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「死にたい」と言えること。


思春期ごろから、ずっとずっとどこかで死にたくて、いつでも死んでいいとおもっていた。

私が26歳のころ、鬱が酷く、はじめてS病院に入院したときには、かかりつけの病院にはまだ解放病棟という、日中は外と出入り自由な病棟があり、そこで毎日をすごしていた。

あいかわらず毎日死にたくて、ある日タオルを片手に外にでて、ふと木の枝にタオルをくくりつけ、その下の切り株に足をおき首を入れた。

同じ病棟の口がきけないおじさんが、何をやってるんだという顔をして私を見ていたけれど、どうせ口がきけないから知るものかと、えいっと乗っていた切り株から足をはずした。

そしたら、なんてことはなく、地面に足がついてしまっていた。

そう簡単には死ねないものだ。

何ごともなかったかのように病棟にもどり、診察で主治医に、正直にタートルネックをめくって、赤くなった首を見せ、笑って「首つりに失敗しました」と言った。

これまで、なんども死のうとおもったことはあった。

ダムから飛び降りようとして近くに車を停めていたら、警察がやってきて逃げてみたり、ホテルで死のうとおもって父に「ありがとう」とメッセージを送ったら、警察がかけつけたり。

そうやって死にきれない出来事が重なると、所謂しぬしぬ詐欺になってしまうから、もう次はちゃんと死のう、みたいになってだんだん気持ちは追い詰められていった。

そこにクッションを置いてくれたのが、心理士の南さん、ダディとしたった看護師の広田さん、クールを装うじつは熱い担当看護師の酒井さんたちだった。

心理士の南さんとは、もう死ぬつもりで上の空で話していた面談の時あって、やっぱり臨床心理士さんというのはそういうのをかぎつけるのか、その後、わざわざ私が散歩中のところに「死にたいとおもってる?」と声をかけてくれて、ふたたび面談をしなおした。

S病院に通院、入院中、一番かなめになった約束で、お守りにもなったのが、

死にたいとおもったら、
かならず連絡すること。

私が死にたいと伝えなければ、心理士の南さんも、看護師の広田さんや酒井さんも、それは私たちがこまりますと言っていた。

仕事上もこまるけど、
あなが死ぬとかなしいからこまる。

20代後半のころのある日、このS病院に通院していた少し年上の友人とドライブやカラオケに行った。数日後、私はあいかわらず死にたくて、その子に電話して「死にたい」と泣いて言ったら、彼女は「だいじょうぶ」とはげましてくれた。するとその数週間後、その子の方が首を吊って自ら命を絶ってしまった。私はなんてことを言ったのだろう。

彼女は誰かに死にたい気持ちを伝えられていたのだろうか。私だけ伝えてばかりで、憂鬱にさせたのではないだろうか。あの時、彼女はどんな気持ちで「だいじょうぶ」と言ったのだろう。こんな私が言うのも身のほど知らずだが、彼女にも自分が助かるまでSOSを出して欲しかった。

自分から助けを求められるか、SOSを出せるかというのは、一つの大きな力だ、能力だ。

赤ちゃんが最初におっぱいがほしい、オムツが濡れてきもちがわるい、ママどこ、といって泣く最初の本能をおもいだしてほしい。本能をそんなに最後まで隠してまで死んでしまうのか。私はかなしいよ。

こうして、死にたいと伝える義務があるとおもったら、私はSOSがやっと遠慮なくだせるようになった。

死にたいという気持ち(希死念慮)がでたときには、一般の人ではなく、かならず専門家に相談をすること、そして医療機関の受診をおすすめしたい。

ただ良い医療機関にめぐりあえるかは、運しだいというのが現状のような気もして、そこはいつか出会えるという希望を失わないでもらいたい。

「死にたい」と言っていい相手はかならずいる。その人には安心して遠慮なく「死にたい」って言っていい。そして、助かるまで言いつづけていい。

私はそれで、もう死にたくなくなったから。
今は、やっと幸せだとおもえるようになった。

どうか、あなたを大切に。

情報提供は曖昧なことが書けないので、リンクを貼っておきます。



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