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うまく創造できない?

願望実現がうまくいかない時の特徴として
今うまくいっていない→うまくいかせたい→どうしたらうまくいくだろうか?
というプロセスを辿ります。
うまくいくこともあるけれど、うまくいかないこともあり、うまくいかないと自分を責めたり横槍を入れた(と捉えた)誰かや環境を責めたり、しがちです。

本当にうまくいっていないですか?
うまくいくっていうのは、どういうことなんでしょうか?
ストレスがないこと?
主張が通ること?
予定通りにいくこと?
まずそこを、点検する方がいいと思います。

それで。
「うまくいっていないと判断している自分が問題!」と捉えると、「恐れか?愛か?」と問うて、「自分にはまだ恐れがあるんだな!」となり、今度は恐れを克服し始めます。
新たな問題解決に勤しむわけです。
恐れを克服するにはどうしたらいいんだ?とノウハウを探して、克服できなかった場合、克服できない自分を責めるっていう、責めループ。

恐れを手放せば、うまくいくって、本当でしょうか?
すみれいども、手放しとか内観とか気づいておくとか、やってきたんですけれど、辞めました🤣
というか止みました。
そもそも、恐れを握ることはできませんでした。
内観などはやってみてよかったなーとは思いますけれど「ちょ!待てよ?これいつまでやるねーん!」となりました。
際限なくないか?と。

良くない自分(あるいは他者や環境など)が良くなれば、うまくいくとか。
いわゆる負の感情や思考というものの息の根を止めたら、正だけが残るとか。
できるだけ波動をあげましょうとか。
うまくいかせたいと思うのは、自然だと思います。
人間だって、生き物だもの。
生きていたいし、生きるためには好条件を整えたくなりますよね。
自分が主人公の唯一無二のたった一度の人生!と捉えると、そうなるのが自然です。
それがしっくりくるなら、OKです。
もし違和感があるなら、今まで正しいと信じてきたことや数々の教えや常識に、自然と疑問が生じると思います。

Common sense is the collection of prejudices acquired by age 18.
アインシュタインの名言ですけれど、シャンプーで髪の毛を洗うなんて、割と最近の常識ですよね。
シャンプーがダメと言う意味ではなくて、いかに当たり前に無自覚に、常識に囚われているか?という例え話です。

うまく創造したいなら、なんとかする方法を探すのを辞めて、むしろスペースを空けて予定を空けて、余裕を作ることをおススメします。
当たり前に良いこととされてきたことに、違和感が生じるスペースが空かないと、新しいものが生じる隙がないということです。
昨日「暇してていい」と書いたのは、そういうことです😊
当たり前に習慣的に無自覚に反応的に、やっていることって本当にそうしたくてしていますか?ということです。
めっちゃ余計なことをしていますよービックリするぐらい🤣

人と会うな!と言われていた数年前、上沼恵美子さんが「テレビ収録が全てリモートになるなら、引退する!」とおっしゃっていました。
芸人さんは間(ま)を大切にしますけど、間つまりスペースがないと、創造力が働かないことを、ご存知なんだと思います。
ガッチガチに固まった土からは、芽吹きません。
創造をするのは、自分の力ではありません。
できることがあるとすれば、土を耕し、適切なタイミングで種を蒔くだけです。
実がなるに相応しい条件が整っていれば、然るべきタイミングで実がなります。

自分が創造主!願望実現!がダメとは言いませんが、エゴの欲求を満たすことには、際限がありません。
脳内マトリックスをエゴ好みにしたい、つまり心地よい心象風景を観ていたいのは、エゴの恐れから来ると思いますが、エゴは自分ではありません。

心象風景の向こう側から、創造が起きてくるんです。
0から∞までの可能性の海(強いていうなら本当の自分)から、それ以外にない完璧な波が立つって感じです。
波の願望実現より、海の完璧すぎる現象化にダメ出しが止むって感じ。

というのが、すみれいどの世界観です。
みんなはどんな世界観?😊

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