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バウムガルテン『美学』とは何か:イメージの論理学

/〈理性〉は、万人万物に共通であり、理神論として、マクロコスモスである世界をも統一支配している。しかし、その大半は深い闇の向こうにあって、人間の知性の及ぶところではない。だが、人が、徳として、どんなイメージをも取り込む偉大な精神、感識的地平をみずから持とうとするならば、その総体、イメージ世界は、神の壮大な摂理をも予感する、理性の似姿、〈疑似理性(analogon rationis)〉となる。/

はじめに

 バウムガルテン。《美学》の嚆矢として、どの教科書にもかならずその名が載っているにもかかわらず、その解説となると、どれもはなはだ心許ない。これは日本だからではなく、世界でも同じだ。なぜこんなことになってしまっているのか。

 まず第一に、これが古いラテン語で書かれていること。第二に、とてつもない大著なくせに、結局、未完のままで、全体像がわかりにくいこと。第三に、バウムガルテンが依拠していた幅広い古典教養(煩雑回避のため、彼はこれを本に書かず、講義で口頭で説明していた)が見失われ、芸術と科学が分断されたこと。

 くわえて厄介なのが、新カント派以降の大学哲学の定式化で、術語にカント的な解釈がこびりつき、また、なまじラテン語と似た現代欧米語が多いせいで、その現代語の意味でラテン語を読んでしまうこと。ことに日本では、古い仏教語を転用して妙な哲学語を確立してしまったために、よけいややこしい。

 たとえば、「修辞学」。漢語としては、言葉を飾りつける学、という意味だが、西洋古典の伝統からすれば、レートリケー(ρητορική)は、演説術学、広く人々に語りかける方法、を意味する。また、アリストテレスの著作として知られるポイエティケー(ποιητική)も、作る(ポイエオー、ποιέω)術、つまり、創作術学という広い意味で、実際には演劇創作が論じられているにも関わらず、詩(poem)や詩人(poet)という現代英語に引っ張られ、「詩学」などという訳が定着してしまっている。

 そもそも、「美学」の名からしてそうだ。今日、エステサロンなど、現代語でも広く使われているが、原語の「Aesthetica」は、ただ、感覚(αἰσθητός )の術学、というだけで、美という意味は含んでいない。

 バウムガルテンを《美学》の嚆矢とする、ということからして、じつはかなり怪しい。彼の美学は、キケロやホラティウス、アルベルティらの《演説術学》や《創作術学》の系譜に乗っており、その前提抜きには理解できない。だから、バウムガルテンがわからない、という問題は、一つの著作、一つの学者の文献を徹底的に読み込んで、その内的連関を理解し、その学者のイタコ的専門代弁者となる、という、近代の「タコ壺型哲学研究」の限界を指し示すものでもある。

 じつは今年度、大学のゼミで一年間、この『美学』を講読した。成城や玉川、東大や藝大と不思議と御縁のある松尾大(ひろし)先生が1987年に翻訳なさって以来、これに深く関心を寄せ、『エンターテイメント映画の文法』2005を上梓。しかし、これがバウムガルテンの顰みであることを御理解いただけたのは、松尾先生だけだったのではないか。そして、この数年来また、バウムガルテンを参考に、物語の創作術学、とくにそれが内包するイメージの《論理学》に関する研究を続けている。しかし、学生たちとあらためて読み直すと、数々の気づきがあったので、忘れないうちに、それをまとめておこう。

バウムガルテンの時代と課題

 バウムガルテン(1714~62)は、18世紀プロシア、オーデル川フランクフルト大学の教授。これは、大都会のマイン川フランクルト市とは同名別地で、現ポーランド国境にある伝統的な大学町。とはいえ、バウムガルテンの存命中、七年戦争(1756~63)で戦火に見舞われ、ナポレオン戦争で閉鎖され、その後は寂れる一方。いまは六万人もいない。まるでバウムガルテンの評価を象徴するかのようだ。

 ともあれ、彼は、当時は一流大学の筆頭学者だった。その彼が1750年に出版したのが、『美学』。フランスではルイ15世が、オーストリアではマリア・テレジアが絶対的な権勢を拡げ、オーデル川フランクフルト大学を持つプロイセンのフリードリッヒ二世が啓蒙専制君主として大国の間で腐心していた時代。文化では、貴族的で壮麗なバロック様式が終わり、アカデミーの芸術支配の下、小市民的で柔弱なロココ様式が人気となった。音楽でも、ヘンデルやバッハのような豪胆な大作曲家の時代から、ハイドンのような、やはりこじんまりとまとまった曲が流行。文芸においても、小さな皮肉を好む啓蒙主義者の小説が中心。

 学術的には、18世紀は、事典の時代、と言える。フリーメイソン的な博物趣味が昂じ、国家的・国民的啓蒙事業として、その集大成が図られた。小市民的に、ありきたりのものまで、ちまちま収集し、分類し、説明して、悦に入る。フランス語学士院が40年かかりで『フランス語辞典』1694を出したのに続いて、書店主サミュエル・ジョンソンが、わかりきったような日常的な言葉まで集めて説明する本格的な辞書『英語辞典』1755を独力で完成。百科全書派はもちろん、リンネが全植物の分類体系を整え、そして、バウムガルテンも、哲学的百科事典を作る野望を抱いていた。

 このころのプロシアの哲学状況と言えば、ベルリン科学アカデミー初代会長、ライプニッツ(1646~1716)の一派が主流だった。とはいえ、その中心のヴォルフ(1679~1754)が無神論者として一時的に追放されており、1740年、代わりにオーデル川フランクフルト大学に推挙されたのが、バウムガルテン。ヴォルフも、同年、ハレ大学に復帰、後にその学長になっている。半世紀後にカントが広大な実践領域を提示して哲学を根本からひっくり返すまで、彼らは、哲学体系は完成まであと一歩、と信じていた。

 19世紀末の新カント派によって、《英国経験主義》vs《大陸合理主義》、と言われてきたが、ニュートン(1642~1727)が英国にあって合理主義者であり、また、ヴォルフが英国の王立協会の会員であったように、ラテン語を共通学術語とする当時の哲学者たちの国際交流は繁く、近年、この両主義の断絶は否定されている。むしろ、この時代、英国も大陸も、《理神論》が共通に信奉されていた。

 それは、無機的な理性ないし論理、つまり合理性が世界を統一支配している、という世界観である。それは、世界を善なる人格神が支配している、などというキリスト教的世界観に代わるものだが、もともと《理神論》は、キリスト教以前の古代に生まれた。ただし、それは、むしろ擬人的で有機的な世界観に基づいていた。

 世界には、なにか統一的な合理性がある、というアナクサゴラスらの発見から、世界は、その統一的な合理性を意志的に保つような、人間と同じ〈心(ヌース、νοος)〉があるのではないか、とされ、世界は「神」とも呼ばれた。そして、その統一的合理性を「ロゴス(λόγος、関連 )」と言う。これは「まとめる(レゴ-、λέγω)」の受動名詞で、まとめられたもの、を意味し、ピュタゴラスやヘラクレイトスの考えたような調和などの概念をも含む。

 この古代ギリシア語の「ロゴス」には、その後、ラテン語で「ラティオ(ratio、関連)」が当てられたが、料理の「レシピ」という言葉のように、これもまた、もともとは調和のような広い概念も含んでいた。ところが、その後、真理を追う緻密な《論理学》の発展に引っ張られ、厳密な同一性を保った演繹展開に限定されていき、ロゴスは今日で言う〈論理〉、ラティオは〈理性〉のようなものに限定されて、その本来の、ただ、心でまとめられたもの、というような緩い意味が失われ、調和などの広い概念も排除されてしまう。

 いずれにせよ、ロゴスも、ラティオも、世界というマクロコスモスと、人間の心というミクロコスモスの相同性を前提としており、デカルトが、〈理性〉は万人に平等であり真理の根拠である、とするのも、世界の合理性は万人の心の合理性と同一共通で、心において合理的である物事は、世界においても合理的である、という発想に基づく。

 しかるに、我々の知の中には、占いのように、合理性のよくわからない物事が少なくない。そもそも、合理性重視に徹すると、具体的なもの(物理的なもの)と抽象的なもの(心理的なもの)の断絶、というデカルト以来の《物心二元論》に引っかかって、具体的なものの認識がすべて危うくなってしまう。そこで、経験主義者のFベーコン(1561~1626)は、これの知は経験の蓄積と《帰納法》によって精緻化される、とし、ロック(1632~1704)に至っては、経験によらない知など無い、心は〈白紙(タブララサ)〉で、人間に天然の理性など無い、とまで言った。

 これに対し、スピノザは、『エチカ』1677などで、《物心並行論》を唱えた。世界の物事と、心の思念は、それぞれ同じ神を反映することで、接触無しに並行一致する、というその考えは、世界というマクロコスモスと、人間の心というミクロコスモスの合理性の相同性に基づく。そして、ライプニッツは、『モナド論』(出版1720)で、これをさらに拡張し、〈理性〉を持つ心は、「窓」無しに、マクロコスモスの様相を内的に反映し、また、相互にも調和する、とした。つまり、心と心も、接触無しに、以心伝心で、その思念を共感できる、ことになった。

 では、〈理性〉無き犬畜生などはどうか。ライプニッツは、〈理性〉の代わりに、記憶との類似だけで、ただちに過去の感情を惹起させる連想メカニズムを備えている、とし、ヴォルフは、これを「疑似理性(analogon rationis)」と呼んだ(『理性的心理学』1734)。これは、ヒュームの言う「恒常的連接(constant conjunction)」の〈連想〉と同じものだろう(『人間本性論』1739)。ただしこの思念の〈つながり〉は、合理的な因果ではなく、あくまで、つながりの主観的な信念にすぎない。

 すでに、世界と万人に同一共通の〈理性〉に基づく真理の発見方法、《論理学》は、ほぼ完成している。となると、哲学百科事典としてその大系をめざすバウムガルテンに課せられた問題は、それ以下の雑多なものを扱う「下位認識能力(facultas cognoscitiva inferior)」全般の解明であった。しかし、その対象は、外的な感覚や知見のみならず、内的な想像や洞察、記憶、予見などをも含む。彼は、これらを、〈思念(cognitio)〉と言い、さらにラテン語より古いギリシア語を引っ張り出してきて、〈感識(アイステーシス、αἴσθησις)〉と呼んだ。今日的な言葉で言えば、広く「イメージ」というのが適当だろう。

(「イメージ」は、本来は、似姿、という意味である。しかし、思念にせよ、感識にせよ、何かの物事についてのもの、という志向性があり、それにバウムガルテンは着目しているので、似ているかどうかはともかく、何かの物事を内的にイメージする、という意味で、この訳語であながち外れてはいまい。)

バウムガルテンの企図:イメージの論理学

 今日、日本で「美学」と訳されている原語は、Aesthetica、すなわち、広く、感識(イメージ)の術学、ということ。当時、《科学革命》の時代にあって、世界の実在、〈である〉物事の領域の研究が大々的に始まっていた。これに対し、バウムガルテンは、むしろデカルトが世界の物事以上に実在的であるとした心の思念、〈と思われる〉物事の領域、心の中のイメージの世界を研究しようとした。

 しかし、イメージなどというものは、主観的で雑多すぎる。これに理性の《論理学》を、そのまま当てはめて、その真偽を論じて済ますことはできない。そこで、それを術学とするに当たって、バウムガルテンは、正しい、ないし、良いイメージの基準として、美を立てた。つまり、理性による知識の術学、《論理学》が、〈真理〉を基準とするように、感性(感識の能力)によるイメージの術学、《感識術学》は、〈美(プルクリチュード、pulcritudo)〉を基準とする、とされた。

 ここから、《感識術学》は〈美〉の学ともなった。ただし、これは、美しいモノの解明ではない。自然の風景美も、芸術の作品美も、とりあえず直接には関係が無い。ここで問題なのは、あくまで内的な感識、「美しく思い続けること(pulcre cogitando)」としての、イメージを想念する〈美〉である。

 では、彼の言うイメージの〈美〉とは何か。彼によれば、それは、完全(perfectio)、であり、協感(consensus)が成り立っている、とされる。しかし、となると、それは必然的に複数の部分(pars、要素や色合)を含む混成(コンフーサ、confusa)である。(ただし、コンフーサは、英語に引っ張られた混乱というような否定的な意味はなく、協感ということと矛盾しない。)この混成がうまくいっているとき、そこに協感が成り立ち、イメージは、複合的ながら、統一され、完全なものとなる。

 彼は、《感識術学》は、理性の《論理学》の下位のものになると考えていたが、先述のように《論理学》はすでに精緻厳密化しており、その対象は、〈明晰判明(clara et distincta)〉でなければならない、とされていた。だから、明晰であっても混成である美しいイメージの考察に、そのまま《論理学》は使えない。

(〈明晰〉とは、言及対象が明確であること。〈判明〉とは、その言及対象が何であるか、単純であること。とくに後者が日本語訳ではわかりにくいが、tinguoは、チントやインクの語源であるように、染める、ということ。したがって、dis-tincta というのは、他のものに染められていない独立単色のもの。逆に言うと、コンフーサは、複数のもので染まり合っている、ということになる。)

 そこで、彼が《論理学》に代えて持ち出してきたのが、《演説術学》だった。それは、紀元1世紀の教育家クインティリアヌスによって体系的にほぼ完成し、宗教改革で論争激しい1500年ころ、エラスムスらがこれを活用。その後、学生の基礎教養である自由学芸七科目の一つとなるも、上位の哲学がこれらの中で、マクロコスモス(世界)の〈理性〉とミクロコスモス(人間)の〈理性〉の同一共通性を探究する《論理学》を重視し、また、絶対王政下にあって民衆に演説する機会も無かったために、《演説術学》は脇に追いやられ、くわえて、おりからの小市民ロココ的な収集分類趣味によって、これまでの演説の諸趣巧(figura)の収集分類に矮小化され、いわゆる「修辞学」に堕していた。

 もっとも、《演説術学》を芸術に応用しよう、というアイディアは、古くからある。言葉による演説と同様、視覚や聴覚を駆使する芸術もまた、古来、観客の理解を促すための手段として、政治的に利用されてきており、とくに演説と語り画(pictura historia、神話や歴史のクライマックスの場面を描いた大型絵画)の親縁性は、古代から注目されてきた。たとえば、古代ギリシア、アテネ最盛期の芸術家フィディアスが、自分はホメロスから学んだ、と言い、逆に、古代ローマの政治家キケロは、演説術学は現実の素材から理想のイメージを着想するゼウクシスの絵画製作の方法に倣う、とし、さらに詩人ホラティウスは「詩は絵のように(ut pictura poesis)」という標語を打ち立て、これが近世では「絵も詩のように」と対にされた。また、ルネサンス最盛期、古典主義の時代、最初の万能人、アルベルティ(1404~72)も、『絵画論』1435などにおいて、《演説術学》の構成まで建築や絵画に応用することを試みている。

 《演説術学》は、着想論(inventio)・配置論(dispositio)・表現論(elocutio)から成り立っている。演者がイメージ(知覚、perceptio)を着想、これを線形順序にブレイクダウン、実際の言葉を介して観客が演者のイメージを内的に再生させる。近代の構造主義の《記号論》が、死せる記号列の物理的で客観的な位置関係にのみ拘泥するのに対し、《演説術学》は、演者のイメージを観客に伝達複写することに重点が置かれており、実際の演説の言葉そのものは、そのための手段にすぎない。したがって、イソクラテスの「民族祭典演説(パナギュリコス)」BC380のようなエモーショナルで韻律に富んだ詩歌美文も、デモステネスの「フィリッポス(反マケドニア)論」BC351のようなフィリピックで悪態だらけの罵詈雑言も、演者のイメージが観客に伝わり、強く印象づけられるなら、演説として、あり、ということにもなる。

 《感識術学》、イメージの《論理学》に相当するものを求めるバウムガルテンは、《演説術学》の中でも、主題(thema)の着想論しか必要ではなかった。まして、表現論に矮小化され、実際の言葉のこねくり回しに終始していた、当時の「修辞学」は論外。ところが、伝統的で重厚な《演説術学》に利用しようとするうちに、当初の課題だった哲学的百科事典としての感識一般の理論など忘れ去られ、彼の大著は、逆に、美しいイメージの配置論や表現論、つまり、美の演説、芸術の術学、その実践的方法論にまで、構想がズレていってしまう。

書かれた『美学』:イメージの厳選

 もっとも、結核の病状悪化で、実際に書かれたのは、イメージの着想論の、それも理論編のみ。それでも、けっこうな大著であり、その構想は以下の七章仕立てになっている。

   第一章 イメージ美一般について
   第二章 ①感識術的な豊富(ubertas)
   第三章 ②感識術的な偉大(magnitudo)
   第四章 ③感識術的な真実(veritas) 以上、第一巻
   第五章 ④感識術的な光(明晰、claritas)
   第六章 ⑤感識術的な説得(直明、evidentia) 以上、第二巻
  (第七章 ⑥感識術的なイメージ生命(vita) 未執筆)

 第一章の第一節「イメージ(cognitio)美」では、美とは〈協感(concensus)〉である、とされる。この〈協感〉は、二つのレベルから成る。一つは、関係的なもので、Ⓐ素材(materia、res)とそのイメージ化(cognitation)における協感、Ⓑ順序(ordo)と配置(disposition)における協感、Ⓒ記号化(signification)における協感、の三つが挙げられている。これは、《演説術学》における着想論・配置論・表現論に対応するもの。ここで着目すべきは、その美は物事内部の協感ではなく、そのイメージ化との協感である、とされていること。それゆえ、バウムガルテンは、醜いものも美しくイメージされ、また、美しいものも醜くイメージされうる、と注意している。

 〈協感〉のもう一つのレベルは、質的なもので、Ⓐ素材とそのイメージ化における協感が成り立っている上で、①豊富、②偉大、③真実、④明晰、⑤直明、⑥生命、の協感も協調的に成り立っているときに、そのイメージは完全になり、美しくなる、とされる。もとよりバウムガルテンのめざすところは、イメージの《論理学》として、正しい、良い、つまり、美しいイメージとはどうあるべきか、であるから、この六つが、この『美学』という本の中心となる。

 これに続く第一章の残りの部分では、天賦の才ある〈感識者(アェステティクス、aesthetix(バウムガルテンの造語))〉のみが、訓練と勉学と衝動、そして推敲によって、美しいイメージを手に入れることができる、とされる。ここだけ見ても、完全な感識、すなわち、美しくイメージすること、に話を絞ったせいで、人間一般の感識全般の解明、という本来の課題から、すでに大きく逸れてしまっていることがわかる。

 そもそも、彼がイメージと言っているものは、どんなものなのか。それは、表現や配置以前の着想段階でひらめいたアイディアであり、言葉や絵画、音楽などの記号化以前のもの、それどころか、順序や配置さえ未分化の無時間的な原型である。あえて説明すれば、ワンアクションの語り画のようなキーコンセプト、たとえば、乞食が王女を救う、とか、運命が扉を叩く、とか。ただし、このワンアクション・アイディアそのものが、すでに複数のイメージの混成であり、バウムガルテンは、通俗的な「修辞学」の〈語り趣巧(figura dictionis)〉も、その本質は感識の混成における〈感じ趣巧(figura sententiae)〉である、と見なす。

 そして、本論に当たるのが、第二章以降。ここで、①豊富、②偉大、③真実、④明晰、⑤直明、(そして、書かれなかった⑥生命)が、それぞれの章で論じられる。のだが、この六つがどこから出てきたのか、どうしてこれらがあればイメージが完全で美しいと言えるのか、そもそも、これら相互がどういう関係にあるのか、総論的な説明が第一章第一節の羅列以外に無いのだ。ただ、どうもこれらは、イメージを美しくする並列的条件、というわけではなさそうだ。わざわざ、これらすべてに「感識術的」と付されていることからして、感識術を用いて素材を美しくイメージするに当たって順にチェックしていくべき階梯、と見なすべきだろう。

 となると、六つの階梯は、そのアイディアの良否美醜の可能性の着想・吟味・洗練の方法、ということになる。ここにおいて、着想や吟味、洗練の作業という展開のせいで、本来は無時間的(作品としての表現の順序配置以前の)なアイディアそのものが時間的に展開しているかのような誤解を生じやすい。

 また、ひらめいたアイディアからして、複数素材の混成であるだけでなく、くわえて感識者のイメージ化の仕方の影響も受けている。だから、そのアイディアは、《論理学》が扱うような客観的に自立している判明(distincta)な対象ではなく、混成素材がさらに感識者によって染められたもの、つまり、二重の混成(confusa)であり、バウムガルテンによれば、むしろそれらの素材の選び方や、感識者のその染め方にうまく協感が成り立つかどうか、が良否美醜の決め手となり、ここに多面的で交差的なチェックが必要になる。

 さて、この六つの階梯において、まず最初に、このワンアクションのアイディアが、そこの中に混成として詰め込まれるべき多種多様なイメージのキーコンセプトとして使えるかどうか、が問われる。それが①豊富のチェックだろう。ここにおいて、バウムガルテンは、理性の厳密な〈論理的地平(horizon logicum)〉に対し、連想(疑似理性)の寛容な〈感識的地平(horizon aestheticum)〉を置く。それは、どんなイメージをも混成として含みうる、もっとも豊富な感識領域そのものである。(内包的な豊富と違って、連想によるイメージの外への演繹的な多産は、次の②偉大の要件のひとつとなる。)

 これを通過できたとしても、次に、それをイメージすることが、その感識者にふさわしいかどうか、が問題になる。身の程知らずに大それたアイディアを抱いていても、美しくないからである。逆に、英雄的人物がちっぽけなアイディアしか持ち合わせていないのでも、やはり美しくはない。このイメージと感識者との適切なマッチングが、②偉大のチェックになる。

 そして、そのイメージが連想(疑似理性)で信じうるか、心理的に矛盾無く全体の因果が整っているか。ただし、これは、あくまで内的な感識の話なので、《論理学》的な意味での、実在する外界の物事との関係、整合性は問題ではない。だから、ここでは、フィクションでも、無矛盾に因果が整っていれば、③真実の美しいイメージ、とされる。

 しかし、この三章において、当時の小市民ロココ的収集分類趣味の影響を受け、絶対的/相対的、客観的/主観的、論理的/感覚的、自然的/道徳的、普遍的/特殊的、等々、やたらあれこれ交差的に分類される。おまけに、キケロやホラティウス、クインティリアヌスなどの《演説術学》からの引用だらけのせいで、話が言語的演説のための着想に引っ張られ、イメージそのものは、じつは言語でも絵画でも音楽でもない、記号化以前のものである、ということが、論述として、ぼやけがちになってしまっている。

『美学』第二巻:イメージの伝達

 続く第二巻の二つの章では、そのイメージが美の演説、つまり、記号化(作品化)して、観客に伝わるかどうか、が、着想論のうちにチェックされる。上述のように、当時の《演説術学》は、表現された演説の趣巧を収集分類する「修辞学」に堕していたが、伝統的な本来の《演説術学》は、演説を介して演者の内的なアイディアを観客に伝達複写するコミュニケーション・モデルを採っている。このため、ここでは、第四章までの、イメージされる物事、それをイメージする感識者、に、そのイメージを内的に再生する観客、も加わって、話がいっそうややこしくなる。

 第五章④「感識術的な光」は、〈明晰〉について論じるが、これが論理的地平と感識的地平ではまったく異なる。たとえば、三角形の内角の和は180度、というような話は、論理的(理性)には明晰だが、感識的(直感、連想、疑似理性)ではかならずしもそうではない。逆に、たとえば、地上の楽園バリ島、というような話は、感識的には明晰だが、論理的にはかならずしもそうではない。バウムガルテンは、この後者の問題を、いわゆる「修辞学」の趣巧(フィギュール)を借りて吟味するのだが、問題となっているのは、言葉の意味ではなく、あくまでイメージそのものの明晰性である。

 この検討のために、第五章は、それだけで本一冊分もの分量があり、その中がさらに細かく分けられている。

   第五章 一般論
       特殊論 α 感識的な暗さ
          β 感識的な陰影
          γ 光と影の正しい分配
          δ 感識的な色合
          ε 感識的な虚飾
          ζ 図解的な証示:類似・大小・対置・比較、転義
          η 感識的な啓発法(タウマツルギア、thaumaturgia)

 ここで興味深いのは、バウムガルテンは、なんでも明晰ならいいとはしていないことであろう。《論理学》と同様、明晰さは、対象として捕捉できるか、だが、イメージは、もとより混成で、そこに複数のものを含んでいる。そこで、それらが協感できるように、テーマとなるイメージの絶対的明晰さとともに、それ以外のイメージについては、むしろ相対的な陰影、メリハリが必要となる、とされる。

 また、その混成において、華やかにまとめるのか、素っ気なくまとめるのか、などが問題となるが、わかりえない国際情勢をわかりやすく説明するニュースのような演出は、虚飾とされる。いずれにせよ、ここでは、どんな程度の観客にイメージを伝えたいのか、によって、是非が異なってくる。さらに、《論理学》の証示(argumenta)を、このイメージ混成に適用すべく、「修辞学」の趣巧((figura)をそれとする。(イラストは、直接には、明るくするもの、ということだが、17世紀にはすでに図解の意味で使われている。)

 そして、最後が《啓発法(タウマツルギア(θαῦμα+ἐνέργειαで、驚嘆+活動))》。直感的にはそうは思えないことを、そうだと思わせる。だから、ふつうは、手品のようなイカサマを意味するが、ここでは、連想としてつながっていなかったイメージをつなげて、観客がつねに連想するようにさせること。いわゆる、へぇー、という感心だ。よく知られた物事でも、光の当てよう次第で、新鮮なイメージで観客を惹きつけることができる。

 第六章⑤「感識術的な説得」は、《論理学》の〈判明(distincta)〉に代えて〈直明(evidentia)〉を言う。前者は納得(convictio)させるが、後者は説服(persuasio)させる。というのも、感識的地平では、疑似理性の連想で、である、ではなく、でありそうだ、と思わせるにすぎないから。その方法は、イメージの確認(confirmatio)か、非難(reprehensio、観客の持つイメージを偽とする)か。

 ただし、これは、これまでの四つ階梯のチェックを経て、説得する側が、論理的に真である、ないし、感識的に美である、と信じている物事のみ。また、ここでも、「修辞学」の趣巧が証示(証明)に利用されることになる。それにしても、もはやここでは美の問題、美しくイメージすることは、どこかに行って、観客の心を新しいイメージで染め直す話になってしまっており、まるで広告代理店のようだ。

書かれなかった『美学』:イメージ生命

 ここで『美学』は唐突に終わっており、もくじに予告された第二部「配置論」や第三部「表現論」はもちろん、第一部第七章⑥「イメージ生命」も存在しない。では、イメージ生命、とは何だったのか。第一章(§26)によれば、それは、〈感動させる証示(argumenta moventia)〉ということになっている。しかし、感動させるとはどういうことか、についての記述は、これ以上には無い。

 総じて、バウムガルテンの『美学』は、壮大な失敗作だった。《論理学》に倣って真理に代えて美を基準とし、美なるイメージの抱き方に議論を限定してしまった最初の前提で、本来の課題であった、イメージを抱く下位認識能力の一般論は、放棄されてしまっている。また、「修辞学」の趣巧(figura)を、混成イメージの証示(argumenta)として取り込む、というアイディアは悪くないが、そのせいで、言葉や絵画、音楽以前のイメージそのものという研究対象の概念が、既存の演説など、言葉の実例に引っ張られ、議論としてぼやけた。くわえて、《論理学》に代えて《演説術学》の構造を転用したせいで、真理に代わる美という絶対的評価基準が、後半に至って、いかに効果的に自分の持つイメージを観客に植え付けうるか、へ横滑ってしまった。

 しかし、この批判的な見方は、彼の『美学』を、能力の理論、または、芸術の技法、と捉える読者側の思い込みから生じてはいないか。第二巻に至って、美しいイメージを観客に伝えるという展開を示し、それが第七章⑥「イメージ生命」でまとめられるのであれば、そもそも『美学』は、能力の理論でも、芸術の技法でもない、もっと別の問題を描写しようとしていたのではないか。

 じつは、第一巻では、第三章②「感識術的な偉大」が、その過半を占める中心課題となっている。つまり、美しいイメージ、というものは、その完全性の条件として六つが挙げられていたものの、その美しさの核心は、〈偉大さ〉にある。ただし、そのマッチングの問題から、偉大なイメージは、偉大な者にしかふさわしくない。それゆえ、ここでは、第一章の後半で述べられたような、天賦の才に恵まれた者は、幸いだ、とされる。

 しかし、第一章の後半においても、天賦の才のみによって、偉大なイメージを抱くことができる、などとはしておらず、訓練と勉学と衝動、そして推敲が必要だ、としていた。つまり、偉大なイメージは、受動的に抱けるものではなく、主体的に抱こうとすべきものであり、このような感識者の側の度量と意志、〈精神(animus)〉の〈徳(virtus)〉を、バウムガルテンは、すべてのイメージに求められる絶対的な偉大さ、と呼んだ。

 ここから、バウムガルテンの『美学』を『美学』とすることが誤りであることがわかる。彼はあくまで「感識術学」と名乗った。それは、美とは何か、を探求することが目的ではなく、また、どうやって美を認識するか、どうやって美を創作するか、を探究するのでもなく、ただ偉大な精神を持つ、徳のある人間になることをめざすものであり、その偉大な精神は、偉大なイメージを抱く感識、その連想(疑似理性)の陶冶によって、獲得できる、と考えられているのである。つまり、イメージも、その美も、人として徳を得るための手段にすぎない。

 このメソッドは、第一巻では、天賦の才に恵まれた者のみの特権とされていたが、第二巻では、美しいイメージを観客に伝える方法(条件)が検討されている。こうして美しいイメージを知ることで、天賦の才に恵まれなかった観客もまた、連想(疑似理性)を陶冶し、徳ある人間になる道がここに拓かれる。イメージそのものが生命力を持つ。美しいイメージを抱くのは主体的努力が必要だが、美しいイメージは、それが感銘を与えることで、人そのものを美しくする。

 つまるところ、わざわざ物心二元論のアポリアを解くまでもなく、人は、徹頭徹尾、窓無しに、イメージ世界の中だけを生きている。いや、さまよっている、という方がふさわしいかもしれない。そのイメージ世界は、そうらしい、と思うだけの主観的な蓋然性の連想(疑似理性)によってできているにすぎないにもかかわらず、我々は、平然と、それを理由に、決断し、行動する。それゆえ、人は、その人が考えているような人になる。卑しいことを考えている人は卑しく、貴といことを考えている人は貴とく。

 それをいいことに、扇動政治家や広告代理店、その手先のマスコミのような悪辣な連中が、カネ儲けで搾取できるように、人々のイメージ世界を巧妙にねじ曲げる。人としてほんとうに必要なことは二の次に貶め、バウムガルテンが批判し注意しているような、些末で低俗な物事に虚飾で華麗なイメージを捏ち上げる。こうして、みずからすすんで奴隷に成り下がり、ゴミを買わされて喜び、自分の人生をダメにする人々を量産する。

 こんな時代だからこそ、バウムガルテンが切り拓いた、正しい《感識術学》が必要だ。しかし、その正しさは、どこにあるのか。連続性の原則によって、バウムガルテンの言う感識的地平と論理的地平もまた、じつは一体のもの。現代語、とくに日本語では、理性と理由が区別されてしまうが、ラテン語では、どちらもラティオであり、それはつながりを意味する。バウムガルテンが「修辞学」の〈趣巧(figura)〉を感識の〈証示(augumenta、論証)〉と言うのは、蓋然的にせよ、そこに理由=理性が垣間見えるからにほかならない。つまり、イメージとイメージ、それらのイメージと感識者が協感しうるのは、そこに合理性があるからにほかならない。そして、これこそが、蓋然的ながら、窓無しに世界を内的に反映させる方法だろう。

 〈理性〉は、万人万物に共通であり、《理神論》として、マクロコスモスである世界をも統一支配している。しかし、ニュートンが自分を海岸で貝殻を拾って遊ぶ少年に例えたように、その大半は深い闇の向こうにあって、人間の知性の及ぶところではない。だが、人が、徳として、どんなイメージをも取り込む偉大な精神、感識的地平をみずから持とうとするならば、その総体、イメージ世界は、神の壮大な摂理をも予感する、理性の似姿、〈疑似理性(analogon rationis)〉となる。

 大きな心で想像してみよう。世界には、さまざまな人々がともに暮らしていることを。その世界では、動物や植物も、海や空も、すべてが一体になっていることを。いま一時の小さな損得に目を奪われるのではなく、回り回って、すべてはつながっている、ということを。バウムガルテンが構想した《感識術学》は、こういう人の心の度量と意志、偉大な感性をめざしていたのだと思う。


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