宇宙戦艦ヤマトとアニメブームの周辺(その5)

 最愛の人。森雪を失った古代進が、ヤマト第二の女神・テレサとともにその命を宇宙に散らせ、宇宙戦艦ヤマトの物語が幕を閉じて二か月足らず。

「宇宙戦艦ヤマト2」の放送が始まる。

 中学生のわたしは大学生のおにいさんやおねえさん(いままで「先達」と呼んできた方たち)に連れられて、サンケイホールやオレンジルームで催されていたアニメ関係(主にヤマト)のイベントに足を運んでいた。

 そのうちのいくつかはヤマトのスタッフさんが来られていたのだけれど「ぼくらは客寄せにならないとおもう」と頻繁に口にされていて、作品に関する質疑応答なども積極的に受けてくれていた。

 そのうちの一つは

 わたしの相方、大和川葭乃のblog「1974-2199 宇宙戦艦ヤマト とはず語り」

2013年11月12日 森雪スケスケネグリジェ事件の謎 http://blog.livedoor.jp/tohazu_yamato1974/archives/34004412.html

 にも書いてもらっているけれど、さらヤマの公開中に催されたイベントで、続編をテレビ放送もするといったようなことが、公表された。

 (ほんとは公式ファンクラブの会報でさらヤマ公開以前から周知されていたらしい)

 このときわたしは、さらヤマの続編かと思ったのだけれど、プラモデルも続々出ますというアナウンスとプラモデルの写真をみて、さらヤマのテレビなんだとおもった。

 つまり、テレビ版の打ち切りと劇場版がテレビ版の再編集とわずかな新作におわったことでの消化不良。

 そのあたりが、さらヤマ制作の蹶起であったとするならば、おそらくはオリジナルのイスカンダル行と同程度、もしくはそれ以上の設定を擁しながら、ほとんど活用されずにおわったメカの設定をどう活かすかがヤマト2制作の蹶起だったようである。(実質的には、さらヤマとヤマト2は同時進行であったようだが、ほんの少しのずれだそうだ。ただヤマト2も人間関係の整理に時間を取られてしまい、作中に登場するメカはといえば、画面に一瞬映っただけの潜宙艦や遠景だけの地球防衛軍駆逐艦、艦種識別がほとんどできない巡洋艦など、もったいないことこのうえないとおもうのである。)

 昨今のように登場するキャラクターを前面に押し出して商品化するアニメは女の子向きの東映魔女ものやキャラクターものをのぞく男の子向きの作品はそれほど多くなかったから、分厚いメカ設定を全部商品化するつもりだったようで、ヤマト2に登場するメカはほとんどがプラモデルで発売されている。(それでも、潜宙艦は出ていない。地味だし。出なかった理由はたぶん「方舟」のゴルバと同じ理由だとおもう)

 このころになると、ヤマト一作を以てアニメブームを俯瞰していくことは不可能になっていく。

 それもそのはずで、このころになると新作のアニメの数多く作られているもおの、アニメそのものに復古調(リバイバル)の流れが生まれてくる。

 テレビアニメの放送が始まって、10年そこそこですでに復古調なのである。

と、いうのも、このころ。

宇宙戦艦ヤマトのヒットを受けて、相次いでアニメ雑誌が刊行され、徳間書店のロマンアルバムをはじめとする独自のアニメムックをリリースし、ヤマトのブームを中心になって牽引した出版社(紙媒体)がヤマト以外のコンテンツを求め始める。

誰かが仕掛けたものか、自然発生したものかはわからない。

アニメ制作会社は過去の作品の資料を簡単に提供してくれたのだろう。

それに呼応するように各地でアニメフェスティバルなどと称する上映会イベントが催される。

家庭用ビデオレコーダーが普及する以前のこと、当時は映画館にかけられるアニメ作品などそれほど多くない。

そうなると過去の作品を頻繁に上映することになる。

呼び物は、長編まんが映画と呼ばれた、古の劇場用アニメが中心になっていく。(手塚の「アニメラマ」は虫プロ倒産によって再上映が難しかったと知ったのは後年のこと。)

 その前後には、前述の「マンガ少年」がテレビアニメのベスト10を決めるという、アンケートを実施し、その結果を元に主題歌集のレコードとしてリリースする。(「月刊マンガ少年・読者人気投票:TVアニメベスト10主題歌集 収録曲は10作品15曲)

 いまの目から見れば奇妙なことかもしれないが、リリース時点での最新作は惑星ロボ・ダンガードAの一本だけでしかも主題歌のみ。エンディングは収録されていない。

 紙媒体である本(ムック)と音媒体であるレコード。このふたつが両輪となって、アニメブームをけん引していくのである。

 つまり、ユーザーの希望と相反する新しいコンテンツの絶対的な不足が、意図せずとも復古調を呼び起こしたといっていい。

 口幅ったいようだが、ビデオソフトは存在しない時代である。

 アニメ作品としてはすでに鮮度を失っていても、ほとんど手を加えずして再利用できる。

 昨今と違って、アニメを作っている会社がテレビ局とタッグを組んだり、自社直轄の販路(映画館)を持っていた時代だから可能だったことだといえる。た時代だから可能だったことだといえる。

 ファンは自主上映会を以外にでは、紙媒体と音盤(レコード)を以て、作品を追体験する便としていたのである。

 しばらくすると、家庭用ビデオレコーダーが普及し、映画会社やサークルの主催する上映会はなりをひそめる。だれもが手軽に自宅でアニメを「自主的に再放送する」ことが可能になるからに他ならない。

 昭和50年代後半はファンの渇望感と作り手の熱意が生み出した蜜月時代だったといえるかもしれない。