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オンライントークイベントVol.3「合理的配慮勉強会」の質問まとめ

8月19日のオンライントークイベントへのご参加、ありがとうございました。
勉強会の中でもお預かりした質問をいくつか取り上げましたが、全てにお答えすることはできませんでした。配信の中でお答えしたものも含めてこの場でみなさんと共有できたらと書き起こさせていただきました。

合理的配慮をうまく受けるには?

例えば、学校(幼稚園、保育園含む)などに対し合理的配慮がうまく行きやすいルートや 順番、持っておいた方がよい資料やお守り的な証明書などがあれば、それの取得ルートなどしりたいです 穏便ルートと、こじれた時の臨戦態勢ルートと、合理的配慮がかなった場合のその後それを維持するにあたり、よき動き方なども知りたいです。

学校とのやりとりの入り口でまず鍵になるのは【担任と信頼関係を築けるか】だとは思います。ここが不安視される状況であれば特別支援コーディネーターや学年主任、管理職など別の先生の同席を求めて話を進めていくと良いかもしれません。
不安な状況でなくても1対1よりもチーム対応を求める方が継続しやすいと思うので、別の先生方の協力を仰ぐことができるとより安心ではないかと思います。

理解を得るために必要なものとしては、サポートブックやサポートシート(お子さんの特性や支援履歴・受診歴などをまとめたもの)、医師の診断書や意見書などがあるとやり取りがスムーズになりやすい傾向はあると思います。

特に、専門家の意見がわかるものがあると保護者の主張だけよりも有効に働くことが多いです。母親の主張だけだとどうしても「わがまま」「心配しすぎ」と受け取られてしまいやすいので、父親が同席したり、医師や福祉関係者の意見など、専門家を含む複数の人が関わっている上での申し入れだとわかるような持ちかけ方だとスムーズに話が流れやすいかもしれません。

医師の診断書や意見書はかかりつけの児童精神科で、福祉側の意見をもらうなら相談支援事業所や療育、放課後デイサービスなどとのつながりが有効だと思います。

学校や地域によっては療育や放デイの担当者が学校でのケース会議に参加してくれることもあると聞いたこともあります。

実際に受けた配慮の継続や改善のためには定期的なケース会議や面談の開催を求めるのがベターです。
ただ、先生方はとてもお忙しいため、一度面談や会議を開いてもらっても継続できずに途絶えてしまうこともよくあります。
会議の最後に「次回はいつ?」と持ちかけて予定をあらかじめ決めておくと良いという助言が勉強会の中でも出ていました。

学校との話し合いがこじれてしまったときには教育委員会が相談の窓口になってくれると思います。学校とのやりとりの記録を簡単でも良いので残しておくと、相談に行ったときに役に立つと思います。

私は学校と話すたびに友人とのDMに報告させてもらっていて、教委に相談に行くときにその内容を遡って書き起こしたやりとり記録を持っていきました。

読み書き困難は入試で配慮してもらえる?

我が子は小学4年生、ADHDの診断です。辞書のように字が詰まった本や、式がずらっと並ぶドリルは気分が悪くなったり、疲れているときは鉛筆で字を書いたり消すことができません。タブレットにタッチペンだとまだ書けるのですが、書字障害の診断のない、ADHDの特性からきていると思われる読み書き困難は、高校や大学入試で配慮してもらえるのでしょうか?今から配慮の実績(?)を積むために、どこかで公的な記録を残したり出来ることはあるのでしょうか?

書字障害の診断でなくても、ADHDの診断があり特性ゆえの困難があるのであれば配慮を求められると思います。

入試の場合はケース会議で検討していくような配慮の仕方ではなく、当日単発の話になってくるので「その配慮が確実に本人に活きる」という確証があると通りやすい傾向があります。

高校入試であれば、中学校のテストの時に実際にその配慮があって本人がスムーズに受験できていた、という実績があると強いです。
いま小学生であれば、その辺を意識して中学でどんな配慮を受けていくかを学校と相談していけたら安心かなと思います。

また、在学中の配慮についてですが、高校での合理的配慮の提供については管轄の都道府県の教育委員会によって対応はさまざまだとは思います。
私の住む大分県では、県立高校の合理的配慮に関して明確なガイドラインが提示されており、条件として医師の診断書や小中学校で支援級や通級指導教室に在籍していたことなどが挙げられています。

お住まいの自治体の県教委がどんなお触れを出しているか、進学予定の高校がどんなガイドラインで運用しているかなど、地域の情報を教委や学校に問い合わせてみると良いかもしれません。

また、小学生のうちから支援を受けた実績(支援級在籍や通級に通うなど)を作っておくと後々役に立つかもしれません。

公的な記録については在学する小中学校での実績記録を高校に引き継いでもらうことはできるはずです。

モンペなのでは…と悩んでしまう

ASD.ADHDで小2情緒支援級に在席しています。支援級の児童も多くて、具体的にできそうな事をお願いしないと、学校側から特に配慮はしてもらえません。過敏なタイプで クールダウンスペース、行事での声かけなど合理的配慮をお願いしていますが、お願いするのも心苦しく… 自分はモンペなのではないか?と悩んでいます。

合理的配慮の提供に関して、合意形成プロセスのスタート地点である「配慮のお願い」をしているのにスムーズな配慮に繋がっていないのは、大きな問題だとは思います。
また、支援級に在籍しているので、申し入れがなくて学校からスムーズに学習に取り組みやすくなるような配慮が施されてもなんらおかしくないお子さんですよね…

申し入れをすることは、なんら問題はない行為だと思います。
ただ、質問者さんが「モンペかも…」と感じられるような反応を学校から受けていらっしゃるのだろうなぁと感じました。
担任の先生とうまく話せない状況なのでは、とお察ししますので、支援コーディネーターや管理職など他の先生も含めたやり取りができないかを検討なさるのもありだと思います。

本人が配慮を嫌がるがどうしたら

わが子は小学校高学年男子で、字がマス目に収まりません。大きめのマス目のノートで取り組んだらと勧めていますが本人が嫌がります。学校で配慮してくれようとしても、本人になるべくみんなと一緒にやりたい気持ちが強く、もともと努力家の性格もあり、燃え尽きが心配です。どう対応したらいいでしょうか?

思春期の入り口にいるお子さんなので、本人の気持ちを優先した方が今後の親子関係の維持のためにも良いのではないかと思います。

燃え尽きが心配な気持ちも「だからこうしろ」という話ではなく、自分はこういうことが心配」と主語を自分に据えた【アイメッセージ】で伝えると良いかと。(言いすぎちゃう自覚がある親御さんなら、言いたいことの半分くらいで留めておくのも大事なポイントです)

ノートのマス目に関してですが、地域性もあるかと思いますが高学年なら【5ミリ方眼ノート】をお使いではないかと思います。
こちらも地域性があるかもしれませんが、中学生以降は基本的には5ミリ方眼のノートは使わず、A罫やB罫などの横罫のノートがメインになってくると思いますし、ノートのサイズや罫線の種類などに関しても学校の指定は薄れて自分の使いやすいものを自由に選べるようになる可能性が高いです。

5ミリ方眼のマス目に入れられないとしても、中学進学後は横罫の罫線の幅が太めのノートなど自分にとって使いやすいノート選びをしやすくなるし、筆記用具選びの自由度も上がり、書きやすいものを選びやすくなると思います。

周りもみんな自由にノートを選ぶようになるのでお子さんの心理的負担も下がる可能性が高いです。
マス目問題は期間限定の悩みとして、あまり思い詰めなくても良いかもしれないと思います。

私立中学での合理的配慮について

私立の中学校に通っています。その中学校では合理的配慮を申請したのが初で合理的配慮を平等ではないと思われています。ディスレクシアで、ひらがなで回答したい、というのはハードルが高いのでしょうか。主治医からの意見書やディスレクシアの検査結果なども提出しています。練馬区の漫画も見ていただいてます。今後どのように学校に相談していけばいいのかアドバイスいただきたい。

私立の学校は現在合理的配慮の提供は「義務」ではなく「努力義務」となっています。しかし、数年のうちに義務化されることは既に決まっています。
「合理的配慮は平等ではない」という認識だとしたらかなり遅れており、先生方のアップデートが求められる状況だなぁと感じます。

こういう先生方のスキルや知識のアップデートに関しては本来保護者が頑張ることではないのになぁ…というのが正直なところでもあり、勉強会の中でも学校関係の方の「研修はあるけど受けてほしい人は受けてくれない…」というリアルな声も寄せられていました。

ディスレクシアの診断があり、配慮の内容も具体的に定まっていて検査結果や意見書が揃っているのに配慮の提供に至らないとしたらかなり問題のある状況だとは思いますが、私立だと自治体の教育委員会に相談しての改善も難しいかもしれませんね…
学校内に理解のある先生やスクールカウンセラーさんなどがいて、そこから切り開いていけたらいいのですが…

健常、障害問わず合理的配慮は皆にあるのでは…

成人の発達障害者の当事者です。就労移行支援に通所し、合理的配慮のことについて考える時間が増えました。法律の文章にはないかもしれませんが、健常者、障害者問わず合理的配慮は皆何かしらあるのではないかと最近私個人は強く感じています。そのあたりの違和感について、もしフリートークのお時間があれば話題として取り上げてもらえると幸いです。よろしくお願い致します。

解釈の難しいお話だと思うのですが、「皆何かしらの配慮を必要とすることがある」というお話であれば同意します。
なぜ障害者に合理的配慮が必要なのか、という問いについて考えたとき「健常者(もしくはマジョリティ)にとって既に配慮された社会だから」というのが私の答えです。

健常者(もしくはマジョリティ)の都合がいいように配慮された社会の中で、その仕組みでは適応が難しい障害者(もしくはマイノリティ)がスムーズに生活するために必要とされている配慮を得られるための仕組みが合理的配慮の提供義務なのだと思います。

合理的配慮の提供について話をするときに、よく「障害者の特権」とか「障害者のわがままが通るようになる」と言われることがあるのですが、そもそも私たちが生活する社会そのものが「健常者に特化した」「健常者の暮らしやすい」環境になっている、健常者の権利は既に保護されており、健常者の利便(それを障害者は「わがまま」と評されてしまうことがあるのですが)は既に得られているのが実情なんですね。

みなさんに当たり前に保障されている権利が、障害や社会の側にある障壁により侵害されている、という現状ありきの「合理的配慮の提供の申し入れ」である、ということをまず前提に置かねばならないのだろうと思います。

配慮の実感が持てない

自分は小2息子の配慮のお願いをこれまで1年、2年と2回実施しましたが、子どもの学校生活が過ごしやすくなっている実感が持てず、今後どうするか考えていたところでした。 当日は配慮についてあらためて学ばせて頂ければと思います。

当日のお話、参考になっていたら良いのですが…。

配慮のお願いと提供で終わってしまいがちですよね。
しかしここまで学んできたように、合理的配慮の合意形成プロセスではそこで終わらずに、効果の検討や改善のための試行錯誤もセットになって初めて意味を成すと考えられています。

学校の先生方もお忙しい中でなかなかこのプロセス通りの検討会議の開催や保護者との度重なるやりとりの時間を割くのは難しいことかもしれませんが、効果が出れば必ず児童生徒の状態は安定し、今後につながり、ひいては先生方の負担軽減にも必ずつながる、と私は思います。

ケース会議の定期的な開催などがもっと一般化してくれたらなぁ、と願うばかりです。

配慮した宿題では皆と同じ評価がつかない?

中学生ですが、今年、合理的配慮を相談して、例えば毎日の自学ノートをipadでやり、印刷したものを貼って提出や、作文等の課題をipadでやること等、いいですよと言ってもらえ安心したのですが、 でも、皆と同じ評価はつけられないことは承知の上でなら、色々やってみてやりやすい方法でやるのは全然良いですよとのこと。 よくテストで漢字で書けてなくても答えが合っていたらokにしてもらう、宿題の量を調整してもらうという事例を聞きますが、 合理的配慮とは、そうやって本人に合った対応はする、でも評価は他の子と同じにはつけられないということでしょうか? もちろん本人のやりやすい方法で学んでいってほしいと思っていて、評価がほしいから相談しているわけではないのですが、少しモヤモヤしています。

この、課題の評価については合理的配慮の提供において混乱を招きやすいお話だなぁと感じています。

同じ結果を出しているのに同じ評価はつけられない、というのは障害者差別と言われても仕方ないことをしていると思います。
教委に申し入れて即指導してもらうべき!と憤るような事案と言ってもいいかもしれません。(詳細がわからないので断じるのは危ういですが)

勉強会の中では「先生が【何を評価しようとしているのか】が気になる」という声もありました。
仰るように、先生がもし「鉛筆を使って原稿用紙を埋める」という作業について評価したいならiPadを使うのは評価基準から外れます。
しかし「作文を書く」「作文を学年相応に書くことができている」という違った評価基準があるのであれば、どのツールを使うかは評価基準の外にあるお話になってきます。

コピペ云々の懸念があるとしたらそれを提示した上で話し合いを重ねて本人にとっても先生にとっても良い方法を見出す努力を互いに行う必要があるはずです。

そのような経緯なく「みんなと違うなら同じとはみなさない」というのは明確な差別だと私は思います。

中学生であれば高校受験のための内申点に響く可能性もあるのでちょっと心配です。

余談ですが、課題に対する配慮としてはうちの次男は過去に、同じようなプリントを貼るような対応や量の軽減などの経験があります。
高校入学に際して課題提出の困難について相談の場を設けたとき、高校とのやりとりの中では期限の延期や違うツールを使うことについては問題ないと言われましたが、量の軽減に関しては単位認定のための評価の中では減らした場合は100%の成果とは見做せない、という返答でした。
高校という場ではそれは当然だろう、と私も次男も納得しました。

このようなケースの相談先としては、まず学年主任や支援コーティネーター、管理職などの校内の話せる方からかな、と思います。
「友人に相談したら【それは差別にあたるのでは】と言われた」など、外部と話をした形跡をチラつかせるのも有効だと思います。障害者差別解消法について知識があったり話が通じる相手であれば問題と認識して校内で対応してもらえるのではないかと思います。

それでも対話が破綻してしまうような状況なら、自治体の教育委員会に相談なさると良いかと思います。
前述しましたが、校内でのやり取りの記録を残しておくと話が早いと思います。

現場のリソースに限界がある場合は?

先日、学校でスニーカーじゃないと教室入れませんの話をツイートされていたかなと思いますが、合理的配慮をする側のリソースに限界がある場合の対処法として、行政に訴えかけるや国政から変えるという気の長い話は置いて現実的に今困ってる子どもたちにできる落とし所はどこにあると思われますか?

これは、少し前に私がツイートした内容を踏まえてのご質問だと思われます。ちょっと記憶があやふやですが、確か「不登校気味だけど帽子を被れば入室できる」という生徒さんについての話題のなかでのことだったと思います。

そういう事例を認めてしまうと「せんせー、僕はスニーカー履いてないと教室に入れませ〜ん」と言い出す子がいたら…と具体的に顔が浮かぶような状況で学級の混乱が予想されることもあるんじゃないか、それが怖い先生方もいるのではないか、と私が言及しました。

私は続けて「だとしてもその、ふざけて言っているように見える子たちにもまた、大人の寄り添いが必要なのではないか」というようなことを呟いた記憶があります。

ご指摘のように、合理的配慮を提供する学校にもリソースの限界はあると思います。本来であれば人員の拡充などを求めて国政に訴えていくことが筋だろうと思うし、私は先生方にも内部からの声としてどんどん行政に訴えかけていってほしい、と思っています。(地域によってはリタイアした教職員を市政に送り続けているところもあるので、教職員組合などを通してそのような取り組みも是非やって欲しいと思ったりしています)
このような政治に働きかけていくことについて「気の長くなる話だから置いといて」という姿勢そのものが、問題を先延ばしにしてきた元凶なのではないか、とすら思います。今始めなければ、数年後も変わらず問題は温存されたままですから。

落とし所があるか、と言われたら、その環境の中でみんなで探すしかないでしょう、というのが私の答えです。

そしておそらくは「探したけれど人が足りないから、打つ手がありません」が現場の先生方が行き着いてしまいやすい答えなのだろうと思います。

もし、私がこのお話の中で「そんな子にも配慮を」と求める保護者だったとしたら、合意形成プロセスに基づき、先生方には「手が足りなくてできません」という話を、保護者である私に納得のいくようにお話いただく責任が生じます。
と書くと、先生方を困らせるとても意地悪な保護者のように見えるかもしれませんが、仕組みはそうなっています。

私はもしその保護者の立場にいてそう言われたら「では、その手が足りないという問題のために先生方は何をされていますか?」「その中でもできることは何がありますか?」と質問すると思います。そして「それらの問題解決のために私に何ができますか?」と続けて聞くと思います。

高校入試での配慮について

高校入試でどんな配慮をどんなふうに求められるのか、求めてもいいのか、知りたいです。

高校入試でどのような配慮が過去にあったかは「合理的配慮 高校入試 事例」で検索すると色々と出てくるので、よかったら見てみてください。

事例を見ると「こんなことも!」と感じるようなものもあるかもしれません。

ちなみに、私の知っている事例では

① 過敏のあるお子さんの別室受験
② 筆記の困難があり時間がかかるお子さんの時間の延長
③ 問題や解答欄の拡大コピー

などがあります。
前述しましたが、入試の配慮では在学中のような丁寧なやりとりや試行錯誤の余裕はないため、在学中の学校で実施にその配慮を受けていて効果が上がっていると話が通りやすいですし、その事実を条件として提示されるケースもあるようです。

入試での配慮にはそれまでの実績が必須、と考えていただいて良いかと思います。

通級をやめようと思うタイミングは?

通級をやめようと思ったタイミングをお聞きしたいです。
現在小5。通級では精神的に安定し集団行動が出来るようになっていますが、学級では不安定でこだわり行動もまだ目立ちます。通級の入室待ちの生徒がたくさんいることもあり、通級の先生から卒業を度々打診されます。今年度は、担任の先生に頑張って交渉していただき、通級を継続することが出来ました。親御さんが、通常学級の合理的配慮のみでOKとどのように判断されたのかについてお伺いしたいです。

通級に通っていた次男がまさに同じ状況で卒業を打診されたことがあります。私はとても不安が大きかったので先生に頼み込んで6年まで通級を続けさせていただきました。

当時のことを今振り返って考えると、質問者さんが仰るように教室での不安要素が大きいとなかなか卒業すると決めきれないのではないかな、と思います。

これからどう決断していくか、についてですが、やはり本人も親御さんにとっても「教室で合理的配慮が受けられて安心して過ごせている」という実感が大事なんだろうと思うので、そこを学級担任と通級の先生とで意識して校内で対応していただけるような配慮の提供が必要なのではないかと思います。
通級に通う在籍することと特性が緩和して過ごしやすくなることは決してイコールではないので、在籍してさえいれば良くなっていくものではないことは質問者さんもお分かりのことだと思います。

いかに担任とやりとりを重ねてもらえるか、いかに教室での合理的配慮の提供につなげてもらえるか。ここは本来は通級の先生の腕の見せ所なんだろうなぁとは思うのですが、なかなか機能しづらいのでしょうね。
どんどん成果が上がりさえすれば通級を卒業していける子が増えるはずなのだけども。

通級の先生も早々に枠を空けたい気持ちもおありでしょうから、その辺の不安要素を潰してもらえるような対応をお願いするのもアリじゃないかと思います。

テストの配慮の交渉について

学校の定期テストや入試などでの合理的配慮について、主催者とどのような交渉をするのか、その準備をいつごろ開始するのかなどを知りたいです。
小学校高学年の子どもが、文字は読めても書きたがらないのが、書けないのか・書きたくないのかがわからず、本人ものらりくらりとしていて、保護者として焦りを感じています。

定期テストでの配慮は学級担任や特別支援コーディネーターとの面談でやりとりを重ねる必要があると思います。

どんな配慮が本人に活きるかを検討し、定期テストで試していただき、その成果について検討を重ねていく、という「入試の時にどんな配慮が活きるかの実証実験の場」とも言えると思います。

入試の配慮に関しては、その定期テストでの実績を在籍校から受験校に伝えてもらうと配慮が受けやすくなると思います。この辺はどのルートを通して話すのか地域性もあると思うので、在籍する学校の特別支援コーディネーターの先生に相談すると良いかと思います。

後半の「書きたいのか書けないのか」という点についてですが、これは素人で判断するのはやめといたほうがいいと思います。

理想としてはアセスメントが取れる専門家に診てもらうのが一番ですが、じゃあ誰?ってなりますよね…
どこの誰ならできるのか、というのがこれまた環境により様々なので「ここに行けばいいよ!」と一概に言えない難しさがありますね…

ちなみにうちの子もこの手の筆記の困難があったんですが、通級指導教室に通い始めた頃に担当の先生が色々観察してサポートしてくれました。

特別支援教育士の先生がアセスメントをしてくれるケースもありますし、通院する病院でOT(作業療法士)さんが関わってくれるケースも聞いたことがあります。

もうひとつのアプローチとしてですが、親御さんの「焦る」をなんとかする、という道もあるんじゃないかな、と思います。

お子さんに難しいところがある場合、親としてすごく気になると思うんですね。
ただ、思春期の入り口にいる子たちにとって自分の苦手なことやうまく取り組めないことを親に色々と介入されるのも段々嫌になっていくものでもありますよね…

これから中学高校と進学していく中で、具体的な困難に見えることについて親が当事者として介入していく機会はどんどん減っていくし、減らしていかないといけない。

そのためにも、筆記の困難に関しても本人がどうしたいかが見えてくるまで様子を見るのもアリかもしれないな、とは思います。

もちろん「もっと早くから手を打っておけばよかった!」という後悔が絶対ないとは言えないし、それ怖いですよね。
でもとりあえず高学年になるまでそれなりにやり過ごせてきてるなら、ちょっと距離を置いて見守りながら、水面下で準備だけ進めとく、というのもおすすめです。
お子さんが自分からヘルプを出してきた時の相談先を用意しとくんです。
お住まいの環境でも違ってくるのでどこに、というのはなかなか言えませんが、誰でもどこでもいいから自分が相談できるところは確保しとく。
リアルで見つからなかったらこんぺいとサロンのコミュニティにいるだけでもいいと思うの。
その準備だけしとけば、いざという時に多分どうにでもなると思うから、あとは余裕を持って見守っておく、というのもアリだと思います。

学習についていけず無力感

中2の息子がW Mが低めですが、診断はもらっていないものの、学習がついて行きにくく、本人が無力感も感じており、今後どのように受験を迎えて行くか、色々と悩んでおります。皆さんの英知をお借りしながら、私も学んで行きたいと思います。

勉強会の配信はお役に立てたでしょうか。
学習についていけないの、しんどいですよね…
うちの次男もお勉強は決して得意ではなく自信を無くしがちです。

通信制高校についてのお話もご用意していますが、今はいろんな進学の仕方があるのでお子さんのペースにあった進路が見つけられたらいいなぁと思います。
これからもお手伝いさせてくださいね。

元々のスキルがさほど高くない場合に…

宿題課題に対して、元々のスキルがさほど抜きん出て高くない場合、保護者は地道に点を稼ぎたくなるとおもうのですが、
①やって良かった
②やらなきゃ良かった
③やったけどダメだった
④やらなかったけど大丈夫だった
このへんの区別を知りたいです。
「大好き!」の有無や能力の高低に左右されるとは思っています。
どのていどなのか。
進学まではみえなくもないけれど、就職はどうなのか。
ぜひ知りたいです。

ちょっと解釈が難しい内容なので取り違えてたらごめんなさい。
①〜④については、本当の本当に「お子さんによる」「その子の受け取り方次第」みたいな話になると思うので一般論として話すのは難しいんじゃないかなぁとは思います。

宿題への取り組み方も、その後の進路に関しても、どんな配慮が必要か、どんな配慮が活きるのか、当事者であるお子さん抜きでは語れないよね、という話は勉強会の中でも何度も話題に上りました。

進学に関しては学校の関係者と、その先の就職に関してはジョブコーチや就労支援など、保護者や当事者と一緒に並走してくれる人たちとうまく付き合いながら「その子のベスト」を見出していく姿勢が保護者には必要なのかな、と思っています。

終わりに

たくさんのご質問ありがとうございました。

特に並べ替えたりせず、あんずが送ってくれた通りにペタッとコピペして回答を追加する形にさせていただいたので、同じような話題があったりもしていますがご了承くださいませね。

教育に関する合理的配慮のお話では、大まかに分けて
①教室の中などで長期的に配慮を受ける場合
②入試などでその場だけの配慮を受ける場合
の2つのケースが想定されると思います。

前者では合意形成プロセスに則った丁寧なやりとりを意識すること、後者ではその時間を割くことは難しく、そこに至るまでの期間の準備として「確実な前例を作っておく」というのが鍵になるかと思います。

次男やその周りに見るみなさんとよく話すのですが、学校での合理的配慮の提供やそのための申し入れは「社会に出るための下準備」だと思っています。

学校や家庭はどんな配慮を受ければ無茶をせず働いていけるのか、自分らしく生きていけるのかを試行錯誤しながら模索していく場。

ケース会議も、その配慮の検討のために周りの人たちと対話していくための訓練の場なのかもしれません。

発達障害は見た目でわからない障害であり、また成長や環境と共に困難のあり方も変わってくるため、どんな配慮が活きるか親も本人も簡単に答えが出せない難しさがあります。

だからこそ、学校や支援者と良好な関係を築きながら本人にどんな配慮が必要なのかを一緒に考えていってもらえること、その環境を整えることが保護者としてできる唯一のことかもしれないなぁと思ったりすることもあります。

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
今後とも、こんぺいとサロンの活動にご協力いただけましたら幸いです。


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