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優越感に苛まれる

毒舌注意⚠️

「すみれいど」は、いわゆる平均よりお勉強ができて、よく褒められて、そんなつもりなく目立ってしまう子だったんです。
100点とって褒められて嬉しいか?というと、別に嬉しくはないんですね。
フツーに授業を受けて、フツーに解答したら、100点だっただけだから。
だけれども、周りの大人がそれで喜んでいることは、嬉しかったですね。
お利口さんだとみんなが嬉しいんだ!と捉えて、お利口さんじゃない子に嫌悪感を抱いていたりもしました。
お利口さんじゃない子…例えば、掃除の時間にふざけて遊び始めるような子…に対して、最初は「なんで掃除の時間に掃除しないで遊び始めるの?」と謎でしたが、そのうち良くない!迷惑だ!と思うようになっていった気がします。

でも、どこかで彼らに対して羨ましさを感じてもいたんですね。
ちゃんと掃除しなよ!と言う時の上から目線な感じとか、先生に叱られている姿を見た時に内心ニヤッとしてしまうことへの不快感とか、うまく言語化できなかったけれど、違和感がありました。
これ以上褒めたり期待したりしないで欲しい!と思っていました。
お利口さんになりたいわけじゃないんだ!ということです。
褒められたくてやってるわけじゃねーし!みたいな🤣

掃除の時間だから、掃除をするのは間違いではないけれど、掃除をしたいか?というと別にしたいわけでもないし。
箒を手にしたらチャンバラごっこ(昭和〜!)をしてしまう男の子たちが羨ましいとか、チャンバラごっこが羨ましいのではなくて、チャンバラをしたくてしている、そのことに対して羨ましさを感じていたわけです。
やりたい!が来ている時に、素直にそれができることが、羨ましかったですね。

社会的には当然、掃除の時間には掃除をするのが正しいんです。
チャンバラ男子たちを見下して、正当な自分は優越である!という社会的立場を築いたことに苛まれていたんだな!ということを理解して言語化できるようになったのは、大人になってからです。
社会的に勝ち組になることを望んでいるわけではない!とハッキリしてからです。
より高い自分を目指すことで、成長していると思っていたし、社会はもっともっと良い社会に!と圧をかけてくるけれど、別に社会的立場を上げたいわけではないし、優秀な人材になりたいわけでもなく、ただ素直に生きたいだけ。
何者にもなりたくなかったわけです。

社会は概念です。
概念がどうでもいいわけでもなく、言語を使って思考を使う以上、概念世界というのは自然に生じます。
自動思考は反応的に生じるもので、それもまた自然にそうなってしまうだけ。
止める必要はないと思います。
無用の用というと言い過ぎでしょうか。
まぁアイドリングみたいなものですかね。

そのような「はたらき」だと理解しておくことだし「どうしたらいいかわからない」時には、それが答えなんです。
それ以上の答えがその時には出ないのに、同じところをグルグル思考を巡らせても疲れるだけなので、悩みになってしまうという感じです。
悩み始めたことに気づいたら散歩でも行くよろし!と言うのは、現状の最適解は「どうしたらいいかわからない」であるからして、それ以上の答えは過去のデータにはないのに、なんとか捻り出そうとしていることに気づいたらいいのになーということです。
気分転換を勧めているわけではありません。

概念の中に合わせにいこうとするから、無理が生じてしんどいだけです。
概念の世界だけど、概念を生じる前に、概念のない世界(唯一無二の知覚世界)がちゃんとあるってことが腹落ちすると、概念の世界が遊び場となり、だいぶ生きやすくなるのではないかな?と思います。
例えば、別にやりたくもない育成会役員ミッションも、一つの遊び場として楽しんじゃおう!という感じです。

もし、能動的に思考が現れ得る土壌を育てたい、つまり創造力が起こり得るスペースを空けたいと本当に願うなら、一旦は、いかに受動的であるか?を認めることだと思います。
歴史は繰り返さないが韻を踏んでしまうのは、同じところをグルグル回ってしまうから、だと思います。
いわゆるマインドの世界では、闘争か?逃走か?が延々と繰り返されます。
そのことにちゃんと絶望しないから、いつまでもマインドの世界で、対処療法的な救いを求めてなんとなく慰められて、また頑張って疲れて癒されて、というループを延々と彷徨うことになりません?
まぁお利口さんでいて、サバゲーの勝者を目指すのもアリです。
おバカだと絶望してしまうと、お気楽なんですよねーというだけの話です。

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