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それぞれの世界観

先日11歳の娘・ぴょんこが、お風呂上がりに身体を拭きながら、急にこんなことを言いました。
「ぴょんちゃんはねー神さまに頼まれて、人間として色々実験してくる係。〇んだら神さまに、報告するんだよ」。
オモロい世界観😁
ということで今日は世界観の話。
自分の世界観を大切にしたい人には、おすすめ致しかねます😁

多くの人は、自分が一つ命を所有していて、肉体寿命が尽きたらそれでおしまい!と捉えていると思うんですね。
長く健康に生きていたいし、生きる上で必要なことは確保したいし、社会的に優位でいたいし、(邪魔者は排除して)心地よく関われる人たちと一緒にいたい!って感じだと思います。
それがダメなのではありません。

よく「自分を信じて!」と言いますが、すみれいどは1人の人間である自分については、全く信じていません。
どうしようもないポンコツだと思います🤣
本当のあなたは光なんです!と言われて光を目指すのもいいですが、ポンコツハッピーな光です。
魂の声なんてものも、あいにく聴こえません。
誰かを通して魂の声を聴かないといけないものでも、ないと思います。

じゃあ何を信じて何を拠り所にしているのか?というと、拠り所を探したりより良い何かを目指さなくてもいいし、今ここ以外にどこにも向かう必要がないと腑に落ちたから、拠り所が気にならなくなったってことです。
必然に抗う気が起きなくなったからです。

生きにくさを抱えている(と捉えている)と、生きやすさを求めます。
あるいは、生きにくさを抱えた誰かを救いたい!とか〇〇の未来のために!とか、大切だからこそ、なんとかしたくなるわけです。
大切だ!という枠を設けた瞬間に、枠の外が同時に生じます。
何かを認識したと同時に、認識の外が生じます。
認識した時には、既に起こり終わっています。
これって、どうしようもない絶望だと思います🤣

無力な自分を責めるとか、虚しいとかそういう話ではないんです。
自分の力でやってきたと勘違いしてたけど、受動的でしかないことに気付き、どうしようもなさすぎてワロた!新喜劇バリにズコーっ!
そんな感じで、いつかどこかの素晴らしい何かを追いかける必要はない!とわかると、お気楽です。
もちろん、何かを追いかける経験も素晴らしいです。
なるべくしてそうなっていきます。
間違いようのない完璧さに、お手上げだからお気楽です。

全てが光に包まれて〜みたいなイメージを「至福」という言葉にくっつけて、そこを目指すのもアリなんですけれど。
どうしようもないんだな!という絶望こそ、すみれいど的には至福です😁
たった一度きりの唯一無二の自分の(誰かの)人生!として一生涯という枠の中を良くしたいと思うから、過去の傷を癒してみたり、魂の声を聴くワークをしてみたり、アファメーションしてみたり、満月にお財布を振ってみたり、などなど、色々やります。
どんなアプローチも、生きやすくなるのならOKだと思います。

何か問題がある度に、それを解決する方法を探します。
問題解決能力が上がれば上がるほど、問題の難易度が上がります。
それが成長だとか生きがいだとか思えるなら、それもOKです。
でも、それは無自覚にサバゲーに参加し続けるということです。
いつになったら、問題が全て解決するんでしょうか?

最初から、何も問題ではないということです。
アルファでありオメガであるというのは、そういうことで、永遠であるということです。
永遠というと、一般的には果てしなく時間が続くという意味合いですが、時間のないところだと思います。
ゼロであり無限大であるという感じです。
はてさて、時空を生じさせているのは、何者か?😁

今の社会システムの中で、できるだけオイシイ立ち位置を確保して、生き残りをかけたサバゲーをすることよりも。
全てが幻であるが故に、当たり前に「有る」と認識できていることこそが奇跡であり、「有る」「無い」を在らしめているもの、つまり神の依頼で人間やってる係という娘の世界観にニヤニヤしている方が、まぁ性に合うんですねーすみれいどは。

どんな「世界観という枠の中」で生きていても、永遠ではないし、固執する必要もない唯一無二のものであり、この次元では誰とも共有できないものです。
だからこそ、自由になりたいと思うのであれば、どんな世界観に無自覚に収まっているか?を点検することをお勧めします😁
うまくいかないと、うまくいかせるためにどうしたらいいんだ?と考えが走り始めます。
うまくいかせたい思いがなければ、問題にはなりません。
うまくいかせたい思いは、うまくいっていないと捉える時に生じます。
うまくいっていないという判断がなければ、問題にはなりません。

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