見出し画像

君主論|マキャベリ|※ネタバレ注意※

「君主論」は、16世紀初頭のイタリアの政治思想家ニッコロ・マキャベリによって書かれた政治哲学の古典的著作です。1513年に執筆され、1532年に出版されたこの書は、為政者が権力を獲得し維持する方法について論じています。マキャベリは、理想的な統治者像ではなく、現実的で効果的な統治の手法を提示しました。彼は、君主が時には道徳的に疑わしい行動をとることも必要だと主張し、「目的は手段を正当化する」という考え方を示唆しました。本書は、君主が民衆の支持を得ながら、同時に恐れられるべきだと説きます。また、政治的な駆け引きや戦略的な同盟関係の重要性も強調しています。マキャベリは、安定した国家を維持するためには、状況に応じて柔軟に対応する能力が君主に不可欠だと考えました。「君主論」は、その冷徹な現実主義的アプローチゆえに、出版当時から論争を呼びました。しかし、その洞察力は現代の政治学にも大きな影響を与え続けており、権力と統治の本質を理解する上で重要な文献となっています。この作品は、政治哲学の分野で革命的な影響を与え、「マキャベリズム」という言葉を生み出すほどの影響力を持ちました。今日でも、政治学や国際関係論の学生にとって必読書とされています。


CHAPTER I:君主国の種類と獲得方法

I-1:国家の基本形態と君主国の分類

すべての国家や統治体制は、共和国か君主国のいずれかである。君主国はさらに二つに分けられる。一つは同じ家系が長期にわたって統治を続ける世襲の君主国であり、もう一つは新しい君主国である。

I-2:新しい君主国の形態と獲得方法

新しい君主国には、完全に新しい国家と既存の国家に併合された領土がある。例えば、フランチェスコ・スフォルツァにとってのミラノは完全に新しい国家であり、スペイン王国にとってのナポリ王国は既存の世襲国家に併合された新しい領土であった。これらの新たに獲得された領土には、君主の統治に慣れているものと自由な状態で生きることに慣れているものがある。獲得方法としては、君主自身の武力、他者の武力、運、または能力によるものがある。

CHAPTER II:世襲君主国について

II-1:世襲君主国の統治と維持

世襲君主国の統治は、新たに獲得した君主国よりも容易である。世襲君主は先祖の慣習を踏襲し、状況に応じて慎重に対処するだけで十分である。平均的な能力の君主であれば、特別な力によって打倒されない限り、自国を維持できる。世襲君主は臣民を不快にさせる理由が少なく、より愛される可能性が高い。特別な悪徳がない限り、臣民は自然と君主に好意的になる。

II-2:世襲君主国の安定性とイタリアの事例

長期にわたる統治により、変革の記憶や動機が失われ、一つの変化が別の変化の足がかりとなることも少ない。イタリアの例として、フェッラーラ公が挙げられる。彼は1484年のヴェネツィア人の攻撃や1510年の教皇ユリウス2世の攻撃に耐えることができた。これは、長年にわたり自国を確立していたためである。仮に世襲君主が打倒されても、簡単に国を取り戻せる可能性が高い。

CHAPTER III:混合君主国について

III-1:新しい君主国の困難

新しい君主国では、特に完全に新しくない場合、困難が生じる。人々は状況改善を期待して支配者を変えるが、しばしば失望する。新君主は新領地に軍隊を駐留させ、様々な負担を課すため、敵を作りやすい。また、君主を擁立した支持者の期待に応えられず、強硬手段も取れない。

III-2:ミラノの占領と喪失

フランス王ルイ12世のミラノ占領と喪失を例に挙げる。最初の占領は容易だったが、すぐに失った。2度目の占領後は保持が容易になった。これは反乱の機会を利用して、処罰や弱点の強化を行ったためである。

III-3:新領土の統治方法

新たに獲得した領土が旧国家と同じ言語・文化を持つ場合、統治は容易である。旧支配者の一族を滅ぼし、法律や税制を変えなければ、短期間で一体化する。言語や習慣が異なる場合は困難が増す。君主が現地に居住することが有効だが、それが不可能な場合は植民地を送るか、騎兵と歩兵を駐留させる必要がある。

III-4:ローマ人の統治手法

ローマ人は新領土に植民地を送り、弱小国と友好関係を保ちつつ、強国を抑え込んだ。ギリシャでの外交政策を例に挙げ、現在の問題だけでなく将来の問題も予見し対処することの重要性を説く。

III-5:フランス王ルイ12世のイタリア政策の失敗

ルイ12世のイタリア政策の誤りを分析する。ヴェネツィア人の野心に乗せられてイタリアに介入し、教皇権力を強化し、スペインをナポリに招き入れるなど、一連の失策を犯した。これらの行動が最終的にフランスのイタリアからの撤退を招いた。

CHAPTER IV:アレクサンダー大王の後継者たちがダリウス王国を維持できた理由

IV-1:新しく獲得した国家の統治の難しさ

アレクサンダー大王はアジアを短期間で征服したが、その死後も後継者たちは帝国を維持した。これは一見不思議に思えるが、実際には彼らは互いの野心以外に大きな困難に直面しなかった。

IV-2:二つの統治方式の比較

国家の統治方法には二種類ある。一つは君主と臣下による統治で、もう一つは君主と貴族による統治だ。前者では君主が絶対的な存在として認識され、後者では貴族が独自の地位と支持基盤を持つ。現代の例としては、前者がトルコ、後者がフランスに相当する。

IV-3:トルコ型国家の特徴と征服の難しさ

トルコ型の国家は征服が困難だが、一度征服すれば維持は容易である。これは君主以外に権力者がおらず、内部からの反乱が起きにくいためだ。征服者は自身の力に頼らざるを得ないが、勝利後は君主の一族以外に脅威はない。

IV-4:フランス型国家の特徴と維持の難しさ

フランス型の国家は征服は容易だが、維持が困難である。国内の貴族の助けを得て侵入できるが、勝利後はそれらの貴族や敗者から新たな反乱の危険性がある。君主の一族を滅ぼしても、残った貴族たちが新たな反乱の中心となる可能性がある。

IV-5:ダリウス王国とアレクサンダー大王の征服

ダリウス王国はトルコ型の国家であった。アレクサンダーは野戦で勝利し、ダリウスを倒すだけで国を征服できた。その後、国内に反乱が起きなかったのは、トルコ型国家の特性によるものだ。

IV-6:ローマ帝国の例と征服国の維持

ローマ帝国はフランス型の国々を征服した際、常に不安定な支配を強いられた。しかし、時間の経過と帝国の力により、最終的には安定した支配を確立した。これは、征服された国の元の支配者の記憶が薄れたためである。

CHAPTER V:征服した自治都市の統治方法について

V-1:征服した自治都市を統治する3つの方法

征服した自治都市を統治するには3つの方法がある。第一に都市を破壊すること、第二に君主自身がそこに居住すること、第三に自治を許可しつつ貢納を課し、君主に友好的な寡頭政を樹立することである。特に第三の方法では、君主によって創設された政府は君主の友好と利益なしには存続できないことを知っているため、君主を全力で支持する。そのため、自由に慣れた都市を保持したい者は、他の方法よりも市民自身を通じて統治する方が容易である。

V-2:スパルタとローマの統治方法の比較

スパルタはアテネとテーベに寡頭政を樹立したが、結局失った。一方ローマは、カプア、カルタゴ、ヌマンティアを征服した際にそれらを破壊し、失わなかった。ローマはギリシャをスパルタのように自由を許して統治しようとしたが失敗し、結局多くの都市を破壊せざるを得なかった。自由に慣れた都市を征服し破壊しない者は、その都市に破壊されることを覚悟しなければならない。なぜなら、反乱の際には常に自由と古い特権が合言葉となり、時間や恩恵によってもそれは忘れられないからである。

V-3:君主制と共和制の違い

君主の下で生きることに慣れた都市や国では、君主の一族が絶えた場合、人々は服従に慣れているため新しい君主を受け入れやすい。しかし共和制では、より強い生命力、憎しみ、復讐心があり、かつての自由の記憶を決して忘れることを許さない。そのため、共和制の都市を征服した場合、最も安全な方法は都市を破壊するか、そこに居住することである。

CHAPTER VI:自身の武力と能力で獲得した新しい君主国について

VI-1:新しい君主国を維持する難しさ

新しい君主国、特に新しい君主が統治する国家では、その維持に困難が伴う。困難の度合いは君主の能力に応じて変わる。私人から君主になるには能力か幸運が必要だが、幸運よりも能力に頼った者の方が強固な基盤を築ける。また、君主が他の領地を持たず、その国に居住せざるを得ない場合は統治が容易になる。

VI-2:能力によって君主となった偉大な人物たち

モーゼ、キュロス、ロムルス、テセウスなどは、自身の能力によって君主となった最も優れた例である。彼らは幸運から機会を得たが、その機会を活かしたのは彼ら自身の能力だった。例えばモーゼはエジプトで奴隷となっていたイスラエルの民を見出し、ロムルスはアルバを去り捨てられることで、キュロスはペルシャ人の不満を利用し、テセウスはアテナイ人の分散状態を見出した。これらの機会が彼らを幸運にし、彼らの優れた能力がその機会を認識し、祖国を高貴で有名にした。

VI-3:新しい秩序の導入に伴う困難

能力によって君主となった者は、君主国の獲得は困難だが維持は容易である。獲得の困難さは、新しい統治体制と安全を確立するために導入せざるを得ない新しい規則や方法に起因する。新秩序の導入には多くの敵と消極的な支持者がおり、これが最も困難で危険な事業となる。敵は旧体制下で利益を得ていた者たちで、新体制下で利益を得る可能性のある者たちは消極的な擁護者にすぎない。

VI-4:武装した預言者の成功と武装解除された預言者の失敗

新しい秩序を導入する者は、自身に頼るか他人に頼るかを考慮しなければならない。つまり、力を用いるか嘆願に頼るかである。後者は常に失敗し、前者はまれにしか危険に陥らない。そのため、武装した預言者は征服し、武装解除された預言者は破滅した。民衆の性質は変わりやすく、説得は容易だが、その信念を固めることは難しい。したがって、必要な場合には力によって信じさせる手段を用意しておく必要がある。

VI-5:新秩序の確立と維持

モーゼ、キュロス、テセウス、ロムルスが武装していなければ、彼らの体制は長続きしなかっただろう。新しい秩序を確立する過程では多くの危険があるが、能力があればそれらを乗り越えられる。敵対者を排除し、成功に嫉妬する者たちを一掃すれば、彼らは尊敬され、強力で、安全で、名誉ある幸福な存在となる。シラクサのヒエロンの例も、これらの偉大な例に類似している。彼は私人から君主となり、機会を活かして能力を発揮し、古い軍隊を廃止して新しい軍隊を組織し、古い同盟を解消して新しい同盟を結んだ。その結果、獲得には多くの苦労を要したが、維持は容易だった。

CHAPTER VII:新しく獲得した領国について - 他者の軍隊や幸運によって得た場合

VII-1:幸運だけで君主となった者の特徴

幸運のみで私人から君主になった者は、権力を得るのは容易だが、それを維持するのは困難である。彼らは上昇の過程で困難に直面しないが、頂点に達すると多くの問題に遭遇する。これは、金銭や他者の好意によって国を与えられた者に当てはまる。彼らは、自身を高めた人物の善意と運に依存しており、これらは非常に不安定なものである。また、彼らは必要な知識や忠実な軍隊を持ち合わせていないため、権力を維持するのが難しい。

VII-2:急速に台頭した国家の脆弱性

突然台頭した国家は、自然界の急成長するものと同様に、最初の嵐で倒れてしまう可能性が高い。ただし、予期せず君主となった者が非常に有能であれば、幸運が与えたものを保持するための準備をすぐに整えることができる。彼らは、他の君主が以前に築いた基盤を、君主になった後に自ら築く必要がある。

VII-3:フランチェスコ・スフォルツァとチェーザレ・ボルジアの比較

能力と幸運によって君主となる二つの方法を、フランチェスコ・スフォルツァとチェーザレ・ボルジアの例で説明する。スフォルツァは能力によってミラノ公となり、獲得したものを容易に維持した。一方、ボルジアは父親の権力で国を得たが、それが衰えると国を失った。ボルジアは賢明な人物として必要な全ての措置を講じたが、極度の不運により失敗した。

VII-4:チェーザレ・ボルジアの戦略と成功

ボルジアは将来の権力基盤を固めるため、様々な戦略を実行した。彼はローマーニャを獲得し、敵対勢力を弱体化させ、フランスからの独立を図った。また、ローマの貴族を味方につけ、教皇選挙に影響力を持つカルディナルの支持を得た。さらに、ローマーニャの統治を改善し、残虐な代官を任命した後に処刑することで民心を掌握した。

VII-5:ボルジアの計画と挫折

ボルジアは将来的な脅威に備えて四つの計画を立てた。しかし、アレクサンデル6世の死と自身の病気により、全ての計画を実行することはできなかった。彼は多くの敵対勢力を排除し、ローマの貴族を味方につけ、カルディナルの支持を得ることには成功したが、トスカーナの征服を完遂する前に挫折した。結果として、ボルジアは二つの強大な敵軍に挟まれ、重病を患った状態で、ローマーニャのみを確実に支配する状況に陥った。

CHAPTER VIII:悪事によって君主国を得た者について

VIII-1:悪事による君主国獲得の二つの例

マキャベリは、悪徳や不法な手段で君主の座に上り詰めた者について論じる。この方法を古代と近代の二つの例で説明する。一つはアガトクレス、もう一つはオリヴェロットである。両者とも卑しい身分から出発し、残虐な手段で権力を掌握した。

VIII-2:アガトクレスの事例

アガトクレスは陶工の息子でありながら、軍事的才能を発揮してシラクサの統治者となった。彼は元老院議員や富裕層を殺害し、内乱なしに権力を掌握した。カルタゴとの戦いでも勝利を収め、シチリア島の支配を確立した。彼の残虐な行為は非難されるべきだが、その勇気と困難を克服する能力は評価に値する。

VIII-3:オリヴェロットの事例

オリヴェロットは、叔父ジョバンニ・フォリアーニの庇護のもと育った。彼は軍事的才能を磨き、やがて故郷フェルモを支配しようと企てた。叔父や有力市民を招いた宴会で彼らを殺害し、権力を奪取した。その後、新たな統治体制を確立し、近隣諸国にも脅威を与えるほどになった。しかし、チェーザレ・ボルジアの策略にはまり、権力掌握から1年後に処刑された。

VIII-4:残虐行為の適切な使用

マキャベリは、残虐行為の使用方法について論じる。適切に用いられる残虐行為は、一度に行われ、安全保障に必要な場合に限られる。これらは時間とともに減少し、臣民の利益につながるものでなければならない。一方、不適切な残虐行為は、たとえ当初は少なくても、時間とともに増加する。前者の方法を実践する者は、神や人の助けを得て統治を緩和できるが、後者の方法では権力を維持できない。

VIII-5:新たな君主の統治方針

新たに権力を獲得した君主は、必要な危害を一度に与え、その後は繰り返さないようにすべきである。これにより、臣民を動揺させることなく安心させ、恩恵を与えることで支持を得ることができる。反対に、恐れや悪い助言のために常に暴力を振るう必要がある君主は、臣民の信頼を得ることができない。危害は一度に与え、恩恵は少しずつ与えるべきである。また、君主は予期せぬ出来事に左右されないよう、常に臣民の中で生活すべきである。

CHAPTER IX:市民君主政について

IX-1:市民君主政の定義と成立過程

市民君主政とは、ある有力市民が同胞市民の支持を得て君主となる統治形態である。これは暴力や邪悪な手段ではなく、市民の好意によって実現する。この地位を得るには、才能や運というよりも、むしろ巧妙な機転が必要とされる。

市民君主政は、人民の支持か貴族の支持によって成立する。都市には常に人民と貴族という二つの勢力が存在し、両者の対立から君主政、自治政府、無政府状態のいずれかが生まれる。貴族は人民に対抗できないと、自分たちの中から一人を担ぎ上げて君主とし、その庇護下で野心を満たそうとする。一方、人民も貴族に抵抗できないと、一人を君主として擁立し、その権威によって守られようとする。

IX-2:人民支持と貴族支持の君主の違い

貴族の支持で君主となった者は、人民の支持で君主となった者よりも統治が困難である。貴族支持の君主は、自分と同等と考える者たちに囲まれ、思い通りに統治や管理ができない。一方、人民支持の君主は孤立しているが、従う準備のある者たちに囲まれている。

貴族の要求を正当な方法で満たすことは難しいが、人民の要求は比較的容易に満たせる。人民は抑圧されないことを望むだけだが、貴族は抑圧することを望むからである。また、敵対的な人民からは見捨てられる恐れがあるが、敵対的な貴族からは見捨てられるだけでなく、反旗を翻される危険もある。

IX-3:君主と貴族の関係

君主は常に同じ人民と共に生きなければならないが、同じ貴族と常に付き合う必要はない。貴族は日々作り替えることができ、権威を与えたり奪ったりすることができる。貴族は主に二つの観点から見る必要がある。君主の運命に完全に結びつく者と、そうでない者である。

結びつく貴族で貪欲でない者は尊重し愛するべきである。結びつかない貴族は、臆病さや勇気の欠如によるものか、野心的な理由によるものかで対応を変える必要がある。前者は利用し、特に賢明な助言者を重用すべきである。後者は警戒し、公然の敵として恐れるべきである。

IX-4:人民との関係構築の重要性

人民の支持で君主となった者は、その友好関係を維持すべきである。一方、貴族の支持で君主となった者は、何よりも人民の支持を得るよう努めるべきである。人々は悪を期待していた相手から善を受けると、より強く結びつくからである。

君主は様々な方法で人民の愛顧を勝ち取ることができるが、状況によって異なるため固定的な規則は存在しない。しかし、逆境時の安全を確保するためには、人民の友好が不可欠である。人民の上に基礎を置く者は泥の上に建てるようなものだという格言があるが、これは私人が人民を頼りにする場合にのみ当てはまる。君主が適切に統治し、勇気ある人物であれば、人民を失望させることはないだろう。

CHAPTER X:君主国の強さを測る方法について

X-1:自立可能な君主国と他者の援助が必要な君主国

君主国の特徴を検討する際、君主が自力で国を支えられるか、常に他者の援助が必要かを考慮する必要がある。自立可能な君主は、豊富な人材や資金により、攻撃者に対して十分な軍隊を動員できる。一方、他者の援助が必要な君主は、敵に対して野戦で対抗できず、城壁の後ろに隠れて防御するしかない。

X-2:都市の防御と人々の支持の重要性

自立できない君主は、都市を要塞化し、備蓄を整える必要がある。都市をよく要塞化し、臣民の問題に適切に対処した君主は、簡単には攻撃されない。人々は困難が予想される事業を避ける傾向があり、要塞化された都市を攻撃するのは容易ではないと認識される。

X-3:ドイツの都市の例

ドイツの都市は絶対的に自由で、周辺の領地はわずかだが、皇帝に都合よく従う。これらの都市は要塞化が進み、十分な火器を持ち、公共の倉庫に1年分の食糧と燃料を備蓄している。また、市民に仕事を提供し、軍事訓練を重視するなど、様々な方法で市民の支持を維持している。

X-4:長期的な防衛戦略

強力な都市を持ち、憎まれていない君主は攻撃されにくい。攻撃されても、恥辱を受けて撤退することになるだろう。世界情勢の変化により、1年間継続して軍を維持することは困難である。君主は臣民に希望を与え、敵の残虐さへの恐れを植え付け、大胆すぎる臣民から身を守ることで、困難を乗り越えられる。

X-5:君主と臣民の絆

敵の侵攻時、国土は焼かれ荒らされるが、これは人々の防衛意欲が高いときに起こる。時間が経ち冷静になると、被害はすでに発生しており、対策の余地はない。このとき、人々は君主と団結しやすくなる。人間は受けた恩恵と同様に、施した恩恵にも縛られる性質がある。賢明な君主は、臣民を支援し守ることで、最初から最後まで臣民の心を堅固に保つことができる。

CHAPTER XI:教会領国について

XI-1:教会領国の特徴

教会領国は獲得が困難だが、一度保有すれば維持は容易である。宗教の古い慣例によって支えられているため、君主の行動や生活にかかわらず領国を保持できる。君主は国家を防衛せず、臣民を統治しないが、国家は奪われず、臣民も離反しない。これらの領国だけが安全で幸福である。

XI-2:教会の世俗的権力の拡大

かつてイタリアの君主たちは世俗的権力をほとんど重視していなかった。しかし、現在ではフランス王も教会を恐れ、教会はフランス王をイタリアから追い出し、ヴェネツィアを破滅させた。この変化の理由を振り返る。

XI-3:イタリアの政治情勢

フランス王シャルル8世のイタリア侵攻以前、イタリアは教皇、ヴェネツィア、ナポリ王、ミラノ公、フィレンツェの支配下にあった。これらの君主たちは、外国軍のイタリア侵入と自国の領土拡大を警戒していた。特に教皇とヴェネツィアが警戒された。教皇の力を抑えるため、ローマの貴族オルシーニ家とコロンナ家の対立が利用された。

XI-4:アレクサンデル6世と教会の台頭

アレクサンデル6世は金銭と武力を用いて教会の力を高めた。彼の息子チェーザレ・ボルジアの活動とフランス軍の侵入によって、教会の勢力が拡大した。アレクサンデル6世の死後、教会はその成果を継承した。

XI-5:ユリウス2世と教会の更なる発展

ユリウス2世は強大化した教会を引き継ぎ、さらに発展させた。ボローニャの獲得、ヴェネツィアの打倒、フランス軍のイタリア追放を目指し、成功を収めた。教会の権威を高め、ローマの貴族勢力を抑制した。

XI-6:レオ10世と教会の未来

レオ10世は強大な教皇権を引き継いだ。前任者たちが武力で教会を強化したのに対し、レオ10世は善良さと徳によって教会をさらに尊敬される存在にすることが期待されている。

CHAPTER XII:軍隊の種類と傭兵について

XII-1:君主国の基礎と軍事力の重要性

君主国の基礎は優れた法律と優れた軍隊にある。良い法律は軍事力なしには存在し得ないため、軍事力が整っているところでは必然的に良い法律が存在する。君主国を防衛する軍隊には、自前の軍隊、傭兵、同盟国の軍隊、あるいはこれらの混成がある。傭兵と同盟国の軍隊は無用かつ危険であり、これらに頼る国家は安定せず、安全でもない。

XII-2:傭兵の問題点

傭兵は規律がなく、不忠実で、臆病である。平時には君主から奪い取り、戦時には敵前逃亡する。彼らが戦場に留まる唯一の理由は僅かな給料であり、君主のために命を賭ける覚悟はない。イタリアの没落は長年傭兵に頼ったことが原因であり、フランス王シャルルがイタリアを容易に征服できたのもこのためである。

XII-3:傭兵隊長の危険性

有能な傭兵隊長は君主自身を脅かす存在となり得る。一方、無能な隊長では国家の防衛が成り立たない。君主や共和国が自ら軍を率いる場合、最大の成果を上げることができる。ローマやスパルタは長年自前の軍隊で武装し、自由を保った。スイスも完全に武装し、自由を享受している。

XII-4:歴史に見る傭兵の弊害

カルタゴは第一次ポエニ戦争後、傭兵に圧迫された。テーバイはエパミノンダスの死後、マケドニアのフィリポスを隊長に任命し、自由を失った。ミラノ公フィリッポの死後、ミラノ人はフランチェスコ・スフォルツァを雇ったが、彼は主人であるミラノを打ち倒した。ナポリ女王ジョヴァンナも傭兵隊長スフォルツァに裏切られ、アラゴン王の庇護を求めざるを得なくなった。

XII-5:イタリアの軍事的衰退

イタリアの諸国家は長年傭兵に頼ってきたが、これが国の衰退を招いた。傭兵隊長たちは戦闘での疲労や危険を避けるため、夜間の攻撃を避け、陣営を堅固にせず、冬季の戦闘も行わなかった。これらの軍事規律により、イタリアは奴隷状態と軽蔑の対象となってしまった。

CHAPTER XIII:補助軍、混成軍、自軍について

XIII-1:補助軍の危険性

補助軍は無用の兵種であり、君主が防衛のために他国の軍隊を招く際に用いられる。教皇ユリウス2世がフェラーラ攻略の際に用いたのがその例である。補助軍は自体は有用かもしれないが、それを招いた側にとっては常に不利である。戦いに敗れれば滅ぼされ、勝利しても補助軍の虜となる。教皇ユリウス2世の例では、幸運にも第三の事態が起こり、補助軍の失敗を免れた。

XIII-2:他国の軍隊に依存することの危険

フィレンツェ人やコンスタンティノープル皇帝の例は、他国の軍隊に頼ることの危険性を示している。フィレンツェ人はピサ征服のためにフランス軍を招いたが、かえって危機に陥った。コンスタンティノープル皇帝はトルコ軍を招いたが、これがギリシャのイスラム教徒支配の始まりとなった。補助軍は傭兵よりも危険で、敗北すれば即座に滅びる可能性がある。

XIII-3:自軍の重要性

賢明な君主は補助軍や傭兵を避け、自軍を用いるべきである。チェーザレ・ボルジアの例は、自軍の重要性を示している。ボルジアは最初フランス軍を用いたが、信頼できないと感じて傭兵に切り替え、最終的に自軍を編成した。自軍を持つことで、ボルジアの評判は高まった。シラクサのヒエロンも同様に、傭兵を排除し自軍で戦った。

XIII-4:自国の軍隊を持つことの利点

フランスのシャルル7世は自国の軍隊の必要性を認識し、常備軍を設立した。しかし、その後継者ルイ11世はスイス傭兵に依存するようになり、フランス軍の価値を低下させた。これにより、フランス軍はスイス兵なしでは戦えなくなった。ローマ帝国の衰退も、ゴート人を軍に加えたことから始まった。結論として、君主国の安全は自軍なしには保証されない。自国の力に基づかない名声や権力は不安定であり、君主は自軍を整備することが重要である。

CHAPTER XIV:戦争の技術に関する君主の心得

XIV-1:君主にとっての戦争の重要性

君主は戦争とその規律以外に関心を持つべきではない。これは統治者固有の技術であり、生まれながらの君主を支えるだけでなく、平民を君主の地位にまで引き上げることもある。逆に、君主が武器よりも安逸を重んじると国を失う。国を失う第一の原因はこの技術を軽視することであり、国を得る手段はこの技術に通じることである。フランチェスコ・スフォルツァは武芸に長けていたため平民から君主になったが、その息子たちは武器の苦労を避けたため君主から平民に戻った。

XIV-2:武装の必要性と平時の心構え

武装していないことは軽蔑を招き、君主が警戒すべき恥辱の一つである。武装した者と武装していない者の間に均衡はなく、武装した者が武装していない者に進んで従うことは理にかなわない。君主は平時においても戦争を念頭に置き、行動と学習によってその準備をすべきである。行動面では、兵士を組織し訓練し、狩猟を通じて身体を鍛え、地形を学ぶべきである。

XIV-3:地理の知識と戦略的思考の重要性

地理の知識は二つの点で有用である。第一に自国の防衛に役立ち、第二に他の土地の理解を容易にする。丘陵、谷、平野、河川、沼沢地の特徴は地域間で類似しているため、一つの地域を知ることで他の地域の理解も容易になる。この技能は敵を奇襲し、陣地を選び、軍を率い、戦闘を配置し、都市を有利に包囲するために不可欠である。

XIV-4:平時における軍事訓練と歴史研究の重要性

アカイア人の将軍フィロポイメンは、平時にも戦争の規則しか考えなかったことで称賛されている。彼は友人たちと野外で軍事的状況を想定し、対処法を議論した。これにより、戦時に予期せぬ事態に対応できた。君主は知性を鍛えるために歴史を読み、著名な人物の行動を研究し、勝利と敗北の原因を検討すべきである。例えばアレクサンダー大王がアキレウスを、カエサルがアレクサンダーを、スキピオがキュロスを模倣したように、優れた先人を手本とすべきである。賢明な君主はこのような規則を守り、平時に怠ることなく資源を増やし、逆境に備えるべきである。

CHAPTER XV:君主が称賛または非難される事柄について

XV-1:理想と現実の乖離

君主の行動規範について多くの人が論じてきたが、現実の真理に従うことが重要である。理想的な共和国や君主国の姿を描く者もいるが、それらは実在しない。理想通りに生きようとすると破滅に至る可能性がある。悪が蔓延る中で、完全な美徳を貫くことは困難である。

XV-2:君主に求められる柔軟性

君主が自身の地位を維持するためには、必要に応じて悪事を行う能力も持つべきである。状況に応じて悪事を利用するか否かを判断する必要がある。人々、特に高位にある君主は、称賛や非難の対象となる特質を持つものである。

XV-3:君主の評価を分ける特質

君主は様々な特質によって評価される。例えば、寛大か吝嗇か、残虐か慈悲深いか、誠実か不誠実か、勇敢か臆病か、親しみやすいか高慢かなどである。理想的には全ての良い特質を備えることが望ましいが、人間の条件ではそれは不可能である。

XV-4:国家存続のための判断

君主は国家を失うような悪徳を避けつつ、可能であれば他の悪徳も避けるべきである。しかし、国家を救うために必要な悪徳については、躊躇なく受け入れるべきである。表面的には美徳に見えても破滅につながるものがあり、逆に悪徳に見えても安全と繁栄をもたらすものがある。慎重に全てを考慮し、適切な判断を下す必要がある。

CHAPTER XVI:寛大さと吝嗇について

XVI-1:寛大さの評判とその落とし穴

寛大さの評判を得ることは望ましい。しかし、適切に行使されない寛大さは有害である。正しく行使しても知られなければ、反対の評判を避けられない。寛大さの名を維持しようとすると、豪華な行為を避けられず、全財産を消費してしまう。結果、民衆に重税を課し、嫌われる。貧しくなれば軽視され、多くを怒らせ少数を褒美で満足させただけで、最初の困難で危険にさらされる。

XVI-2:賢明な君主の経済的姿勢

賢明な君主は吝嗇の評判を恐れるべきではない。時間とともに寛大な君主よりも評価される。経済的であれば収入で足り、攻撃から身を守り、民衆に負担をかけずに事業を行える。取らない相手には寛大で、与えない相手には吝嗇となる。我々の時代では、吝嗇と見なされた者が大事を成し遂げ、他は失敗した。

XVI-3:歴史上の君主の例と寛大さの適切な行使

教皇ユリウス2世は寛大さの評判で教皇位に就いたが、その後維持しなかった。現スペイン王は寛大と評されていなければ、多くの事業を成し遂げられなかっただろう。君主は、臣民から奪わず、身を守れ、貧しくならず、強奪的にならない限り、吝嗇の評判を気にしなくてよい。カエサルは寛大さで帝位を得たが、生き延びて支出を抑えなければ、政権を破壊していただろう。

XVI-4:寛大さの適切な使用と危険性

君主が自分のものや臣民のものを使う場合は倹約的であるべきだが、他人のものを使う場合は寛大であるべきだ。軍を率いて略奪や掠奪で支える君主には寛大さが必要だ。他人のものを浪費しても評判は下がらず、むしろ上がる。自分のものを浪費すると傷つく。寛大さは急速に消耗し、行使すればするほど能力を失う。貧しくなるか、軽蔑されるか、貧困を避けようとして強奪的になり憎まれる。君主は何よりも軽蔑と憎悪を避けるべきだが、寛大さはその両方につながる。

CHAPTER XVII:残虐と寛容について、そして恐れられるより愛されるほうがよいかどうか

XVII-1:寛容と残虐の適切な使用

君主は寛容とみなされるべきだが、その寛容を誤用してはならない。チェーザレ・ボルジアは残虐と考えられたが、その残虐さによってロマーニャを統一し、平和と忠誠を取り戻した。フィレンツェの人々が残虐の評判を避けようとしてピストイアの破壊を許したのと比べると、ボルジアのほうがはるかに慈悲深かったと言える。君主は、臣民を団結させ忠実に保つ限り、残虐の非難を気にする必要はない。少数の見せしめによって、過度の慈悲から無秩序を生じさせる者よりも慈悲深くなれる。

XVII-2:新君主と残虐の不可避性

新しい君主が残虐の非難を避けるのは不可能である。新しい国家は危険に満ちているためだ。ウェルギリウスは、ディドーの口を借りて、新しい王国の非人間性を弁明している。しかし、君主は信じることと行動することに慎重であるべきで、恐れを示さず、思慮深さと人間性を持って穏やかに進むべきである。過度の自信が不注意にならないよう、過度の不信が耐え難くならないようにする。

XVII-3:恐れられることと愛されることの比較

愛されるより恐れられるほうが安全である。人間は忘恩的で、気まぐれで、偽りの多い存在だからだ。成功している間は忠実だが、必要な時には離れていく。約束だけに頼り、他の予防策を怠った君主は破滅する。金で得た友情は信頼できず、必要な時に頼れない。人々は愛する者よりも恐れる者を傷つけることに躊躇する。愛は義務の絆で保たれるが、人間の卑しさのために利益のためにすぐに破られる。一方、恐れは罰の恐怖によって保たれ、決して失敗しない。

XVII-4:恐れと憎しみの違い

君主は恐れを抱かせるべきだが、憎しみを避けなければならない。臣民の財産と女性に手を出さない限り、恐れられても憎まれることはない。誰かの命を奪う必要がある場合は、正当な理由と明白な原因がなければならない。財産を奪うことは常に口実が見つかるが、命を奪う理由は見つけにくく、すぐに消える。軍隊を指揮する君主は、残虐の評判を気にしてはならない。それがなければ軍隊を団結させ、義務を果たさせることはできない。

XVII-5:ハンニバルとスキピオの比較

ハンニバルの非人間的な残虐さは、彼の無限の勇気とともに、兵士たちから畏敬と恐怖の念を抱かせた。スキピオは優れた人物だったが、その寛容さのために軍隊が反乱を起こした。彼の寛大すぎる性格は、軍規に反して兵士たちに過度の自由を与えた。賢明な君主は自分の意志で恐れさせ、他人の意志で愛されるようにすべきである。自分のコントロール下にあるものに基づいて地位を確立し、憎しみだけは避けるよう努めなければならない。

CHAPTER XVIII:君主が信義を守るべき方法について

XVIII-1:信義を守ることの重要性と現実

君主が信義を守り、誠実に生きることは賞賛に値する。しかし、大業を成し遂げた君主たちは信義をあまり重視せず、策略で人々を出し抜いてきた。最終的に、君主の言葉を信じた者たちを打ち負かしてきた。

XVIII-2:法と力の二つの戦い方

戦いには法による方法と力による方法がある。前者は人間的で、後者は獣的だ。しかし、法だけでは不十分なことが多いため、力に頼る必要がある。君主は人間と獣、両方の性質を使いこなす必要がある。

XVIII-3:獅子と狐の性質

君主は獅子と狐の性質を兼ね備えるべきだ。獅子は罠を察知できないが、狐は狼から身を守れない。そのため、罠を見抜くには狐の性質が、狼を威嚇するには獅子の性質が必要となる。

XVIII-4:信義を破ることの正当化

賢明な君主は、信義を守ることが自身に不利になる場合や、信義を誓った理由がなくなった場合、それを守る必要はない。人々が完全に善良であれば、この教えは不要だが、悪い人々が信義を守らないのであれば、君主も守る必要はない。

XVIII-5:欺瞞の必要性と成功例

君主は欺瞞の術に長けている必要がある。人々は単純で目先の必要性に縛られているため、欺こうとする者は常に騙される者を見つけられる。アレクサンデル6世は人々を欺くことに長け、常に望み通りの結果を得た。

XVIII-6:徳の外見の重要性

君主にとって、すべての徳を持つことは不要だが、持っているように見せることは非常に重要だ。慈悲深く、誠実で、人間的で、宗教的で、正直であるように見せつつ、必要に応じてその反対の性質を発揮できることが重要だ。

XVIII-7:評判と結果の重要性

人々は一般的に目で判断し、結果で評価する。多くの人々は君主の外見しか見えず、真の姿を知る者は少ない。そのため、君主は国家を征服し保持する能力があると評価されれば、その手段は常に正当と見なされ、賞賛される。

CHAPTER XIX:人々から憎まれ軽蔑されることを避けるべき

XIX-1:憎まれることと軽蔑されることの危険性

君主は、人々から憎まれたり軽蔑されたりすることを避けなければならない。これを成し遂げれば、他の非難は恐れる必要はない。君主が最も憎まれる原因は、人民の財産や女性を奪うことである。これらを慎めば、大多数の人々は満足して生活する。君主が軽蔑される原因は、優柔不断、軽薄、女々しい、臆病、優柱不定と見なされることである。君主は行動において偉大さ、勇気、重厚さ、剛毅さを示し、臣下との私的な交際では判断が覆らないことを示すべきである。

XIX-2:君主の二つの恐れと対策

君主には二つの恐れがある。一つは内部からの臣下による恐れ、もう一つは外部からの外国勢力による恐れである。外部の脅威に対しては、優れた武力と同盟国を持つことで防御できる。内部の脅威に対しては、陰謀を避けるため、憎まれず軽蔑されないようにし、人民を満足させることが重要である。陰謀は無限の困難に直面するため、成功する可能性は低い。

XIX-3:フランスの制度と君主の対応

フランスは最も秩序立った王国の一つである。その制度の中でも議会の権威が重要で、貴族の野心を抑え、人民を保護する役割を果たしている。君主は貴族を大切にしつつ、人民に憎まれないようにすべきである。非難されるような事柄は他人に任せ、恩恵を与える事柄は自ら行うべきである。

XIX-4:ローマ皇帝たちの例

マルクス・アウレリウスからマクシミヌスまでのローマ皇帝たちの例を挙げ、彼らの統治と没落の原因を分析する。多くの皇帝は兵士と人民の両方を満足させることの難しさに直面した。優れた統治者は、兵士と人民のバランスを取り、自身の権威を維持することができた。一方で、残虐で貪欲な皇帝たちは、短命に終わることが多かった。

XIX-5:セウェルスの統治と成功

セウェルス帝は狡猾さと勇気を併せ持ち、兵士たちの支持を得ながら効果的に統治した。彼は状況に応じて狐のように狡猾に、獅子のように勇敢に振る舞った。新しい君主として、セウェルスの行動は模範となる点が多い。

CHAPTER XX:要塞その他君主がしばしば用いる手段は有益か有害か

XX-1:新君主の武装政策

新君主は臣民を武装解除することはない。むしろ、武装解除された臣民を見出した場合は常に武装させる。これにより、武器は君主のものとなり、不信任の者は忠実になり、忠実な者はそのままであり、臣民は支持者となる。全臣民を武装させることはできないが、武装させた者に恩恵を与えれば、他の者はより自由に扱える。この扱いの違いにより、前者は君主の従属者となり、後者は理解を示す。一方、武装解除は不信感を示すことになり、憎しみを生む。

XX-2:新たに獲得した領土での武装政策

新たな領土を獲得した場合、その地の人々を武装解除する必要がある。ただし、獲得に協力した者は例外とする。これらの協力者も、時間とともに柔弱にさせるべきである。最終的には、君主の古い領土で君主の近くに住んでいた武装した者だけが、国家内の武装した者となるよう管理すべきである。

XX-3:派閥と要塞の利用

過去には、ピストイアを派閥で、ピサを要塞で支配するという考えがあった。しかし、現代ではこの方法は適切ではない。敵が分裂した都市に攻め込んだ場合、弱い派閥が外部勢力を助け、他の派閥は抵抗できない。ヴェネツィア人は属国に派閥を育てたが、これは平和時には有効だが、戦時には誤りであることが判明した。

XX-4:敵対者の利用

君主は困難や障害を乗り越えることで偉大になる。新君主は特に名声を得る必要があるため、運命は敵を起こし、計画を立てさせる。これにより、君主はそれらを克服し、さらに高みに登る機会を得る。そのため、賢明な君主は時に敵意を巧みに育て、それを打ち破ることで名声を高めるべきだと考える者もいる。

XX-5:不信任者の活用

新君主は、統治初期に不信任だった者たちの方が、信頼していた者たちよりも忠実で助けになることが多い。シエナの君主パンドルフォ・ペトルッチは、不信任だった者たちによって国家をより上手く統治した。ただし、これは個々の状況によって異なる。初めは敵対的だったが支援が必要な者たちは、容易に味方につけることができ、忠実に仕える。

XX-6:要塞の有用性

要塞を建設することは、状況によって有用にも有害にもなり得る。民衆よりも外国人を恐れる君主は要塞を建設すべきだが、その逆の場合は建設を避けるべきである。最良の要塞は民衆に憎まれないことである。要塞があっても民衆が憎んでいれば、外国人の助けを得て武装蜂起する可能性がある。フォルリ伯爵夫人のケースを除き、近年では要塞が君主の役に立った例はない。要塞を信頼して民衆の憎しみを気にかけない者は非難されるべきである。

CHAPTER XXI:名声を得るために君主がとるべき行動

XXI-1:偉業と模範的行動による評価

君主が高く評価される最大の要因は、偉大な事業を成し遂げ、優れた模範を示すことである。現代のスペイン王フェルディナンド・デ・アラゴンは、その好例である。彼は取るに足らない王から、キリスト教世界で最も重要な王になった。彼の行動を分析すると、その多くが偉大で、一部は並外れたものだったことがわかる。統治初期にグラナダを攻撃し、それが彼の支配の基礎となった。カスティーリャの貴族たちの注意を戦争に向けさせ、彼らの力を弱めることに成功した。教会と民衆の資金で軍隊を維持し、長期の戦争を通じて軍事的技能を磨いた。

XXI-2:宗教を口実にした拡張政策

フェルディナンドは常に宗教を口実に、より大きな計画を実行した。敬虔な残虐さでムーア人を追放し、王国を浄化した。その後、アフリカを攻撃し、イタリアに侵攻し、最終的にフランスを攻撃した。彼の業績と計画は常に大規模で、人々の心を驚嘆させ続けた。彼の行動は次々と展開され、人々は彼に対抗する時間を持てなかった。

XXI-3:内政における例外的な行動

君主は内政においても、例外的な事例を示すべきである。ミラノのメッセル・ベルナボのように、市民生活で何か特別なことをした者を賞罰することで、人々の話題を集めるのが良い。君主は常に、自身が偉大で注目に値する人物であるという評判を得るよう努めるべきである。

XXI-4:明確な立場表明の重要性

君主は真の味方か明確な敵かのどちらかであるべきで、中立の立場を取るよりも、一方の党派を支持して宣言することが常に有利である。二つの強力な隣国が争う場合、勝者を恐れるか否かにかかわらず、明確に立場を表明し、精力的に戦争を行うことが有利となる。中立を保つと、勝者の餌食になり、敗者からも見捨てられる可能性が高い。

XXI-5:同盟関係の選択と危険の回避

君主は可能な限り、他者の裁量下に置かれることを避けるべきである。より強力な相手と同盟を結んで他国を攻撃するのは、必要に迫られない限り避けるべきである。しかし、教皇やスペインがロンバルディアを攻撃した時のフィレンツェのように、避けられない場合は、一方の党派を支持すべきである。完全に安全な道はないことを認識し、困難の性質を見分け、より小さな悪を選ぶことが賢明である。

XXI-6:人材の登用と市民生活の奨励

君主は能力ある者のパトロンとなり、あらゆる技芸に秀でた者を称えるべきである。同時に、市民が商業、農業、その他の職業を平和に営めるよう奨励すべきである。所有物を没収されることを恐れて改善を控えたり、課税を恐れて商売を始めないようなことがないようにする。これらの活動や市や国家の名誉となるような計画を立てる者には、報奨を与えるべきである。

XXI-7:祝祭の開催と社会集団との交流

適切な時期に祭りや見世物で人々を楽しませるべきである。また、都市のギルドや社会を尊重し、時には交流し、礼儀と寛大さの模範を示すべきである。ただし、常に自身の地位の威厳は保つべきで、これを損なうようなことは決してしてはならない。

CHAPTER XXII:君主の秘書官について

XXII-1:有能な秘書官の重要性

君主にとって、秘書官の選択は非常に重要である。秘書官の善し悪しは君主の識別力によって決まる。人々が君主とその理解力について最初に抱く印象は、君主の周囲にいる人々を観察することで形成される。有能で忠実な部下を持つ君主は、常に賢明とみなされる。なぜなら、有能な人材を見分け、彼らの忠誠心を保つ方法を知っているからである。逆に、そうでない場合、君主に対する良い印象は形成されない。なぜなら、彼らを選んだこと自体が最大の過ちだからである。

XXII-2:君主の知性と秘書官の関係

知性には3つの階級がある。自ら理解する者、他人の理解したことを評価できる者、自分でも他人の説明でも理解できない者である。最初のタイプが最も優れており、2番目のタイプは良好、3番目のタイプは無用である。したがって、君主が最上位でなくとも、2番目の階級に属していれば十分である。良し悪しを判断する能力があれば、自ら発案しなくても、部下の良い点と悪い点を認識し、一方を称賛し他方を修正できる。これにより、部下は君主を欺くことができず、誠実さを保つことになる。

XXII-3:忠実な秘書官を見分ける方法

君主が部下を評価する上で、決して失敗しない一つのテストがある。部下が君主の利益よりも自分の利益を優先し、すべてにおいて内心で自分の利益を求めているのを見たとき、そのような人物は決して良い部下にはならず、信頼することもできない。他人の国家を預かる者は、自分のことを考えず、常に君主のことを考え、君主に関係のない事柄に注意を払うべきではない。

XXII-4:秘書官の忠誠心を保つ方法

一方、部下の誠実さを保つために、君主は彼を研究し、尊重し、豊かにし、恩恵を与え、名誉と責任を分かち合うべきである。同時に、部下が一人では立ち行かないことを理解させ、過度の名誉が更なる欲望を生まないよう、多くの富が更なる富を求めさせないよう、多くの責任が変化を恐れさせるようにすべきである。このように君主と部下が互いに対して適切に振る舞えば、信頼関係を築くことができる。しかし、そうでない場合、どちらか一方、あるいは双方にとって悲惨な結果となるだろう。

第23章:お世辞を避ける方法について

XXIII-1:お世辞の危険性と対処の難しさ

君主にとって、お世辞は避けがたい危険である。宮廷にはお世辞を言う者が多く、人は自分の事柄について自惚れがちで、この害から身を守るのは困難だ。お世辞を避けようとすると、軽蔑される危険がある。誰もが真実を語れるようにすると、尊敬が失われる。

XXIII-2:賢明な君主の対処法

賢明な君主は、国内の賢者を選び、彼らにのみ真実を語る自由を与える。ただし、君主が尋ねたことについてのみ真実を語らせる。君主は彼らの意見を聞いた後、自分で結論を出す。これらの助言者には、自由に話すほど好まれると思わせる。それ以外の者の意見は聞かず、決めたことを実行し、決意を貫く。

XXIII-3:現代の例:マクシミリアン1世の事例

現皇帝マクシミリアン1世の例を挙げる。彼は誰とも相談せず、自分の思い通りにならなかった。これは上記とは逆の方法を取ったためだ。皇帝は秘密主義で、計画を誰にも伝えず、意見も聞かない。実行段階で計画が明らかになると、周囲の者に妨げられ、柔軟な皇帝は計画を変更する。そのため、彼の行動は一貫せず、誰も彼の意図を理解できない。

XXIII-4:君主の適切な助言の求め方

君主は常に助言を求めるべきだが、それは自ら望むときに限る。助言を求めていないときは、むしろ助言を控えさせるべきだ。ただし、君主は常に質問し、忍耐強く聞く姿勢を持つべきだ。真実を語らなかった者には怒りを示す。君主が賢明でなければ、良い助言を得ることはできない。

CHAPTER XXIV:イタリアの君主たちが国を失った理由

XXIV-1:新君主の確立と安定性

新君主が注意深く前述の助言を守れば、長年統治してきた君主よりも安定した地位を得られる。新君主の行動は古くからの君主よりも注目されるため、有能さを示せば多くの支持者を獲得し、強い絆を築ける。人々は現在の良い状況を重視し、それ以上を求めない。君主が他の面で人々を裏切らなければ、人々は最大限の擁護をする。新しい君主国を建て、良い法、軍隊、同盟、模範で強化すれば二重の栄光となる。一方、生まれながらの君主が知恵不足で国を失えば、二重の恥となる。

XXIV-2:イタリアの君主たちの失敗

近年イタリアで国を失った君主たちには共通の欠点がある。まず、軍事面での欠陥がある。次に、民衆の敵対か、貴族の支持獲得の失敗がある。これらの欠点がなければ、軍を維持できる国は失われない。マケドニアのフィリッポスは、領土は小さかったが戦闘的で民衆の支持と貴族の確保に長けていたため、長年敵に抵抗できた。

XXIV-3:君主たちへの教訓

長年の統治後に君主国を失った君主たちは、運命を責めるのではなく自身の怠慢を反省すべきだ。平和な時期に変化を予期せず、困難な時期に逃亡を考え、自衛を怠った。民衆が征服者の横暴に嫌気をさして自分たちを呼び戻すことを期待したが、これは他の手段が尽きた後の最後の手段にすぎない。自力で回復できない解放は価値がない。信頼できるのは自身と自身の価値に依存するものだけである。

CHAPTER XXV:人事における運命の影響力とその対処法

XXV-1:運命と人間の意志の関係

運命と神が世界の出来事を支配していると考える人々がいる。彼らは人間の知恵では物事を方向づけられないと主張する。しかし、マキャヴェッリは自由意志を否定せず、運命は行動の半分を支配するが、残りの半分は人間に委ねられていると考える。

XXV-2:運命の力と人間の対応

運命を氾濫する川に例える。平時には防御や堤防を設けることで、洪水の被害を軽減できる。同様に、人間は適切な準備と対策を講じることで、運命の力に対抗できる。イタリアの例を挙げ、適切な防御がなければ、運命の変転に翻弄されることを示す。

XXV-3:時勢に応じた行動の重要性

成功する君主は時代の精神に沿って行動する。しかし、人間は本性や習慣から脱却するのが難しい。慎重な人物が冒険的になるべき時に変化できないと失敗する。時代に合わせて行動を変えられれば、運命の変化にも対応できる。

XXV-4:教皇ユリウス2世の事例

教皇ユリウス2世の行動を例に挙げる。彼は大胆かつ精力的に行動し、時勢に恵まれて成功を収めた。ボローニャ遠征の際、他国の反対を押し切って行動し、結果的に支持を得た。その短い生涯の間、彼の大胆な行動は常に成功した。

XXV-5:運命への対処法

結論として、慎重よりも大胆であることを推奨する。運命は女性のようなものであり、支配するには力強く扱う必要がある。運命は若く大胆な者を好むため、冷静な態度よりも大胆な行動で運命を制御できると主張する。

CHAPTER XXVI:イタリアを異邦人の支配から解放するための勧告

XXVI-1:新しい君主の出現に適した時代

現在の時代は新しい君主が登場するのに適している。イタリアの状況は、賢明で有徳な人物が新しい秩序を導入し、自身の名誉と国民の利益のために行動する機会を提供している。これほど好機に恵まれた時代はかつてなかった。

XXVI-2:イタリアの窮状

イタリアは現在、かつてないほどの危機的状況にある。ヘブライ人よりも隷属し、ペルシャ人よりも抑圧され、アテナイ人よりも離散している。指導者も秩序もなく、打ちのめされ、略奪され、引き裂かれ、蹂躙されている。イタリアはあらゆる種類の荒廃に耐えてきた。この状況は、イタリア精神の美徳を発見するために必要な試練である。

XXVI-3:救世主への期待

イタリアは、傷を癒し、ロンバルディアの略奪や王国とトスカーナの搾取を終わらせ、長年化膿している傷を浄化する人物を待ち望んでいる。神に対して、これらの不正と野蛮な横暴から解放してくれる人物を送ってくれるよう懇願している。旗を掲げる者がいれば、それに従う準備ができている。

XXVI-4:メディチ家への期待

現在、イタリアが最も期待を寄せているのはメディチ家である。その勇気と幸運、神と教会の寵愛を受けているメディチ家が、この救済の先頭に立つことができる。過去の偉大な人物たちの行動と生涯を思い出せば、この任務は困難ではない。彼らも人間であり、現在の機会以上のものを持っていたわけではない。

XXVI-5:イタリア解放の正当性と可能性

イタリア解放の戦いは正義に基づいている。必要な戦争は正当であり、他に希望がない時には武器に頼ることも神聖である。イタリアには強い意志があり、意志が強ければ困難は大きくならない。神の道は驚くべき形で示されており、すべてがメディチ家の偉大さに貢献している。

XXVI-6:イタリアの軍事的弱点

イタリアの軍事力は、特に指導者の不十分さによって弱体化している。有能な者が従順でなく、各人が自分こそが知っていると思い込んでいる。過去20年間の戦いで、純粋にイタリア人だけの軍隊は常に貧弱な成果しか上げていない。これは、力量や幸運によって他の者を従わせるほど際立った人物がいなかったことに起因する。

XXVI-7:イタリア解放のための提言

イタリアを解放するためには、まず自前の軍隊を整えることが不可欠である。忠実で信頼できる優れた兵士はイタリア人以外にいない。スイス歩兵やスペイン歩兵は強力だが、それぞれ弱点がある。新しい軍隊の編成によって、騎兵に耐え、歩兵を恐れない部隊を作り出すことができる。これにより、イタリアは最終的に解放者を見ることができるだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?