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私の移動祝祭日

“If you are lucky enough to have lived in Paris as a young man, then wherever you go for the rest of your life, it stays with you, for Paris is a moveable feast.” -Ernest Hemingway to a friend, 1950

 ヘミングウェイの『移動祝祭日』のこのフレーズと、”A Good Café on the Place St.-Michel”を、これまで何度読み返しただろうと思う。
 いつだったか、アメリカ人の友人にこの本をすすめたことがある。彼はこの本を読んだことがなかったらしかったが、「彼の本はいつも少し気取っていて、しかも僕は彼の楽しい本を読んだことがない」とつまらなさそうに言った。そこで『移動祝祭日』のことを、何故私が心惹かれるのかを説明したが、果たして通じたかどうか。
 或る日の午後、ノートルダム寺院のそばのカフェで珈琲を飲みながら、人はどうして巴里に魅せられるのだろう、そして、森茉莉は、一年足らずの巴里滞在をどうしてあそこまで宝物に出来たのだろう、そんなことをぼんやりと考えていた。
 そのとき私は、ヘミングウェイの『移動祝祭日』のフレーズを思い出した。そして、そうだ、この本は巴里で読むことこそふさわしい、と思い立ち、カフェを出てシェイクスピア書店に向かったが、この本は売れ筋らしく、その日は売り切れていた。だが、知人に教えてもらって、サン・ミッシェルの小さな路地にある書店に行ってみたところ、在庫があったので早速購入した(95F 当時は2000円弱)。
 帰り道、再びカフェに立ち寄って珈琲をオーダーし、一時間程この本を読み耽った。
 ヘミングウェイがカフェオーレをオーダーし、ポケットからノートとペンを取り出して書き始めるくだり、美しい女性がカフェに入って来るくだり……。彼の他の本は読んだことがなく、この一冊だけが私にとってのヘミングウェイなのだが、何度読んでも、この本にはそのたびに魅せられるのである。
 
 幸運にも、森茉莉は若き日に巴里に住んだ。だから、その後の人生がどうであったとしても、そして、二度と巴里に行くことがなかったとしても、巴里での幸福な記憶は彼女の人生についてまわり、宝物のような記憶として彼女を支え続けた。なぜなら、巴里は移動祝祭日なのだから。

 巴里の景色の中で、珈琲と一緒に静かにこの本を読み終えた後、私は長い手紙を先の友人宛に書いた。そして、カフェを出た私は、落葉の舞うサン・ミッシェル大通りを歩いて郵便局に行き、巴里のことを綴った手紙を入れた封筒にこの本を入れ、ポストに投函したのだった。

"It was a pleasant café, warm and clean and friendly, and I hung up my old waterproof on the coat rack to dry and put my worn and weathered felt hat on the rack above the bench and ordered a café au lait. The waiter brought it and I took out a notebook from the pocket of the coat and a pencil and started to write.”  ─A Moveable Feast By Ernest Hemingway



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