#2【私のカリスマ】"日常"こそ、ネタの宝庫/さくらももこさん
私が「書く」という行為に目覚めたのは、
なんといっても「さくらももこ」さんの存在がでかい。
私は彼女の大ファンで、「ちびまる子ちゃん」も全巻読んだが、「ちびまる子ちゃん」の作者としてよりも、エッセイストとしてのイメージが断然強い。
「もものかんづめ」、「たいのおかしら」、「さるのこしかけ」の3部作、
子供時代を書いた「まるこだった」、「あのころ」
思春期に抱いた漫画家への夢「ひとりずもう」、
ご本人があとがきで”書いててつらかった”と語る幼少の記憶「おんぶにだっこ」
離婚騒動から健康研究、仕事仲間の話が軽快な「さくら日和」(「さくら日和」はかなり好きで、暗記できるくらい読み込んでいる)、
「兼高かおる」さんのように世界を巡りたい、といつかの漫画で描いてた夢が叶っとるやんけ!な旅行記「あっちこっちめぐり」、
妊娠出産体験を書いた「そういうふうにできている」、
地元の図書館に「富士山」という雑誌もあったので片っ端から借りた。
小学生の頃の自分にとって、読むべきとされたような児童書は、「めぐろのさんま」で骨や皮を処理されて秋刀魚を出されて落ち込んだ殿様みたいなもので、かなり生ぬるく感じられていた。
なんというかませていて、斜に構えた子供だったのだ。
もちろん好きな児童書もたくさんあったが(ちなみに岡田淳 作品が好きすぎて狂ったように読んでいた記憶があり、これもまた書きたいネタ。)
私が求めるのはさくらももこさんの巧みなワードチョイス、日常の切り取り方、痛烈な皮肉、そしてなんといっても身の回りのすべてを「笑えるネタ」に昇華してしまう才能だった。
さくらももこさんに影響された小学生のわたしは、自分の日常を若干脚色して小説にしていた。たぶん死ぬときまで恥ずかしいから読み返すことはないが、誰かに言われた悪口、先生に理不尽で怒られたこと、親との確執、などなど。
あれもこれも全部エッセイのネタにしちゃえ、そう思うと強くなれた。
近年、さくらももこさん死去のニュースを知った時、激しく動揺した。
ファンレターを集英社宛てに一度出したことがあるが、当人のもとに届いていたのか定かではない。会ったことはもちろんないし、お顔も拝見したことがない。このnoteを書くにあたり試しにお名前でネット検索したら女性の顔がわあっと出てきたが、特に感想はなかった。
(朝日新聞の記事にも同じお顔が出ていたので、たぶんこのお顔がご本人なのだろうけど、あまりどうこう思うことはなかった。)
それでも、小学生の読書体験の記憶のうち、大部分を占めるさくらももこさんが、もうこの世にいないというニュースは、本当にショックで、身内がなくなった時のように、泣いた。
しかし一通り泣いた後、ふと「さくら日和」のエッセイで、賀来千香子さんのお兄様をさくらプロダクションに転職させるときの口説き文句として「私が死んでも遺作フェアがありますから」と発言していたことを思いだして真顔になった。
「人一倍健康に気を付けているから、長生きすると思うから大丈夫ですよ」といっていたことも。盛大なフラグじゃないか。
さくら先生は私の両親と同い年である。あまりに若かった。
さくらももこ先生の文章にとにかく強く憧れた。私もいつか文章で人を爆笑させたいと思わせてくれた。もっと日常を鮮烈に、痛烈に切り取って文章にしたいという欲求が湧いてきた。
また、さくら先生のエッセイは正直すぎるところも好きだ。大変素直なため、身内や関係者も平気でdisる。「さるのこしかけ」に収録された、祖父の葬式の様子を書いた「メルヘン翁」が不謹慎だ、と身内にたいしてひどすぎる、バッシングされたのは有名な話。
そのとき先生が何と書いているのか、手元に本がないが記憶している。
たしか「もう読みたくないという手紙も来た。もう読みたくないか、それじゃあ仕方ないな」、という感想だった。
だって私ゃあのときそう感じたんだもん。
さくらももこのエッセイは本当にそこが好きだった。誰にも媚びない、自分の感じたままを文章にしていた。
さくらももこ先生、いまもこうして細々と文章を書き続けられているのあなたのおかげです。
今年は、久しぶりにエッセイを全部読み返してみようと思う。
社会人になり、「出版」や「取材」に少しだけ近い業界に身を置いているので、たぶん”働く”ということがよくわからずに読んでいた小学生の頃とは、エッセイから得られる気付きも違うだろう。
そしていつか私も、死んでからも残り、誰かに読まれ、恋い焦がれられるような文章を生み出したいと、そう思っている。