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言葉にしてやられる

昨日の続きです。

人間には物語を紡ぐスペックがあって、時に重苦しい物語になるわけですが、どうしたら物語を紡がずに済むか?というのは、無理な相談なんですね。
なぜなら、自然に始まってしまうからです。

人生自作自演!自分次第!でいけるなら、それでいいんです。
人生物語がうまくいかないな!と思うと、どうやってうまく紡げるか?とノウハウを探し始めるか、うまくいかない原因を探し始める傾向が強いんですが。

そもそも幸せとは?自分とは?人生物語とは?を確認してみてはどうでしょうか?という提案を「お気楽トークセッション」や「井戸はないけど井戸端会議」や、ここでしています。

例えば、テレビで「東海地方は梅雨入りしました」というニュースを見たとします。
「どうりで蒸し暑いわなぁ」
「雨が続くのかぁ〜鬱陶しいなぁ」
「例年より早いの?遅いの?」
「あ!傘の留め金、外れてたんだった!」
「直せるのかなあれ?」
「いっそ新しい傘を買おうかな?」
とかとか、何かしら出てくると思うんです。

「東海地方梅雨入り」をお題として、勝手に大喜利が始まってしまうようなものです。
数珠繋ぎというか、連想ゲームというか。

何を言いたいか?というと、思考の連想ゲームを、自分でやっていると言えるかな?ということです。
「どうりで蒸し暑いわなぁ」が出てくるためには、梅雨を知っている必要があるわけです。
いつ「梅雨とはこういうものである」と学習したか?は、もはやわからないです。
「梅雨」にまつわる記憶も、あります。
思考の元ネタが、他者からの教えとか過去の経験に基づいているんですよね。

それを自分の考えと言っていいですか?
自分で選択して決定して「どうりで蒸し暑いわなぁ」と言葉にしていますか?ということです。
「東海地方は梅雨入りしました」という情報に、反応しただけではないですか?ということです。

辛い悲しい経験が多いと信じている人は「どうせ何をやってもダメな自分」が主役の人生物語を紡ぎがち。
心理学では親との関係性を重視しますし、身体の癖についても三代前である祖母の傾向を観たりします。
「どうせ何をやってもダメな自分」が育まれてきた原因を、過去に探すわけですね。

だけど、過去を振り返ることも、なかなかの苦行です。
恩寵になる人もいれば、やっぱり自分はダメなんだ!を強める場合もあるんですよね。
何を言っても、誰かを救ったり凹ませたりしてしまうんですね。
言葉で何かを伝えるのは、本当に難しいです。
でも、伝えたいから伝えます🤣

人生物語が幸せではない原因や人生物語を幸せにする方法を探すよりも、人生物語が生じ始めた経緯をたどってみてはどうでしょうか?という提案です。
自分次第!と言われてもうまくいかなくて、さらなる自責に走るぐらいなら。

「どうせ何をやってもダメな自分」なんてものは、存在し得ないんですよ。
そのような評価にとっ捕まっているような気がするだけ。
いつかの誰かや自分の言葉に、してやられているだけです。
言葉は、祝にも呪にもなり得ます。
呪縛を解きつつ、ストンと腑に落ちたら、腹を括ってかつお気楽に「すみれいど人生物語」を、自然に経験できると思います。

✨次回「井戸はないけど井戸端会議」は
7/10(水)稲沢・KOU DOJOにて、焼肉弁当付き3000円です😊
リクエストがあれば、オンラインでもオフラインでも、上記日程以外でも、調整して開催します。
当面、井戸端会議は一回1000円(+飲食代等の実費ご負担)です。
詳細はインスタDMかメールでお問い合わせください。

インスタはsumire_idoで検索すれば出ると思います。
メアドは↓こちらです。
snack.sumire.mama@gmail.com


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