いつだってきみだけ余裕、6月をむかえた胸の谷間の汗疹
2020/05/26 好きな後輩のはなし
今日からまた毎日事務所に出勤してお仕事。
今日は後輩の女の子が、依頼者とビデオ通話をするのに、ノートPCのカメラだかマイクの調子が悪いと言うので、わたしのノートPCを貸すことになった。
彼女は、ビデオ通話の動作確認に付き合ってほしいと言って、わたしを会議室へ誘った。
わたしたちは別々の会議室にこもり、彼女はわたしのノートPCで、わたしは自分のiphoneでビデオ通話をしてみた。
数メートルしか離れていない会議室同士で、「聞こえますか~?」「聞こえるよ~」「見えますか〜?」「見えるよ〜」と間抜けなやりとりをする。
これ以外確認することなんてなくて、すぐにぼんやり微笑むくらいしかやることがなくなってしまった。
彼女の背後の消火栓が妙に赤く眩しくて、そこばかりに目が行ってしまうと指摘すると、彼女は椅子をずらして、自分の身体で消火栓の赤いランプを隠し、親指を立ててグーサインをした。
ビデオ通話を終えた彼女は、わかりやすく肩の荷が下りた顔をして帰ってきた。彼女から返却されたノートPCをわたしはそのままカバンに突っ込んで仕事に戻った。
この後輩は、顔の造形はめちゃくちゃ可愛いのだけど、表情が極端に乏しくて、口数も少ないし、時々AIと喋ってるのかな?みたいな時がある。
所内のミーティングでも、彼女が発言を求められ、表情を変えずに棒読みで淡々と何かしゃべっているのを見ていると、参観日の父兄みたいな、がんばれ…がんばれ…!って気持ちになると同時に、あまりの棒読み加減に可笑しくなってしまう。
仕事を終えて帰宅し、後輩から返却されたノートPCを開くと、キーボードに何か粉をこぼしたような形跡があった。
もしかして、キーボードの上でお菓子かなんか食べた…?
これにそっくり?なエピソードを最近「僕の心のヤバイやつ」って漫画で読んだ。
山田さんって女の子に、市川くんって男の子が漫画を貸してあげた、返ってきた漫画の間からお菓子の粉がぱらぱら落ちてくるの。
後輩のこと、もっと好きになっちゃった。
2020/05/27 ギャルになる?
この2日、ちゃんと声をかけてくるタイプの変なおじさんに連日遭遇している。
昨日は駅構内で、小柄なおじさんが、歩いているわたしの胸元に、グッと顔を近づけて並走してきて、「ねえ、ブルマ?ブルマ?」と聞いてきた。
まだ緊急事態宣言解除から間もない駅構内は人がまばらで、人通りの少ないところで変な人に遭遇するのはすごく不安だった。
それに、突然「ブルマ」というのも、何を言ってるのかわからないし、わたしはブルマを履いてないし…。
おじさんの目つきの妙なあどけなさも怖くて、情けないけれど、足早に逃げるくらいしかできなかった。
今日は今日で、また別のおじさんが、すれ違いざまに「おお~、ボインだねえ、ん?ん?」と話しかけてきた。
このおじさんはほんのり酔っぱらってる感じだったので、昨日のおじさんよりは合点がいった。
ただ、「ん?ん?」とこちらに何か尋ねてくる意味がわからず、勘弁してくれ!という思いを込めて睨みつけたら、へらへらしながらどこかへ行ってしまった。
もともと、学生の頃から痴漢にはしょっちゅう遭っていたから、ちょっとやそっとじゃ驚かないというか、弱さを見せたら相手がつけ上がる気がして、毅然とした態度で振舞うように心がけてきたんだけれど、自粛期間であまり他人に会わない生活に慣れてしまっていたから、急に変な人に遭遇しても、どんなふうに構えればいいか忘れてしまった。
いつだったか、やっぱり痴漢に遭いやすい友人が、「ギャルになってから痴漢に遭わなくなった、サングラスしてガム噛んでれば最強」と言っていたのを思い出した。
ギャル化、要検討。
2020/06/01 終わりを考える
何かを始める時、いつもそれが終わるときのことを考える。
どうせ人間いつか死ぬし、とか、地球は滅びるし、みたいな投げやりな気持ちではなくて、もっと前向きな感じで。
今自分が始めたことが、どのくらいの時期に、どんな風に終わっていくのかをじっくり想像するのが好き。
自分で終わり方の目標を決めることもあれば、自然と訪れる終わりを推測することもある。
そして、それが大体思った通りになる。
もちろん、何も考えず流れに身を任せることもあるし、終わりを想像したくないときには、意識して考えないようにしたりもするけれど、自分にとって大切なことや、大きなことほど、終わりの瞬間を自分で決めたい。
不意に終わってしまうのが悲しいからこそ、時間をかけて心の準備をするためにも、じっくり想像するようにしてる。
この癖のせいで、いつもどこが俯瞰でものを見てしまったり、頭の一部分は常に冷えている状態というか、「一心不乱」「無我夢中」みたいになれないことが多い。
たぶん、我を忘れて何かに興じる自分を、客観的に見た時に恥ずかしく思う気持ちが強いのが原因だと思うけれど、たまに、無我夢中で何かやってる人を羨ましく思うこともある。
たぶん、冷静さを欠いて何かに夢中になるのって、みんなそれなりに若い時に経験してるのかもしれないけれど、わたしはそれに相応しい時期を、変に斜に構えて過ごしてしまったから、今それが遅れてやってきてるのかもしれない。
もう大人だから、自分のコントロールできない部分に出くわすの、びっくりするし、つらさもあるのだけど、もし無我夢中になりながら、自分で決めた終わりに向かって走って行けたらそれはそれで良いかもしれない。
って話。
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