見出し画像

カンフースターの名を呼ぶとき

「ブルース・リー」

すれ違う男性に静かに声をかけられた。

「あ、ブルース・リー」
隣を歩く友人が、油断していた、という感じであわてて返事をする。

ほんとだ。実際にあるんだ。

駅までの道をもう少し歩くと、まただ。

「ブルース・リー」

さっきよりは落ち着いて返事をした友人が、今度は別の人に声をかける。

確認するような表情で相手の女性も答えた。
「ん、ブルース・リー」


やっぱり。

驚きと羨ましさと憧れと寂しさと安心が混ざった
なんともいえない気持ちで一人思う。

すごいなあ。
ちょっと外歩くだけでめっちゃブルース・リー言われてるやん。
もうすっかり都会の人間になってるやん。
都会に馴染みまくってるやん。
あたしもブルース・リー言われたいし。
ほんで、さらっとブルース・リー言いたいし。

口に出しては言えないまま、
さっきからずうっとブルース・リーって言われてる友人の隣で、
まっすぐ前を向いたまま駅まで歩いた。

おわり。


なに? なんのお話し?  ブルース・リーが? なに?


このなんだかよく分からなくて
だいぶどーでもいい感じに仕上がったお話は、
それもそのはず。

私がみた夢の話だからだ。

子供のころから夢を見るのが得意だった。
夜寝ると必ず夢をみる。

奇想天外な内容の夢よりは、日常のひとコマのような夢が多い。
夢らしくない夢の記憶はたまに現実の思い出に紛れ込んできて、
よく友人から
「そんなこと一緒にしたっけ? 夢じゃね?」
と言われる。
自信がない。

この「都会のブルース・リー」は数年前にみた夢で、
常に思い出しては考えているから
夢なのか現実なのか分からなくなりそうに鮮明だが、
「ブルース・リー」
というワードが現実感を限りなく薄めてくれるので、
自信をなくすことはない。

都会に住む友人を訪ねてはるばるやって来た。
田舎で同じ中学・高校出身、大学も同じで、
いまだにずっと仲がいい。

その友人といっしょに都会の町を歩いていると、
うわさには聞いていた都会の習慣を目の当たりにする。
それがブルース・リーだ。

都会人特有のメンタルソーシャルディスタンスとでも言おうか、
その微妙な距離を保持しようとする人々のニーズによって生まれた
都会ならではのあいさつ。

知らない人にはもちろん挨拶など必要ないが、
知らないけどなんか見たことある人。 たとえば
同じ時間によくここを通る人、とか
よく同じ車両で見かける人、とか
どこの誰かは知らないけれど、
お互いその存在は知っている、という人。

でも、「こんにちは」と挨拶を交わしてしまうと、
そこからなんらかの関係が始まってしまう。

いや、そういうわけではなくて。
積極的に知り合いたいわけではないけれど、
あなたがこの都会の片隅でちゃんと生活を営んでいる事は、
この私がちゃんと知っていますよ。
ということは伝えたい。
それ以上でも以下でもなく。

そんなクールでナイーブな都会の人たちが
誰からともなく交わし始めた挨拶が
「ブルース・リー」なのだ。

は? だからなんでそれが「ブルース・リー」なのよ。

分からん。 だってこれ夢だもの。

次々にブルース・リーと声をかけられる友人を見て、
あんたはこのまちで
たくさんの人に見守られながら頑張っているんだねえ、
と思う。 
あたしはあたしのまちで
こんな風に暮らしていけてるのかな。

目が覚めてもブルース・リーはずっと頭に残ったままだった。
燃えよドラゴンすらまともに見たことがなかった私の
「ブルース・リー = アチョーッて言う細マッチョ」
程度の雑で失礼でしかないイメージは、
その日からあっさり
「ブルース・リー = 都会のクールな挨拶」
に上書きされた。

現実の私は、ずいぶん前に日本を離れ、
都会とも田舎とも言い切れない異国の地で日々暮らしている。
自分でも改めて驚くが、ほんとになんとなく日本を出て、
いまだなんとなくこの場所にとどまっている。

なんとなくだから、何年経っても仮住まい感が抜けず
どこか毎日が心細い。
自信を持って、私はここで生きているんです!と言えない。

自分がこの土地の人々に馴染んで暮らしていけてるのか、
それを確認したくて
ブルース・リーの癖がついてしまった。

あ、バス乗り場でたまに見かけるおもしろい服のおばさんだ。
目が合った。
「ブルース・リー」

もちろん心の声だから、
おばさんは「ブルース・リー」とは言ってくれない。

たとえ声に出していたとしても、言ってはくれないけど。

でも代わりに、
「あら、どこ行って来たの」
と話しかけてくる。
おばさんも知っているのだ、目が合った私のことを。

それにしてもメンタルのソーシャルな距離が近い。
ブルース・リーもこんにちはも久しぶりもひとっとびだ。

聞かれたので答えようとしていると、
返事を待たずにどこかに去って行ってしまった。

返事聞く気はないんだね。
なら、普通にブルース・リーと答えておけばよかった。

あなたがこのまちの片隅でちゃんと生活を営んでいる事は、
この私がちゃんと知っていますよ。
ということを伝えてくれたんだろう。
それ以上でも以下でもなく。

分かった。 伝わってるよ、ありがとう。

誰かに向かってブルース・リーと心の中で呼びかける、
それはすなわち
ただ声をかければいいんだね、ということだった。

散歩中に出会う小学生や、よくバスで見かける二人連れ、
あ、あの人はブルース・・と心の中で挨拶したとたん
ブルース・リーに代わる言葉がどちらかの口から出てきて、
お互いを確認しあう。

そう。
あなたも私もこのまちでちゃんと生活を営んでいるんです。


この夢の話を都会の友人にしたことまでは覚えているけど、
どんな反応をされたのかは覚えていない。
たぶん、
それふつーにどーでもえーわ。な反応だったんだろう。
だって夢の話だし。

だから彼女は知らない。
ブルース・リーを手に入れて、
以前よりもここでの暮らしに自信と心強さを得た私を。

だから伝えたい。
私と同じような人たちに。

「いつも心にブルース・リーを」


今でも懲りずに私はその友人に夢の話をする。
彼女の主演作、というか主演は常に私だから共演作というのか、
とにかく、都会の友人を訪ねてみたシリーズは
続々と新作が公開されるので、
感想を伝えなければならない。

先月観た最新作はめずらしくSF作品だった。
ここでも私は、
都会でしか見られない最先端の夢のテクノロジーに驚嘆した。
ほんとにあったらそれこそ夢のような話だ。

都会ってほんまにすごいなあ。

友人から送られてきたLINEの返事は

「あるな」

続けて

「たぶん」

だった。

あ。
それしぬほどどーでもえーわ、か。ごめんよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?