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PK戦の思い出 short

7月12日水曜日、ミッドウィークに各地で天皇杯3回戦が行われて3試合がPK戦までもつれ込み当事者のサポーターのみならず野次馬の私たちも大いに盛り上がりましたね。

松本山雅は残念ながら今回代表権は得られず、今年の天皇杯はもう見る形でしか参加できませんがやはり独特の高揚感がありますよね。

そんな山雅の過去の戦績の中で何度か経験したPK戦、その中でもとりわけ印象に残っているのは天皇杯でではなく2009年全国社会人サッカー大会の3日目・準々決勝日立栃木ウーヴァ戦でのPK戦です。

知らないサポーターさんも多いでしょうから改めて説明しますとこの通称「全社」は土曜日に1回戦が開催されて以降、勝ち残りチームが毎日対戦をしていくトーナメント戦です。
つまり土日月火水、勝ち残れば最大で5日連続で試合があるというとんでもない大会なんです。
アマチュアの大会ゆえ平日になると仕事へ戻らないといけなくてメンバーが大幅に減る、なんてチームも出てきます。

でもこの無茶な大会の厳しさ勝ち残りの困難さを克服できたチームには大きなご褒美があります。
JFLへの昇格を賭けた年末に行われる地域リーグ決勝大会への「全社枠」でのエントリー権が与えられるんです。

この年山雅は北信越リーグの代表にはなれず、この敗者復活戦ともいえる全社に昇格を賭けるしかない状況でした。
とはいえ先に書いたように勝てば勝つほど疲労が溜まる連戦、そんなに簡単なものではありませんでした。

この試合はすでに関東リーグを制し権利持ちであるウーヴァに前半先制を許し、ビハインドのまま試合終了まであと数分でようやく同点に追いつき辛くも生き残り、延長戦を経ても決着つかず、で迎えたPK戦です。

結果はなんとかPK戦を制してギリギリで翌日の準決勝へと駒を進めたのですが
まったくこの先に昇格する事ができたなんて想像できないギリギリっぷりでした。

もう一度整理すると
「このトーナメントで負けたら即その日が最終戦」の中で「ゲームの大半をリードされたまま」の土俵際まで追い詰められてのこの日の勝利だったのです。

もし仮にこの日敗戦したとすると翌年2010年も北信越リーグ所属であり、
その後に起きた「2011年の松田直樹の入団」も「2012年からのJリーグ・反町監督就任」も中々実現が難しいタイミングとなるでしょうね。
なのでおそらく今のみんなが知っている山雅とは違う成長曲線を描いていた可能性は高いと思います。

そう考えると千葉県の市原市の片隅で、月曜日の午後に行われた試合結果の重さが想像していただけると思います。
もっとも当時のみんなはその日その日を必死にやっていただけでしたが。

⚫︎終わりに
もしかすると「そんな時代の事なんかどうでもいいよ!」「また懐古話か」っていう方もいらしっしゃるかもしれませんね。

ただね、私から見ると今年闘っているJ3も過去の出来事も「未来へと歩んでいるポイント」としては同じだと思うんですよね。

その時たとえ不本意な気持ちで過ごしていたとしても
その時その時でやってきたことの積み重ねが未来の出来事へとリンクしている以上どんなことも疎かにはできないんです。
私はそう考えてるし、これからも語り残していきたいと思っているんですよね。

良かったらまた読んでやってくださいな。

それでは、また。


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