宇宙戦艦ヤマトとアニメブームの周辺(その4)
わたしが小学五年だから、『さらヤマ』の数年前。
テレビ版の宇宙戦艦ヤマトが始まるホンの数ヶ月前。
大阪はなんばのホテルでジュリーには一度会っている。
「自分、こどもやのに髪の毛、染めてるん?」
と聞かれただけなのだが、それ以降、ジュリーのことを「あのときの派手な格好(なり)のおにいちゃん」として認識していて、歌謡界のスターで遠い存在というだけではなかった。
いや、「ヤマトより愛をこめて」に抵抗があったのは歌を聴く前で、聴いてしまった後は「やっぱりええ曲かも…」なんておもっていたような気もするし、レコードも買ったのだから、そのあたりはかなりいいかげんである。
たとえば、これが90年代だったら、誰も疑問は持たなかっただろうし、抵抗感や違和感もなかっただろう。
テレビアニメの主題歌を、タイアップソングであれ、人気歌手や有名歌手、アーティストが歌うなんとことは、今では珍しくもなんともなくなってしまったからだ。
とはいえ、ジュリーの「ヤマトより愛をこめて」だって、結局は大ヒットしたんだから、受け入れられたのには違いない。
いったい誰が受け入れたのかというと、ザ・ベストテンをはじめとする歌謡番組でも取り上げられたのだから、沢田研二本人のファンは言うに及ばず、わたしみたいな末節の(そして最年少の部類に属する)ヤマトファンもそうだが、ヤマトファンやアニメファンでない、一般の人たちも受け入れたらしい、ということだ。
最近は、アニメソングにもタイアップの波が押し寄せて、どう考えても「アニメのテーマソングじゃないよ」といった歌が増えた。
古いアニメファンやアニソン歌手の方々が嘆くことが多いけれど、これは、なにも昨日や今日いきなり起こったことではない。
「気がついていたらそうなっていた」といいたいところだが、実はそうでもない。
わたしたち(少なくとも、わたしと同じ時代にアニメファンやアニメファンだった人たち)は、アニメソングとポップスのボーダーラインが崩れ始める瞬間に、立ち会っていたのだ。
ただ、それをボーダーラインの崩壊と、誰も認識していなかった、ということである。
それは、「ヤマトより愛をこめて」から始まっていたのである。