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エンディングノートを書きながら

去年からエンディングノートを書いている。
エンディングの準備をしたかった訳ではないけれど、ご家族の不幸の後に様々な手続きに苦労した友人が勧めてくれて、その必要性に深く納得したのだ。自分しか知らない事というのは書き出すときりがないし、現代は何でもかんでもログインだから、IDやパスワードが分からないと何の解約もできない。それはまさに自分の為ではなく、残った人々への配慮に他ならない。

去年ブエノスアイレスに住んでいた時には、ブエノスで果てた場合を想定して対処を色々と記したが、今、実家に拠点を持つと、今度はまた違う想定で末期をイメージングしなくてはならない。去年書いたものを見直すと、書き直しが必要な事柄がたくさん出てきた。持ち物の処し方や、病気の際の治療、葬儀に関しても考え直したし、日本社会に組み込まれると、またログイン項目が増えてしまった。

市販のエンディングノートを使用しているが、よく出来ているなぁと感心する。
葬儀についての細々としたことも、選択形式で選べるようになっている。例えば、納棺時の服装(洋装がいい・和装がいい・お任せする)。自分でも「えーどうしよう」と思うのに、残った人たちに選択を迫るなんて酷だ。こっちが送る側でも、決めておいてくれていたら楽だなと思う。
介護のページには、好きな服装や、アレルギー食品、苦手な匂いなんていう項目もあって親切。アルツハイマーの母を見ていると、確かにこの辺は書いておきたいな、と切実に思う。母は今や蕁麻疹が出る食品も黙っていると普通に口にしてしまうし、洋服は見た目よりも着心地重視だ。どうしても気になることとか、片付けたい事などのこだわりは、イライラポイントでもあって、周りはそこに気づかないとどうして不機嫌なのかを図りかねる。よくよく観察していると分かる事だけれども、未来にわたしの介護を担う人が観察するゆとりがあるとは考えにくい。
わたしは湿りっけが苦手なのだけど、そんな事に気づいてもらえるはずはない。忙しい介護士が台拭きの布巾で、ついでにわたしの手も拭いたりしたら、ちゃぶ台返ししちゃうかも。

未来の自分のために、これが好き、これが嫌いと書き記す作業と、残った人たちの負担を減らす為にこれをお願い、これは必要ないと厳選していく作業。死を考えることは、生き方を考えることでもあるね。

読んでくださり、ありがとうございます。 サポートのお気持ちとても嬉しいです。ありがたく受け取らせていただきます。感謝💕