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自分次第なのは、、?

「傷つくかどうかは自分次第」

今日母と、そんな話をしました。
なんとなく腑に落ちない感じがして、深く考えてみたいなと思ったので、今日の考えをココに残します。

そもそも

傷つくってどういうこと?というところから考えたいです。
物理的、精神的、様々あると思いますが、今日は精神的に傷つくことについて考えます。

相手に自分の考えを否定された時
信用されていないと感じた時
自分にとって嫌なことや苦しいことを言われた時
場面は様々だと思いますが、
メンタルが、心が傷つけられたって言いますよね。


相手の気持ちがすべて

昔に比べて世の中の考え方は複雑化していると思います。
色々なことに対して繊細で敏感になっている現代において、相手を傷つけてしまったの判断はとても難しいと感じます。

なんでかって、
相手が嫌だと感じたらアウト!だからです。

判断基準は相手にあり、それは本人にしか分からないラインです。
また相手にとっては、自分もしかり。

だから、傷つけたつもりがなくても、不本意に傷つけてしまうことは多い。

同じことを言うにしても、言葉選びひとつで大きく結果が変わってきます。

正直そこまで細かく考えて日々生きているわけではありませんが、考えてみればみるほど臆病になってしまいそうです。


傷ついたら

傷つきますよね、人間だもの。

傷ついても良いと思います。
むしろ傷つかない人間はいないと思います。

ただ、傷をつける人間にはなりたくないなと思います。

相手を傷つける前にまず、他の方法はなかったのかよと思ってしまいます。

まぁ傷の深さにもよると思いますし、
それは客観的であって、当事者ではないから言えることなのかもしれませんが、、。

もしかしたら、誰かに傷をつける人は、前に自分が傷つけられた経験があるのかもしれません。

そう考えるとキリがないけど、、

そうであったとしても、傷つけられた仕返しを他人にすることは良くないことなのではと思います。

せめて当事者に、、?
それも良くないのかな。

仮にその人が傷つけられていたんだとしたら、その傷を他の人に与えないべきなのではないか、

だって、自分がそれで苦しんでいるのに、

誰かを苦しめることによって傷から逃げようとしては、その人の傷は埋められないかもしれませんね。

新しい傷を負ってしまうかもしれない。


自分次第なのは

「傷つくかどうかは自分次第」って難しいです。

結局、自分の中の傷をどのように対処するかということなのかなと思ったんです。

私はこう考えます!

傷つくかどうかが自分次第なのではなくて、
もしかしたらそれは相手次第かもしれない。

自分次第なのは、「ついた傷をどう対処するか」なのではないかなぁ。

傷はついてしまうと思うんですよね。

でも、その傷の対処法によって、前向きに生きていけたりするわけなんじゃないかなと考えました。


もしかしたらこれも

このnoteを読んだ人の中にも、
もしかしたら、、

この言葉に傷つけられたとか、そんな考え方は許せないだとかって苦しむ人もいるかもしれません。

でも私は、それを望んでいないので、それもまた難しいところです。

それぞれに違う感じ方があることを見極めて何かを言ったり、書いたりすることが必要だけれど、それは超難関!

自分の考えを大切にしつつ、多様な受け取り方について配慮すべきだとは思います。

あったかい世の中になったらいいなぁ。

以上!おやすみなさい🤲

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