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イン・メディアス・レス

 メディアの話ではない。物語の途中へ、という意味だ。この術語の出所は、ホメロス『イーリアス』に対するホラティウスの論評。

 知ってのとおり、『イーリアス』は、アキッレウスの怒りから始まる。トロイア戦争のさなか、オレはもう手を引く、と言い出す。疫病が流行したため、アキッレウスが会議を開き、総大将アガメムノーンがさらってきていた神官の娘を返す、ということになった。

 ところが、アガメムノーンは、それならおまえの愛妾を寄こせ、と言って、アキッレウスからブリセーイスを奪い取り、おまえなんかいなくても、おれは勝てる、と言って、総攻撃に打ち出た。しかし、敵の強固な防備を前に、仲間たちは次々と傷つき、倒れ、果たして英雄アキッレウスは、、、と、じつにうまい。

 イン・メディア・レスの反対語は、アプ・オーウォだ。卵から、という意味。これも、ホラティウスの同じ箇所に出てくる。アプ・オーウォ・ウースクェ・アド・マーラと言う形で、最初から最後まで、という意味で使われることがよくあるが、原義は、卵からリンゴまで、で、ゼウスが白鳥に化けてスパルタ王妃を騙して卵で生ませた双子姉妹、ヘレネーとクリュタイムネーストラーから、不和のリンゴを巡るイリオス(トロイア)王子パリスの三美女神審判まで、ということであって、むしろプレクォール(前日譚)を意味する。

 もっとも、今日、映画では、イン・メディアス・レスを、クライマックス・イン、と言う。ただし、これには2通りあって、ひとつは、疑似クライマックス。007の冒頭でよくあるパターンで、ジェームズ・ボンドがやられてしまったりするのだが、じつはそれは演習にすぎない。とはいえで、後の本当のクライマックスでも、同じ状況になり、また失敗してしまうのか、という危機感を高めるのに用いられる。

 それよりもよくあるのが、ミステリの殺人場面へのクライマックス・インだ。とにかく突拍子もない猟奇的な方法で、被害者が殺される。読者ないし観客には、なぜ殺されるのか、だれが殺したのか、まったくわからない。で、翌日、全然関係ないところで探偵だかなんだかが依頼を受け、捜査をしていくうちに、この事件に戻る。

 この後者の展開は、一見、時系列で整って見えるところがミソだ。時間順序からすれば、たしかにそうなのだが、最初のクライマックス部分が、物語のテイをなしていない。意図も動機もない。そもそも殺したのも、殺されたのも、人物として確立されていない。ただ生の事件だけが放り出されている。だから、ミステリというわけなのだが。

 ここから、ああだ、こうだ、と、物語は、フーダニット(誰がやったか)とワイダニット(なぜやったか)の二つの糸を探って展開していく。誰が、が先行しては、なぜ、が、それに従い、なぜ、が先行しては、だれ、が、それに従う。なんにしても、だれがなぜ、の両方が、最後には揃わないといけない。

 本来は、A殺意を抱く、B殺す、C捕まる、という時間順序なのだが、クライマックス・インによって、B殺す、C捕まる、A殺意を抱く、という説明順序になる。

 しかし、クライマックス・インは、倒叙法と混同されてはならない。クライマックス・インは、たんなる語りの順序を入れ換えただけはない。入れ換えたことで、物語の焦点が大きく変わっているのだ。

 アプ・オーウォであれば、Aの殺意を抱くに至る過程において、読者は、犯人に共感してしまう。たとえ『明日に向かって撃て』のような、とんでもない不愉快な愉快犯であっても、だ。そして、Bの殺す、も、うまくいった、ということで、いまさら被害者に同情の念を生じない。まして、Cでは、なんとかうまく逃げおおせないものか、と、犯人の主人公とともに手に汗することになる。

 ところが、イン・メディアス・レスにすると、読者は、被害者同様に、これを理不尽な殺人だ、と思う。そして、探偵とともに、なぜ・だれが、を追う。そして、いよいよ犯人をつきとめて詰問する。その時点で、犯人はもはや無力化されており、ごちゃごちゃ殺意を抱いた理由を説明するが、そんなのいいわけにならねぇ、と決め込んでいる。しかし、なぁ、と、多少、同情して、泣かせる。そして、量刑は読者に委ねられ、考えさせ、うまく巷間の話題として広まる。

 あまりにありふれた展開だが、この形式がこれほど本流化したのか、も、よくわかる。重要なのは、話の順序を入れ換えると、読者の共感の有無が変わる、ということだ。事情を知っていて、あるアクションを受け入れるならともかく、事情もわからずに、あるアクションが押しつけられるのでは、読者は共感を拒絶する。そして、うまく拒絶するように導いていくからこそ、ミステリが成り立つ。

 なぜこのようなことが起きるか、というと、情報というものが、既知の情報群を基礎として解釈されるからだ。我々は、先に知っていることを正しいとしてのみ、新しい情報の意味を理解することができる。それゆえ、むしろ逆に、新しい情報の取得は、それが既知の情報群に整合的になるように意味づけるとともに、既知の情報群に対する疑いを失わせるように働く。

 しかし、小説において、これはおうおうにマイナスに働く。アプ・オーウォな語りは、それは理論的な哲学としてはいいのだが、小説の場合、まったくどうでもいい周辺の話がだらだらと続き、肝心の焦点が全体の巨大な体系の中に飲み込まれて見えなくしまう。マッキーはスライス・オブ・ライフという言い方をしているが、ストーリーそのものもまた、スライス・オブ・ストーリーとして断面から始まった方が、その全体の中心へ直接に読者を導くことができる。

 ここにおいて、回想ないしフラッシュバック(挿入的回想)によって語られるプレクォールは、可能性を開かれたものとしてではなく、焦点の出来事への必然を準備するもの、として強く意味づけられる。つまり、アプ・オーウォでは、ある出来事は、そこからさまざまな出来事を派生しうる余地を残しているのだが、イン・メディアス・レスでは、それがない。

 たとえば、『メリーに首ったけ』でのバカな高校時代の回想は、二人の関係を必然にする。もしあれが時間順序のままで、その後の13年をだらだらと描いていて、ようやく冒頭の場面に至ったならば、だれが主人公に共感を持つだろうか。なにを今さら、ということで、一笑に終わってしまう。しかし、現在という断面から始めることによって、高校時代も、その後の13年間も、すべてが再会への必然の根拠になる。 

 ところで、数百年遅れでドイツに現れたルネッサンス学者に、ヴィンケルマン(1717~68)がいる。ゲーテ(1749~1832)やシラー(1759~1805)によるワイマール古典主義に多大な影響を与えた人物だ。

 これには、ポーランド継承戦争(1733~35)が関わっている。この戦争によって、ナポリが南下するオーストリア・ハプスブルク家の支配から脱し、スペイン・ブルボン家として独立した。そして、このことによって、西暦79年のヴェズーヴィオ火山の噴火によって埋没していたナポリ近郊のヘルクラネウムやポンペイの発掘が始まり、大量の美術品が出土してきたのだ。

 これらを見て、古典学者ヴィンケルマンは、その先入観から大きな思い違いをした。すなわち、偉大なる古代は、その安定した民主政治の下において「高貴なる単純と静謐なる威厳」を実現した、と言い出した。しかし、じつは、ポンペイなんか、歓楽のリゾート地だったのだし、そこにあった美術品も、大半が安っぽい模造だった。それは、金ピカで張りぼてのラスヴェガスを見て、あれが現代アメリカの一般的な街の風景だ、と思うようなものだ。

 しかし、なんにしても、ろくに情報のない時代だったから、このヴィンケルマンの思い込みの新古典主義は、彼の『ギリシア芸術模倣論』(1755)や『古代美術史』(1764)によって中世的なロマン主義を蹴散らし、ヨーロッパ中に広まった。

 ところが、ここに若き劇作家レッシンク(1729~81)が『ラオコーン』(1966)で噛みついた。いわゆる「ラオコーン論争」だ。ラーオコオーンは、トロイア国の神官で、城門前に置き去られた巨大な木馬を運び込もうとする市民たちをいさめた人物だ。ギリシア側の征服女神アテーナは、このこうるさい男を二頭のウミヘビによって始末してしまう。

 問題になったのは、ローマの地下「グロット」、暴君ネロの黄金宮跡で発見されたラオコーン像。「グロテスク」は、本来、そのグロットなどの装飾様式で、左右対称に描かれた軽快な花蔦飾りのことだったが、このラオコーン像によって、ひねりゆがんだスタイルを意味するようになってしまった。

 それでも、ヴィンケルマンは、これを、古典的な抑制の効いた気高い作品として賞賛した。ところが、これに対し、レッシンクは、これは表現の抑制なのではなく、かみ殺されてしまう前の、戦う気概があった瞬間を切り取ったものとして、空間芸術と時間芸術のジャンルを分断した。

 このことは、しかし、古典的芸術論の大御所ホラティウスにもケンカを売るものだった。ホラティウスの美学においては、ウト・ピクトゥラ・ポエーシス(絵のように詠う)とされ、イマジネイションの源泉が同一と考えられていたからである。

 劇作家からすれば、喰われちまうなどという説明的なシーケンスなんかより、襲われて抵抗する瞬間的なシーンにクライマックスとなる見得切りを設定するのは当然だ、ということだったのだろう。だいたい、昔も今も、評論なんかする連中は、自分ではなにも作らないで、結局、有名な既存の作品にぶらさがっている名前を売ろうとしているだけじゃないの、と思ったのだろう。

 しかし、この問題を、空間芸術と時間芸術の対立にしてしまったのは間違いだ。先述のように、時間芸術の典型であるホメロスの叙事詩こそ、すでにスライス・オブ・ストーリーの技法を先駆的に用いており、ホラティウスもまた、そのことに充分に気づいていたこそ、ホメロスを挙げて、ウト・ピクトゥラ・ポエーシスと唱えたのだ。

09/21/2009

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