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2.0. はじめに

 物語世界1は、感性的な物語創造と悟性的なテーマ思考2へ橋渡しする形式である。夢や幻想は、現実を越える想像をもたらすが、テーマを考察する思考実験として物語は合理性を必要とする。そこで、個々の物語のために、特別な公理系、スコラ学の小さなウヌス・ムンドゥス3、ライプニッツ・ヴォルフ学派やバウムガルテンの一時的な疑似理性4が立てられる。それが、物語世界である。

 ナラトロジーは、構造主義から発し、書かれた物語の文章、さらには映画の映像を、意味文節単位として考察する。それは、ソシュールの言語論と同様、その製作に生成文法と想定する。しかし、分析哲学の旗手、ヴィットゲンシュタインが論理実証主義から言語行為論へ大転換したように、物語の想像や映画の製作もまた、社会的な芸術行為として、根本から再考しなければならない。実際、ロシアやフランスのナラトロジーとは独立して、米国では、作家や監督のために、実践的な創作方法が多様に模索されてきた。これらを総称して、物語る技術、すなわち、ストリオティクスと呼ぶ。

 物語の創造は、人間の本質的な能力である。それどころか、すべての人間は、否応なく夢や幻想を創り出す。『夢について』において、アリストテレスは、夢を、感覚に拠らない感性の働きとした。これは、カントの術語で言えば、純粋感性の体験である。この純粋性が、人類の器質的なものであるか、たんに個別経験に先立つ蓄積的なものにすぎないかは、ここでは問わない。いずれにせよ、ユンクが論じたように、それは集合的(社会文化的)に共通のものであり、これをオネイラ5と呼ぶ。

 オネイラは、夢や幻想の体験にすぎない。人々は夢や幻想を言語や映像で表現することによって対象化され、また、さまざまな史実とない交ぜになって、ミュトス6となる。それは、人類に共有された物語の集合体である。ただし、それは、因果の断片の寄せ集めであり、総体としては統一的で整合的な体系を成していない。しかし、それは、ふたたび素材として、新たに人々の夢や幻想を紡ぎ出し、ミュトスをさらに豊かにしてきた。

 今日、物語は、あるテーマを議論するために、語り手が観客に問う芸術行為である。ここでは、物語は思考実験として働く。それゆえ、それは、合理的で整合的でなければならない。啓示のような即興的な夢や幻想の寄せ集めは、思考実験装置としては使えない。感性と悟性はここに大きな断絶がある。

 ナラトロジーが書かれた物語の全体を意味文節単位に分析できるのも、その生成以前に合理的な文法が確立され、それが生成過程を支配していたからである。それは、カントの言う悟性の産出的構想力7だろう。しかし、カントにおいて、これは、すでに悟性に引き渡された固定的な表象を素材とする。彼は『純粋理性批判』の当該部分を第一版を第二版に書き直し、さらに『判断力批判』でも問い返したにもかかわらず、物語を生み出すほどの力動的な表象の創発性を説明することはできなかった。

 これに対し、フロイトは、『夢の解釈』で、アリストテレスの純粋感性の働きを再評価し、ユンクもまた、『黒の書』や『赤の書』で、みずからの夢や幻想の考察を試みて、純粋感性の仕組を見いだした。彼によれば、彼が研究したタロットカードのアルカナのように、多様な表象の心の元型が、力動的で不安定な両義性8を秘めている。

 悟性が、観客へのコミュニケーション的芸術行為として、語りを合理的、整合的に形作るとはいえ、その創造的な創発性は、素材となる感性的表象の力動的で不安定さにあると推察する。力動的な表象を合理化しして感性から悟性へ橋渡しする媒介として、我々は、語りの前提となる体系、物語世界を想定する。この論文は、語りの前に現場が物語世界を要請する過程を、実際の物語創作の方法論として考察する。


1. ラテン語から、「storium (複 storia)」という術語は、(朗読や小説、映画などの)提示形式に固定される前の抽象的な脈絡ないし因果を意味する。 そもそも、「ἴστωρ (既知、目撃)」という名詞からできた「ἱστορέω」は動詞であり、それゆえ、我々は「story」という語も、古い用例に従って、むしろ動詞として用いる。この包括的な動詞で、我々は、どんな形式の提示行為も表現できる。
2. 感性と悟性は、カントの Sinnlichkeit と Verstand である。カントの KRITIK DER REINEN VERNUNFT を参照せよ。
3. 感性と悟性を結びつける場。Jung, Carl; Mysterim Coniunictuinis, Collected Works, XIV を参照せよ。
4. 彼らは悟性の理性と似た主体を感性にも想定した。
5. アリストテレスの Περὶ Ένυπνίων (『夢について』), Parva Naturalia から。「ἐνυπνιον」も夢を意味するが、彼はまたこの語を「睡眠中(ἐν-υπνιον)」としても使っているので、我々は同じ論文の別の術語を使う。
6. プラトンの術語法から。それは、しんわだけでなく、我々が語ってきた、そして、語りうるどんな物語の断片をも含んでいる。
7. 創造的な Produktive Einbildungskraft。それは、再生(思い返し)的なそれとは異なる。
8. それはたんなる曖昧さではなく、タロットカードが上下さかさまになるとまったく逆の意味になるような極端な極性である。

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