母にドライヤーをかけてあげたいと思った朝の話

私がお風呂上りにドライヤーをあてるようになったのは、実家を出て数年した後の頃だった。

それまで私は、自分の髪を何度朝くしけずっても常に横から暴風を当てられているような形状記憶剛毛だと信じていた。
髪をなるべく長く伸ばして自重によって直毛めいた雰囲気を醸し出したり、あるいはさっさとヘアゴムとくるりんぱでアレンジしては、さらさらと艶やかなショートヘアは選ばれし民の特権だと信じ込んでいたのだ。

しかし何のことはなく、風呂上りにドライヤーをして、シャンプーを変えたらあっさり愛らしい内巻きのボブが維持できた。
今この髪型をとても気に入っている。

ドライヤーをするようになったきっかけは覚えていない。
たんにロングヘアの時にたまたま冬が来て、寒い思いをするようになったから当てるようになったのか、あるいは簡単に髪が乾く方法を知ったからなのか。
ソシャゲにはまって、レベリングしている間に髪を乾かせば暇でなくなると気付いたからなのか、ロングヘアの恩恵にあずかった結果、形状記憶剛毛のことを忘れ、気まぐれでショートにした時に、その乾きやすさに感動して習慣化したのか。

ともかく気付けば私は当然のように風呂上りにドライヤーをあてるようになったし、お陰で横からの暴風を受け続けているような頭と縁を切った。

こんな簡単なことだったんだ、と鏡の中の自分を見つめてあっけなさにまばたきした。
鏡の中の自分としばらく見つめ合うまで、むしろ意識すらしていなかった。
ただたまたま思い出したのだ、そういえば私はくせ毛だった、と。

何故そうなったかと思い返せば、完全に育った家庭の影響だとしか言えない。
母は風呂上りにドライヤーを当てる習慣がなかった。今もおそらくない。
だから子供にもあてなかった。それだけの話だ。

手間暇をかけられなかった子供だったのだと恨む気持ちはまったくない。
私の家は年の近い三兄妹で、しかも父は留守がちでほぼ母のワンオペだった。
目の回るような猛烈な子育て時代を過ごす中で、風呂上がりのひと手間であるドライヤーの存在を忘れ去ったとして誰が責められようか。
そして、Twitterなどがなかった時代のこと、ドライヤーの存在を思い出させてくれるものなどなかったのだろう。

幼い頃、母は苦労人だった。
祖母がお嬢様育ちだったために母に家事負担が回って来て、相当苦労したらしい。
今と違って家族の人数も多かった。母は長女で小さな主婦で、小間使いのように走り回っていたのだと、昔から事あるごとに愚痴っていた。
(複数の親戚に聞いて裏を取ったので、母が話を盛っている可能性はあるにせよ、それなりに信憑性は高い)

五十を超えた今ですら、その少女時代は母に片鱗を残している。
自分がメイクなどをして美しくなるという行為に、劣等感と罪悪感と憧れを抱き、その方法もわからぬまま迷走するような雰囲気。

母の空気と自意識は、高校のころ、妖怪のように長い髪をして、お洒落に対してすさまじい憧れと劣等感を混然一体とし、蹲りながら欲しがっていた私の目に痛いほど透けて見える。

私の髪は今、滑らかで艶のある内巻きのボブだ。
コテをあてて巻くことも、もう少しのびたらヘアアレンジすることも可能だ。
自分に似合う色を知っているし、自分の肌に合わせて六種類の下地を使ってメイクすることができる。

私は私を生んだ時の母の年齢をとうに越して未だ独身の私は、だからそこはかとない罪悪感と共に思う。

もしも時間を越えられたら、幼い母の髪にドライヤーをあててやりたい。
きっと私達、髪質がよく似ているはずだから。


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