はじめに
今年の目標、それは自分史の執筆。
1999年、僕は声優オタクになりました。
それから25年、女性声優さんの魅力に取り憑かれて、
ラジオが僕と声優さんたちを繋げてくれました。
このノートは、そんな思い出を振り返る回顧録になります。
私は声優さんのラジオ番組にお便りを送り続けていますが、
原則ラジオのお便りは記録に残りません。
ただ採用枚数を重ねたところで、
何も残せなければ食べた食パンの枚数を数えるのと一緒。
だから、記憶に残る一通を心掛けて、私は言葉を紡いできました。
こんなことを言えばカッコイイですが、悪目立ちをして出禁になった番組もあります。
その辺の事情も包み隠さず記事を書いていきます。
今までラジオリスナーは読まれたお便りがすべてという信念で、
自分自身のことを番組以外では発信してきませんでしたが、
未来に進むため筆を取ることにしました。
ちょっと昔のことを古参ぶって語るのはダサいですし、
次に後ろ振り返るのは25年後です。
有料での公開になりますが、これは自分の文章に価値があると思っているわけではありません。
私的な話を赤裸々に書くので、公開と非公開のグレーゾーンとして、有料noteを落とし所にしました。
少しでも小銭を稼ぎたいなら、ラジオ投稿のいろはを公開する所ですが、
人と同じお便りを送れば読まれるし、人と違うお便りを送れば印象に残るが採用率は下がる。私はこれしか知らないので、ハウツーを書くつもりはありません。
2024年の一年間で12本の記事を目標に書いて、
声優雑誌の発売日と同じ毎月10日に更新します。
【オタク歴◯◯年!!】とか【採用枚数〇〇〇通】とか
高らかに宣言する行為は、自分の美学に反するのですが
このnoteは何年に何をしたが重要になるので、あえて年数を記載します。
聞いていたラジオをまとめることで、自分が見聞きしたアニラジの歴史も書いていきます。アニメ雑誌はいくつか処分しましたが、幸い声優雑誌は一冊も捨てていませんので、30年分の声優雑誌からネットには載っていない情報も拾い上げていきます。
このタイミングで書くことを決めた理由は3つあります。
1.石原慎太郎氏が”「自分と妻」の死後の出版を条件"に執念で綴られた赤裸々な自伝『「私」という男の生涯』に衝撃を受けたこと。
2.一生忘れない出来事と言っても、すでに過去の記憶やデータにアクセス出来なくなってきたので90年代後半から2000年代出来事は、今のタイミングで残すのが一番だということ。
3.大好きなラジオ番組『花澤香菜のひとりできるかな?』で16年の歴史をまとめた番組本が出たこと。
※3の細かい理由は後々記事で書く予定なので今は省略します。
ここまで文章を読んでくれて、少し興味を湧いた人はこの記事を読んでください。
ラジオ関連を中心に活躍しているライターの村上謙三久さんに、今まで聞いてきたラジオについてインタビューを受けた記事です。
この記事に書かれていることを深掘りして書いていきます。取材を受けたのが2017年なので、7年間で書きたいことや新しい思い出がたくさんできました。
記事を一度読んで、面白そうだと思った人だけ先に進んでください。
積極的に宣伝する気もないので、誰も読んでいないと思って書きます。
一人の声優さんに対し、一つの記事を上げる予定ですが、ラジオ投稿を本格的に始まる前は、いろんな声優さんを広く浅く好きだったので、その時期の記事は青春編としてまとめてアップしていきます。
さて、ことの始まりは1998年4月7日に遡ります。
アニメ『カードキャプターさくら』の第一話に偶然出会った私は木之本桜ちゃんに恋をします。その流れでさくらちゃんが表紙のアニメージュ1998年7月号を購入し、以後、十数年に渡り購読を始めます。
翌年の99年2月、アニメージュの姉妹誌で、本誌にも広告が出ていた椎名へきるさんが表紙の『ボイス・アニメージュ VOL.24』を購入しました。
この雑誌の購入が声優オタクとしての最初の一歩であり、
今に続く道を示すことになるのですが、
その詳しいお話は【1月号】すべてはラジオ大阪からはじまった(1998~2001)を購読してください。
https://note.com/suminori_san/n/n9478dbadf025
ここまで一言一句読んでくれた人も、
読み飛ばしてここまでスクロールした人も、
ありがとうございます。
せめてものお礼に、素晴らしい1年になるよう祈っておきます!
どうぞ、穏やかな気持ちでお過ごしください。