宇宙戦艦ヤマトとアニメブームの周辺(その1)

1970年代の中頃。

突如として起こったかのようなアニメブーム。

ただ、その予兆は、すでにあった。

その起爆剤となったのが〈ヤマト・ブーム〉。

『宇宙戦艦ヤマト』の異常に加熱した人気である。

70年代後半から80年代初頭(宇宙戦艦ヤマトから機動戦士ガンダム)にかけてのアニメ・ブーム。

特に〈ヤマト・ブーム〉についてここで語るのは、ある意味で語り尽くされた感がある。

が、いちおう簡単に説明しておくとしよう。

1974年の10月から日本テレビ系で放送された『宇宙戦艦ヤマト』は、初回放送当時の超低視聴率のため打ち切りを余儀なくされた。

当初一年間放送予定だったものを、半年に縮められて、1975年の3月に放送を終える。

低視聴率の原因として、裏番組に純粋にこどもむけ(のちにファミリー向けなどと称されるようになるが)の『アルプスの少女ハイジ』と円谷特撮の『猿の軍団』があったからだといわれてはいるが

わたしはNHKの『お笑いオンステージ』(放送は午後7時20分から8時。特に後半の減点パパのコーナー)が最大の難敵であり、『ハイジ』や『円谷』が束になってかかってももののかずではなかっただろうと推察する。

低視聴率の原因はともかく、『宇宙戦艦ヤマト』は〈低視聴率で打ち切りから地方での遅れネット放送とキー局の再放送がトリガーとなってブームが起こり映画化されるという、その後の判で押したような〈ヒットアニメの方程式〉を成立させた最初のアニメとなる。

それが本当に〈草の根〉的に純粋にアニメファンの間から起こったものなのか、それとも、用意周到に仕掛けられたものだったのかはともかく、放送終了後から『宇宙戦艦ヤマト』の〈ブーム〉の前兆現象は、あったのである。