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余計なことをしない

「自分は一人の人間だ!」というのと、「自分は一人の人間として存在している!」というのでは、言葉は似ていますけど、違うんですね。
どちらかが正解というのは、ないです。
視点が違うだけです。

自分は一人の人間だ!の方は、自分に人生物語の舵取りがかかっている!という視点です。
自分は一人の人間として存在している!の方は、自分も現象であるという視点です。
ここではその話をよくしています。

現象には
・実体があるもの
・変化しないもの
・単体で存在するもの
というのは一つもない、ということです。
それを別の言葉で、幻想とか夢と表現されているだけで、現象は起きています。
一つも留まらずに、生滅を繰り返しています。
1時間前の自分が今もいたら、ホラーです。
生涯変わらず存在している「自分」というのは存在し得ないんです。
自分探しとか、自分らしくとか、自分軸とか、考えなくてもよくない?と思うんですよねー。
もちろん、幻想だからどうでもいいのではないし、何もしないのではないし、無関心でもないし、他人任せでもないんです。
人生物語を投げ出すのでも、ないんです。

パラドックスなんですけれど、自分らしさに囚われなくなると、結果的に個としての表現が、活きてくる気がします。
自然となるようになっていきます。
今やることをただやって、余計なことをしないっていうことです。

自然になるようになっていくというのは、例えば「梅干し漬けよう!」という意思が起きてくるなら、ただそれに従っていくということです。
「梅干し漬けよう!」という意思は、すみれいどが考えた結果ではなく、起きた意思なんです。
意思が起きてアクションするなら、その時にはそれ以外のことはしない、という感じです。 

梅は梅、塩は塩、容器は容器、重しは重し、すみれいどはすみれいど、それぞれの役割を果たすから、然るべきタイミングで梅酢が上がってくるんです。
最初は梅酢なんてなかったんですよ?
めっちゃミラクルじゃありません?
ちなみにすみれいどは、梅酢のために梅干しを漬けているぐらい、梅酢が好きです🤣

そして、梅酢が上がったら重しを外して、赤紫蘇を塩で揉んでアクを取って、梅と梅酢の入った容器の表面に、赤紫蘇を載せるんです。
梅雨明けしたら、天日干しをするんです。

余計なことをするというのは、重しをいつまでも載せておくだとか、梅雨明けまで待つしかないのに容器の中を掻き回してみたりだとか、1時間ごとに「いつ梅雨明けするんだろう?」と気象庁HPを見たりとか、そういうことです。

過剰な重みで梅の実が潰れかねませんし、下手にかき混ぜるとカビるんるんが来たりしますし、気象庁HPをしょっちゅうチェックすることで今やるべきことが疎かになったり、しますよね。
触らない。待つの❤️
(↑ブルゾンちえみ風に🤣)

写真は、赤紫蘇ジュースを作って、炭酸水で割って、型で凍らせたシャーベット。

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