続・青いエアメール・アエログラム

 フランソワ・トリュフォー監督作品の中には、しばしば手紙が登場する。その手紙は、言葉よりもときに饒舌だ。そして、ナレーションに導かれて呼び覚まされ、立ち上がる感情は、言葉よりも豊かでデリケートだ。
 そして、トリュフォーの作品に限らず、フランス映画は手紙の使い方が実にうまく、心にくいほどだ。
 フランス映画と言えば、エリック・ロメール監督の『冬物語』の中に、こんなセリフがある。

 Je suis une fille
 Introuvable


 愛する人との別れ際、自分の住所を言い間違えた女性は、そのまま恋人と再会できないでいる。母親は旧姓を名乗り、姉妹たちは夫の姓を名乗っていて、自分は常に居候の身分。そんなこんなで、恋人は自分の居場所を探し出せないでいるのだ、そう考える彼女は、5年経ってもまだ、恋人との再会を夢みている。だから言うのだ。

 私は見つけにくい女の子なの。

 アドレスは誰かと自分を結びつけるためのキイワードのひとつだ。もちろん、誰かに自分を見つけ出してもらうためのキイワードでもある。だから、愛する人からの手紙を待ちわび、その願いが果たされないでいる女の子は、みんなこんな風に思うのではないだろうか。

 私は見つけにくい女の子なの。

 もっとも、現代のようにSNSが発達した世の中は、簡単に見つけられてしまう、のかもしれないが。

 手紙も、手紙の周辺にある物語もすてき。手紙を書いたという記憶も、手紙をもらったという記憶もまたすてき。
 そして、この青いエアメールは、私には特別。何を書いたのか、今となっては殆ど思い出せないが、青いエアメールは海を渡り、私の大切な人たちのもとへ届いたはずだ。
 巴里で過していると、ちょっぴりすてきだったり、ロマンティックだったり、ちょっぴりセンチメンタルだったり……こういうでりけーろな気持ちを誰に話せばいいのかな、誰かに話したいな、と思う瞬間がたくさんある。で、アエログラムなのである。
 アエログラム・スィル・ヴ・プレ。
 私にとってこの言葉は、巴里のすてきな思い出のひと粒。アエログラムがなかったら、巴里での日々は、私の記憶は、味気ないものになっていただろう。陸と陸との間に横たわる青い海のように、私と大切な人を結び付けてくれたもの、それが私にとってのアエログラムだったのだ。

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