あきらめの気持ちで開く折り畳み傘の軽さは何を救った?

2020/05/22 どうなりたいの

 夜、残って仕事をしていたのは、わたしと経理のおじさんの二人だけで、二人とも最後の一人になりたくなくて、「まだ帰らないですよね?」「そっちは?もう終わりそう?」と、お互いに相手の様子をうかがいながら、じりじりと仕事をしていた。
 経理のおじさんは、わたしより15分ほど早く仕事を終えていたようだけれど、事務所をうろうろしたり、デスク回りを整理するふりをして、結局わたしが終わるまで待っていてくれた。

 二人で事務所の入っているビルを出ると、肌にそのまましみ込んでくるような、細かな小雨が降っていた。

 「雨かよ~、おれ今日自転車で来たんだよな~」。
 彼の視線の先には、明らかに駐輪禁止のエリアで、小雨に濡れながら彼の迎えを待つ小さな自転車があった。
 経理のおじさんは動物でいうと熊みたいな感じの人で、体が縦にも横にも大きい。彼があの華奢な自転車に乗る姿を想像すると、サーカスの演目みたいでちょっと笑えた。

 家まで自転車で1時間の彼は、雨が止むのを待ってから帰ると言って、今いっしょに出てきたビルへ再び帰っていった。

 わたしは小雨の中、すこしだけ散歩した。
 使い道に困った縦長の空き地にベンチを置いただけみたいな公園で、傘もささずにしんみり缶ビールを飲んでいる若い男の子二人組がいた。二人ともサチモスみたいな格好をしてた。
 わたしがその前を通過するとき、彼らのすぐ背後には自転車に乗ったお巡りさんが迫っていたけれど、あのあと怒られたりしたんだろうか。

 あんなに貴重だったマスクが、駅の中の薬局で山積みにされて売られていた。東京の新規感染者数も少ない数字で横ばいになり、なんとなく、一つの終わりが見え始めているけれど、気持ちはあんまり晴れないままだ。
 たぶんもう、まったく元通りの生活には戻れないっていう未練みたいなものが大きいんだと思う。
 わたしの望む元通りとか、今の状況の本当のゴールとか、何か正解かわかんなくなっちゃった。



2020/05/23 バンクロフト糸状虫症

 不意に大学時代からの女友達と長電話をした。
 彼女は何の脈絡もなく、何年も前に二人で出かけた美術館や博物館の話を始めた。

 わたしは電話を切った後も、彼女と訪れた美術館や博物館のことを思い出していた。
 彼女とは本当に色んなところへ一緒に行ったけれど、一番印象に残っているのは、大学の頃に近代美術館で見たパウルクレー展だ。

 パウルクレー展は、展示されていた作品の量はもとより、とにかく情報量が多くて、見終えたときの疲労感ばかりが印象に残っている。
 季節は梅雨時で、ブラウスが肌に張り付いて気持ち悪かったことや、ねずみ色のどんよりした空の色も鮮明に思い出せる。
 しかも、よせばいいのにその日のわたしたちは、竹橋でパウルクレー展を見た後、目黒に移動して寄生虫館に行くというハードスケジュールを組んでいた。

 パウルクレーで体力を使い果たしたわたしたちは、這うようにして竹橋駅まで戻り、駅の中のお店でとんかつを食べた。
 今も昔も、わたしと彼女はとんかつばかり食べている。あの竹橋駅のお店、まだあるのかなあ。

 寄生虫館で見た中で一番きつかったのは、変な蚊に刺されて、バンクロフト糸状虫症(ショックすぎてよく覚えているのでスラスラ言える)になってしまった男性の睾丸の写真だった。

 地面に引きずるほど肥大した睾丸の写真は衝撃的で、友達と二人で手を取り合って震え上がった。
 ないはずの睾丸がむずむずした。

 時々声にならない声を上げながら、なんとか見学を終え、帰り際ミュージアムショップに寄ると、白衣姿の女性がレジに立っていた。
 おそらく研究員兼レジ係のお姉さんは、アイプチが盛大にバグっていて目元が大変なことになっていた。
 あのお姉さん、まさか自分のアイプチの仕上がりが、わたしの記憶にこんなに強く残ってるなんて思ってないだろうなあ。

 寄生虫館を出ると、自分たちがものすごく疲れていることに気づいて、わたしたちは近くのモスバーガーでメロンソーダを飲んだ。もちろんLサイズ。
 無果汁の甘い緑色の炭酸は、味がおいしいというより、疲労の核心部分にある固結びがほどけるみたいで気持ち良かった。

 彼女とも、もう2ヶ月ほど会っていない。
 次会う時は、寄生虫館で見た、肥大した睾丸の話、してみようかな。



2020/05/25 あたらしいせいかつ

 緊急事態宣言が解除になり、わたしも明日からまた毎日事務所へ出勤しての業務になる。

 今思えば、たったの2ヶ月ちょっとだったけれど、窮屈な生活の中でいろんなことが変わった。
 たくさんの物を捨てたし、なくてはならないと思ってしがみついていた習慣みたいなものが、生きていくのに必要のないものだって気づいたりもした。
 必要のないものをやめていくことは本来良いことだけど、必要ないってどこかでわかりながら、それを認めたくなくて、気づかないふりをして続けてきた部分もあるから、正しくなってしまう寂しさみたいなものはあった。

 この日記を書き始めて1ヶ月が経ったけれど、自分で書いていてよくわかったのは、わたしは寂しいとか悲しいって感情に関して、それなりに繊細な可能性があるということ。
 てっきり、わたしのメンタルってものすごく強靭か、あるいはものすごく鈍感かのどっちかだと思い込んでいたけれど、ちゃんと自分の感情の機微に注目してみると、些細なことでもわりと傷ついたりはしていて、ただ表現していなかっただけなんだなと思った。

 以前友人から、「感情を殺してる皮が人よりある気がする」と言われたのを思い出した。
 わたしは別に超強い人間ではなくて、感情を隠す表皮が発達しているだけなのかもしれない。

 今後、急に感情をものすごく表現する人間になるのは難しいと思うけれど、この日記に書くくらいはいいのかなあと思ったりしてる。

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