
篠崎愛が好き。
もともとグラビアは好きだけれど、高校1年の頃、篠崎愛を初めて目にしたときの、「こういうのを待ってた」感はすごかった。
当時愛読していた漫画「いちご100%」の登場人物を具現化したみたいな容姿が気に入ったし、そもそもベビーフェイスと成熟した体つきのアンバランスさが良い。
ギャップ萌えっていう概念があるけれど、あれはやっぱり魅力的だなと思う。
わたしが好んで観ているAVが女性優位の作品ばかりなのも、結局体の仕組みとして受け身になる結末が約束されている女性側が、精神的には主導権を握っているというちぐはぐさ、ギャップに魅力を感じているからだと思う。
2020/04/29 篠崎愛とぶつかり稽古
3月のおわりに、通勤定期を半年分購入していたが、払い戻すよう会社から指示があった。
緊急事態宣言以降、こういう細々した対応はたくさんあるけれど、そのものには特に何も感じないというか、仕方のないことは仕方がないから仕方がないのだけれど、またひとつ元通りになった世界が遠のくような感じもあり、少し悲しくなってしまった。
定期券の払い戻しのための外出、と自分に理由を与えてあげて、おめかしして外に出る。天気が良く、肌から日光を吸い込むような感覚になる。
もういつだったか忘れてしまったけど、2月か3月に、暖かくなったら履こうと思って買った透かし編みニットのスカートを履いた。自分の足取りに合わせて揺れるスカートの裾を見て、何がどうしてかはわからないけど「大丈夫」とだけ思った。
[透かし編みニットスカート]
少し散歩してみたけれど、なんとなく落ち着かず、後ろめたさを無視できなくなってきたので、何もない、誰もいないところでひとつ深呼吸をして帰路につく。
帰りに、ああそうだヤングチャンピオンと思い書店に寄ると、目当ての品はまだいくつも残っていた。
家の近くのコンビニは、昨日早々に売り切れていたけれど、わたしの家の近辺ってもしかして篠崎愛のファンが多いのか・・・?
[マイミューズ篠崎愛]
夜、篠崎愛のグラビアを見つつツイキャスをした。
袋とじを開けると、学生時代バイトしていたコンビニのことを連動して思い出す。
わたしがやる袋とじの開け方は、バイト先で仲が良かった男の先輩から教わったもので、彼とはグラビアの話をよくした。
その先輩はわたしが辞めたあと、紆余曲折あって警察に捕まってしまった。だらしなくてバカだったけど、周りから愛されている人だったし、わたしも彼を好きな一人だった。今ごろ、元気にしているだろうか。
篠崎愛と何か一つ思い出を作れるとしたら、ぶつかり稽古がしたい。
篠崎愛にはもちろんわたし好みの水着を着てきてほしいけれど、お願いばかりでは気が引けるので、わたしも水着を辞さない覚悟。
容易に想像がつく。わたしと篠崎愛の身体が当たった瞬間の「ペチンッ」て音や、その場の半笑いみたいな空気。
エロい気持ちは一切なしで、なぜかぶつかり稽古がしたいと思っている。
2020/04/30 かわいいことが大事
今日もお天気は100点。ガバガバの半袖Tシャツと、ランニングパンツといった軽装で仕事をする。
朝コンビニに行ったとき、クレヨンしんちゃんのおもちゃを見つけて買ってしまった。しんちゃんの愛犬シロのお人形。何が良いのか説明できないけれど、一目で気に入ってにすぐに握りしめた。
[シロ…]
いつもこういう直感で物を選んだり買ったりするので、その理由を問われて、うまく答えられず困ってしまうことがよくある。
大体「かわいいから」とだけ言えれば、わたしの中で理由としては十分で、逆に、かわいくはないが実用的、みたいなものには興味が持てないことも多い。
この、実用性よりかわいさを重視してしまうことで、本当はもっと便利になるはずの道を捨てたりしているのかもしれないけれど、それはそれでまあいいかなと思う。だってかわいいのだから。
ここのところの騒ぎで、ライブハウスやイベントスペースといった場所が、静かに閉店していっているのは、音楽なり演劇なり、その時々いろんな現場に足を運ぶのが好きだったわたしにとってもつらいことのひとつだ。
ふと、自分が高校生のころに通っていた、CD屋さん兼イベントスペースのことを思い出し、ドキドキしながら検索してみる。なんとなく息を止めてしまう。
ホームページもツイッターも元気に動いていた。安堵。
この状況で、店主が苦しくないはずはないので、無責任に頑張れ頑張れとも言えないのだけれど、大丈夫なら持ち堪えてくれるといいなと思う。
自分のことだってそこそこ手一杯なはずなのに、知り合いでもない人の心配なんてしてみたところできりがないし、何もしてあげられないつらさが上乗せされるだけなんだけど、ついやってしまう。
感情移入が好きなだけで、これを表現したいという気持ちがなかったのだけ救いだなと思う。と、ここには書いちゃった。
心を痛めることと、それを表現することの狭間でどろどろと眠る。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?