「欲がなければ成長できない」とは何だ?という話
菫乃夜です。
いつもの記事とはちょっと趣旨が異なるのですが、面白い記事があったのでそれについてちょっとだけ書いていこうと思います。
と、いうことで、まずはその記事URLをぺたり。
https://www.nikkeyshimbun.jp/2015/150306-61colonia.html
五年前の記事ですね。まずはさらっと目を通していただければと思います。
印象に残るフレーズがいくつかあることと思います。その中でも私が特に名文だと思ったのがここですね。
ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。
直感的にわかりやすい文句ですね。資本主義の構造としての特性なんですが、平均以上の富を持つ人は間接的に平均以下の人から搾取している、と。まぁここでそういう搾取云々を議論する気はないんですが、要は『最高レベルの生活』を全員が平均的に享受することは不可能だ、という話です。
これは、まぁある程度仕方ない話で、なにしろ生活水準を上げる、ということをモチベーションにしないことには社会の発展が促されないからです。社会主義はその点で失敗しました。…という認識で良いですかね、浅学ゆえにちゃんと語れている気もしないんですが。
まぁ私の無知はさておいて、資本主義社会においては「人はより高い生活水準を目指そうとする」が、「最高レベルの生活は全員にはもたらされない」という矛盾があるわけですね。
ですから都合、金銭的に豊かになる、ということについてはどうしても限界があるわけです。
ですがここ最近は、なにかと物が多いですし、そして売れてほしいからマーケティングがさかんに行われる。そんな事情で、欲しいものがいっぱいあるけど、手に入れるためのお金がない、そんな人が多発しているわけです。
そんな状態が長く続くうちに、いつしか「欲が満たされない状態が普通」であり、「欲しいものを手に入れるために努力する」ことが一人前とされるようになった、なんて風潮を感じています。昔父に「欲がない奴は駄目だ」みたいなことを言われた覚えがありますね。
あとは「精神的に向上心のないものは莫迦だ」とは文豪の言葉にもあったり。
ですがちょっと待てよ、ということで記事の話に戻ります。ここで問われているのはまぁ端的に言えば「それ本当に必要ですか?」ということです。
勿論、一切欲を切り捨てて仏門に入れ、とかそういう話ではないんです。「欲しがる」ことで幸せになれるならそれはいいことですし、その人は資本主義社会に向いていると思います。
ですが、世の中には「欲しがる」事で不幸せになる人の方が多いと思うんです。これについて、もう一度考えてみてほしい。
例えば車。アウトドア趣味の人とか、家の近くにお店がない人とか、そういう人には勿論必要です。ですが例えば散歩が趣味の人とか普段あまり家から出ない人なら車は持っていてもあまり使わないでしょう。
恋人・友人・子供とかそういう話もそうだと思います。なにかといた方がいい、という圧力が多いこととは思いますが、ぶっちゃけ金銭的に余裕がないのに関係性ばかり分厚くしようとしても、支出が増えるばかりで中途半端になりがちですよね。
成人してしばらく経ちましたが、「遊ぶ」ときに飲みに行ったりどこかの娯楽施設に行くよりも、部屋でゆっくり話すとか、料理したり少人数で家飲みしたりする方が楽しいな、と思います。私お酒弱いので、飲み放題とかのお店行くとどうしても割を食う側でしたし…
いえまぁ、私の事情はどうでもいいんですよ。
要は、そういうことが楽しいならいくらでもやればいいんです。でも、愉しくないのに無理に付き合う必要性はどこにもない。楽しくないくせに支出ばかり増えるって、それで幸せになれるわけがないんですよ。そういうことについて、もう少し考え直さなきゃいけない。
開けてなきゃいけない、進歩しなきゃいけない、そういう考えは勿論大事なんです。ですが、先のスピーチでも触れられていた通り、万人がそういうものを目指すことに対する限界がそろそろ来始めているんです。なんなら終戦の前後からだいたいそうなんだろうな、と思います。
周りにいる人たちが大体ライバルで、敵なのに、それでも表面上は仲良くしなければいけない。そういうライフスタイルにそもそもからして無理があるんです。そういうところからはなるべく脱却していかなきゃいけない。
とはいえ、そこで「欲しがる」ことを止めてしまうと、現状の社会ではどうしても搾取される側に回ってしまうという部分がありまして、その辺はなんとも難しい話なんですが。
でもだからって何でもかんでも欲しがるのもこう、いい加減疲れるので、その辺うまくバランス取れるポイントが見つかればいいなぁ、と思います。
以上。オチはないです。
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