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戦闘モードを解除せよ

毒舌注意⚠️

「すみれいど」(まぁペンネームですけど)という名前のついた、1人の人間がいます。
周りの色々な人々や動植物や、石や土や無数の微生物や、
太陽や月や星々や、地球や空気や水や食べ物や、
もう会えないご先祖さまや、かつてのクラスメイトや友達や、
教わってきた知識や、過去のあんな経験こんな経験などなど
ありとあらゆるものの影響を受けて「すみれいど」になっています。
「すみれいど」以外のもので「すみれいど」は構成されています。
遺伝的なものもあるにせよ、人格形成に関わるのは多くは外的要因です。

その「すみれいど」が生きにくさを感じて、自由に自分らしく生きたい!と思って、悩むとします。
とにかく現状は、ストレスであると。
「すみれいど」は、過去や他者からのいただきものですから、その「すみれいど」視点から生きやすさを探すと、彷徨う羽目になりがちなのでは?と。
あんな自分になりたい!などの、想像上の理想とのギャップに悶える、とか。
ストレス解消に何かをして、とりあえず気を紛らす、とか。
それでは本質的な解決になっていないことに、うっすら気づきつつ、それをやっていることも、またストレス。

「ダメな自分」というレッテルを貼って、「良い自分」にしてくれそうな、誰かや何かや情報に縋ってしまったり。
引き寄せようとしたり願望実現しようとしたり、なんやかんややってもうまくいかない!と。

理想的な自分を目指していくことで、成長する喜びを感じているようで、それはなんというか「自分良くなってる感」に中毒してるのではないかな?と。
快楽物質ドバーっと出ていると、生き生きしている感じがしますけど、それめっちゃ戦闘モードですよ。

何かをできるようになることや、他者からいいね!ボタンを押してもらうことで、社会の中で有益な人物として生き残るための、サバイバルゲームで勝利したいのは、一体何者か?
足りないと評価しているから、何かを得たくなるんですよね。
足りないから欲しくなるわけですが、足りなさを生じさせているのは、何者か?ということです。

今の社会というのは、評価主義なので、そこで勝ち上がっていける人は、悩まないです。
楽しくお仕事したり良好な人間関係が築けるなら、それはそれでいいと思うんです。
グダグダ悩んでる暇があったら、とにかく実践!と言えるのは、強者の論理なんですよね。

例えばインフルエンサーのオンラインサロンに入って学んでみたりして、強者を目指すのもアリなんですけれど。
オンラインサロンで新しいスターが誕生する度に嫉妬するぐらいなら、誰かから生き方を教わらなくてもよかったんだ!ってなる方が(多分)簡単だと思います。

社会の中で活躍できない自分にダメ出しをしたり、頑張りが足りないから頑張り続けてしまったりして、結果的に心身ボロボロになっていくぐらいなら。

素晴らしい自分を目指したいんでしょうか?本当に。
ほとんどの人が、自分が人生の主役である!と思っているんだと思います。
自分というのは自分にとって、特別な存在ですよね。
みんなが自分を特別と思っているということは、誰も特別ではないということですけどね🤣

特別な自分でいることで、社会の一員として認めてもらえる、よって、生き残れる。
そう捉えて頑張ってより良い何かを目指してしまうのは、エゴたんのはたらきだと思います。

戦後の焼け野原から、復興のために頑張ってくれた先人には、感謝しかないですが。
もうこれ以上ないぐらい便利な社会で、争う必要はないですもん。

挑発してくるのは、外敵ではないです。
いわゆるセンソウヤでもないしシハイシャソウでもないですよ。
条件付けられたシステムの中で、グルグル回ってしまっているだけだと思います。

子どもの頃から、なんで人は争うんだろう?と考えていたんですけれど、明確に答えが出たのは割と最近です。
戦争反対!とか平和を祈るとか、それでは止まないんです。
戦いはよくないから!と表面的な調和を装うために作り笑顔で対処して、ストレスを貯めて何かで発散することでは、解決しませんよね。

当たり前にやっていることが、無自覚な戦いであるという気づきがないと、何度でも戦いに挑み続けます。
勝利の美酒に酔うことを目標にしている以上、戦いは今後も続きます。

それでホンマにええのん?

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