マストドンのアカウントを消した話

 10月に、マストドンというSNSをやめた、というnoteを書きました。

 たかだかSNSを、わざわざ「やめる」だなんて大袈裟な、と自分でもいまだに可笑しいのですが、ちゃんと区切りをつけないとやめられないくらいのめり込んでいたので、最後の日を決めて公言することで、もう戻れないようにしたというのが実のところです。

 さて、わたしはマストドンをやめるとき、「やめます」と言うだけで、アカウントは消さずにおきました。
 今思えば歯切れの悪いやめ方ですが、アカウントを消して物理的にマストドンを見られないようにするのではなく、自分の意志でマストドンを離れることが目的だったので、いつでも見ようと思えば見れる、戻ろうと思えば戻れるマストドンから離れる、という訓練は必要なものだったので致し方なし。

 いつでも誰かが話し相手になってくれるし、ちやほやしてくれるし、何を言っても言わなくても自由なマストドンの居心地良さは格別で、これのない生活はさぞつらいだろうと覚悟していましたが、実際にマストドンのない生活を始めてみて、マストドンのある日常のほうが特殊だったことを久しぶりに思い出しました。
 特殊だからこそ魅力的で離れがたかったのかもしれません。

 マストドンをやめた当初、かつて交流のあった方たちが、お墓参りみたいにわたし亡き後のアカウント見に来てくれたら嬉しいとか、もし万が一めちゃくちゃ戻りたくなった時に戻れるようにとか、いろんな邪念もあって、なんやかんや消さずにいたアカウント。
 マストドンをやめた8月9日から、3ヶ月が経とうとしたある日、ふと、もう墓じまいしても良いような気分になりました。マストドンをやめます!と言った時と同じで、わかりやすい大きな転機があったわけではありませんが、マストドンなしの生活を3ヶ月やってみて、なんとかやっていけそうな感じがしたので、今だ!って感じでアカウントを削除しました。
 これっきり縁の切れてしまう人も当然いるかと思いますが、その中には、マストドン上の「かえ」という人格も含まれているような感じがして、名残惜しいような、清々しいような。

 当然のことですが、アカウントを消してしまうと、アカウントが消えているかの確認も自分ではできなくなってしまうもので、「わたしのアカウントちゃんと消えてる?」と人の力を借りて確認してもらったりもしました。
 ちゃんと消えていたそうです。

 マストドンは、本当に本当に面白いSNSなので、代わりになるものは多分ないです。やめてみて思いますが、マストドンにあるものは、マストドンにしかないです。
 今も交流のあるマストドンの人に、最近のマストドンの話をたまに聞きますが、みなさんお変わりないようで何より。

 そういえば、少し前になりますが、新宿駅構内でマストドンの人を見かけて、さっきすれ違いませんでした?!って思わず連絡してしまいました。
 相手の方も、やっぱりあれかえさんだったの?と気づいてくださってて、なんだか嬉しかったな〜

 やめたSNSの話を何度もして申し訳ないですが、マストドンすごく好きだったんですよね。
 未練はないのですが、やっぱり懐古はしちゃうというか。良いSNSに出会ったなーって思います。

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