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うまいことできとるなぁ

昨日の続きです。
特定の宗教やメソッドをディスるつもりはありませんので、予めご了承ください。

「他責も自責もなく、思考の轍(思い込みや観念)に反応した!と気づくだけで、別の可能性に目を向けることができるようになり、結果的にコンフォートゾーンにあまりこだわらなくなります。
コンフォートゾーンが広がると言ってもいいですね。
西洋的なアプローチと言ってもいいかもしれません。」
と、昨日書きました。
「自分の考え方が悪いんだ!」「自分が悪いんだ!」と自責に走りがちな人には、反応的な受動的な思考だと理解するために、有効なのでは?と思ったんですよね。

「人生は自作自演、全ては自分次第!」でいけちゃう人は、それでいいんです。
そう聞いてトライしたものの、人生が好転せずに自責する人も、まぁまぁいらっしゃるのでね。
視点が変わると観え方は変わるよ?という提案をしてみました。

どの視点で人生物語を観ているのか?で、観え方は当然違ってきます。
人生物語の主人公?
脚本家?監督?演出家?照明?小道具?大道具?衣裳?カメラ?などなど、色々な視点があります。
冒頭の視点は、メタ認知とか客観視とか俯瞰と言われるものと、同系統の視点です。
観ている自分は物語の中に含まれていなくて、人生物語を上映中の映画館の観客のような視点です。
もしくは物語を作った側の視点です。

すみれいどは行動してナンボの実践派なので、これいいじゃん!と思ったことは、とりあえずやってみるんです。
2020年まで、冒頭で書いたことを8年ぐらいはやったと思います。
駄菓子菓子。
キッカケはある人の何気ない言葉ですが、これでは埒が明かないな!と思ったわけです。
詳細は書きませんが、一言で言うと、無限後退に陥るからです。
すみれいどは「足りない」の生じる原因を知りたかったわけで、創造主や全知全能の神になりたいわけではないからです。
もちろん、やってよかったとは思っていますし、やったから次のフェイズが観えてきたわけです。
間違いも無駄も失敗も、一つもないんです。
これは誰の人生についても、キッパリ言えることです。

2020年からのすったもんだがキッカケで、サラッと聖書を読んでみました。
物語を作った視点・観客の視点というのは神の視点とも言えるので、では神とは何か?と。
聖書は何百回と書き直されているらしいですけど、これを歴史書やシナリオとしている人たちの、パワーってすごいんだな!という感想です。

神の居場所が頂上だとしたら、ひたすらテッペンを目指すという感じで、一生かけて登りきれるのか?
今生で登りきれなかったら、また生まれてきてしまうのか?
もうこりごりなのだが🤣
原罪ってなんだよ?悔い改める?何を?
一体なんの罰ゲームだよ?ってなっちゃったんですよねえ。

8年も「これがいい」と思っていたことを辞めるのは、結構エネルギーがいるんですけど、違和感を無視できなかったんです。

後日談として、神話を読まない民族は途絶えるという歴史学者の説があり、ざけんな!と思って🤣古事記を読んでみました。
ある国際政治学者は、世界を八つの文明にわけています。
日本は単独で日本文明とされていて、日本国と日本文明が一致しているのはユニークだ!いう評価なんですよね。
言語と皇室が繋いでるのでは?と推察するわけですが、古事記から言霊学に出会うことになり、やっぱり日本語ってうまいことできとるなぁ!めっちゃ面白いな!となる副産物もありましたが、それはさておき。

それで面白かったのが、つい昨日のこと。
これを書きたいがための、ここまでまさかの前振りです🤣
原罪や悔い改めとは、そもそも何か?という答え合わせができたんです。
答え合わせするために観ていたわけではない動画で、です。
語源では、罪とはギリシャ語で「的を外す」、悔い改めるとは「視点を変える」だそうです。
うまいことできてますわ😁

次回「井戸はないけど井戸端会議」は
7/10(水)稲沢・KOU DOJOにて、焼肉弁当付き3000円です😊

リクエストがあれば、オンラインでもオフラインでも、上記日程以外でも、調整して開催します。
当面、井戸端会議は一回1000円(+飲食代等の実費ご負担)です。
詳細はインスタDMかメールでお問い合わせください。

インスタはsumire_idoで検索すれば出ると思います。
メアドは↓こちらです。
snack.sumire.mama@gmail.com

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