VRCショートショート『すぐ消すかも』

祝日の朝6時。
前日早い時間に寝落ちしてしまったわたしは、早朝に目が覚めた。
ソーシャルを見ると、フレンドの大半はログアウトしてしまっていた。
なんだか損をした気持ちになり、楽しい時間を取り戻そうと、パブリックのワールドに入った。
日本語話者向けのワールド特有の入口の簡単なクイズを解いてロビーに入る。
祝日のせいか、この時間帯にしては人がいた。
だが静止して動かない人が多く、寝落ちしているものと思われた。
大きなミラーの前では数人の談笑しているグループがあった。
人見知りのわたしはその輪に入ることもできず、中途半端な位置でひとりSNSのタイムラインを眺めていた。

『おはよー
祝日なのに仕事なのだるすぎ』
『ホラワでフレンドが漏らしました(動画)』
『フレンドのお砂糖カップルが1週間くらい揃ってログインしない……リアルプラベか!?』

すると横から声をかけられた。
「おはようございます」
「あ、おはようございます」
わたしは応えた。
ネームプレートの文字は白。
フレンドではない。
「何されてたんですか?」
「パブリック来たけど誰かに話しかける勇気なくて、Twitterみてました」
「わー、その気持ち分かります。
やもめさん、よくツイートしてらっしゃいますもんね」
「え、もしかしてフォローしてくれてますか?」
「いえ、僕のフォロワーがやもめさんをフォローしていて、たまにリツイートで回ってきたりおすすめに流れてくるので、お名前だけ知ってたんですよ」
「あーなるほど。
クソツイばかりでお恥ずかしいです」
なんだか有名人になったみたいで面映ゆかった。
「今もお酒飲んでるんですか?」
酒カスであることもバレている。
誰のフォロワーなんだろうか。
「そうなんですよー。
朝ごはんの天そばと日本酒で良い感じです」
わたしはサムズアップし、それに伴って変化しシイタケ目になったアバターの顔を向けた。
「おー。
良いですね。
僕もせっかくのお休みだし、飲もうかなぁ」
「えー嬉しい。
飲みましょう飲みましょう」
ハイボールを作ってきたという彼と、わたしは乾杯した。
「ていうか酒カスなのもバレてるんですねぇ」
「何かのツイートで見ましたよ。
毎日お酒飲んでるって本当ですか?」
「それが本当なんですよね」
「VRCって酒飲みの人多いですよね。
僕はお休みの日くらいしか飲まないけど」
「そうですね。
わたしのフレンドにもたくさん居ますよ酒飲み。
毎日ぶいちゃやって酒飲んでV睡して」
「すごいですよねぇ。
同じような生活してるフレンド居ますけど、なんか部屋で突然倒れてやばかったって話してましたね」
「うぇー。
やばいっすね」
「その人は実家住みだったから、起きてこないその人を家族が心配して部屋を見に来て異変に気付いてもらえたそうです」
「不幸中の幸いってやつですね。
でもわたし含め独身の一人暮らしだとそのまま孤独死なんてめちゃくちゃありそう」
「あるでしょうねぇ。
それに、独身男が孤独死してたら、多少変な死に方しても何も騒がれないでしょうね。
こわいこわい」
そんな話をしている間、聞くともなく耳に入っていたミラー前のグループの会話に穏やかではない雰囲気を感じられた。
どうやら女性ユーザーにしつこく絡むユーザーがいるようだ。
女性はやんわり拒否しているが、ねちっこく絡む迷惑ユーザーを周りの男性ユーザーが注意している。
こういったパブリックのワールドではよく見る光景だ。
「いますよね。
女あさりにVRC入ってくる奴」
「いますいます。
でも、女性っぽい声でも相手が本当に女性かなんて分からないですよね」
「あー、ボイチェンとかですか?」
「いや、AIのアレでボイチェンの精度かなり上がりましたけど、やっぱりよく聞くとボイチェンだって分かるじゃないですか。
そうじゃなくて、地声で性別判断できない人ってたまに居ません?」
確かにいる。
VRChatを始めるまで、男性の声の音域がこんなに広いとは思わなかった。
「あぁ、いますね。
中性的っていうかどっちともとれる声の人」
「そう。
実は元お砂糖相手がそれだったんですよね。
すごい声可愛くて。
ずっと女の子だと思ってたんですよ」
「へぇー。
羨ましい。
良い声なんですね」
「こっちもあえて性別なんて訊かないじゃないですか。
相手も言わなかったし。
性格も喋り方もどっちともとれる感じで、すっかり騙されましたよ」
「いやー騙してたってことは無いんじゃないですかねぇ」
「騙してたんですよ!」
彼の後ろにいた、寝落ちしていると思われたユーザーが身動ぎした。
「すみません。
大声出して……」
「いや、まぁ大丈夫ですよ。
思ってた性別と違ったらショックですよね、それは」
「僕、VRCやる前まで全然モテなくて。
それどころか人と関わるのが苦手で友達も少なくて。
でもVRCでは、不思議と会話ができて。
お砂糖だってできたし。
やっと、彼女ができたと、思ったんですよ」
カラン、とグラスを傾けた音がした。
もう結構飲んでいるんだろうか。
わたしは相槌を打った。
「すごく嬉しくて。
そりゃあ、お砂糖イコール現実でも恋人とは思ってなかったけど、少なくともVRCでは恋人みたいに付き合ってました。
人に好かれるってすごく幸せなことなんですね。
お互いに好きだっていうのは、とても、嬉しいことでした」
その人の左手薬指には指輪が光っていた。
さっき元お砂糖と言っていなかったか。
「いつかオフ会したいねって僕は言ったんですけど、向こうは会ってくれる気無かったみたいで。
でも僕は会いたかった。
お互いに好きなのになんで会えないんだって、苦しかったんですよね。
分かりますか?」
「まぁ、分かりますよ。
わたしも、それだけ好きだったら会いたいってなるかもなぁ」
「ですよね。
だから、頑張って、見つけたんですよ」
「なにを?」
「お砂糖相手の家」
わたしは息を飲んだ。
喉の乾きに気付き、手元のグラスを持ったが、空になっていた。
これは、やばい人かもしれない。
「……お〜。
それは、なかなかの行動力ですね……」
「結構分かるもんですよ。
会話から割と個人情報って漏れてますし、Twitterにあげてる写真とかで住所もある程度分かるし。
仕草とか話し方はVRCで分かってるし」
「それで、実際に会ったんですか?」
「ええ。
でも……幻滅しました。
僕と同じような、人でした。
独身一人暮らしの、モテない、ただの……」
「あ〜……。
うん……それは……辛いね」
「ぶいちゃの関係なのに何マジになってんのって、キモいって、頭おかしいって言われました……。
騙してたのは向こうなのに」
わたしは何も言えなかった。
「でもVRCでの時間は、たぶん本当だったんですよ。
本当だったと、思いたくて。
僕たちはちゃんと、好きだったんです」
わたしは曖昧に相槌を打った。
「だから、現実の方が間違ってたんです。
僕も間違えてしまったし、お互い様だって言ったんですよ」
なんだか話が見えない。
「それで、お塩になった、と?」
「いや、まぁ……。
うん、でも、そうか。
もう、居ないから」
「……え?」
「でも、インターネットの関係って儚いですよね。
よく言われてるけど。
僕達が必死に現実のように生きていても、人によってVRCの価値観って全然違うし、フレンドのリアルのことなんて本当は何も知らないも同然だし」
「それは、そうですね。
わたしもよく思います。
どれだけ話して、長い時間一緒に居ても、何も残らない気がして」
「うんうん。
でも、そう悪いことばっかりじゃないんですよね」
話す彼の向こうに、寝落ちしていたと思っていたユーザーが見える。
手にはQVペンが握られていて、何か書こうとしている。
「何も残らないってことは、僕達を結ぶ世間的な繋がりは何も無いってことなんです。
現実の世界だけで見れば、恋人とか、友達とか、知り合いだとも思われることはないでしょうね。
現実での接点が無いんですから」
QVペンが動き、何かを書いていた。
初めは何か分からなかったが、やがて分かった。
それは鏡文字だった。
慣れていないのか、字が震えていて読みにくい。
『そいつの』
「だから、何も無かったことにしました。
できました。
もう1週間も経つし、大丈夫なんですよきっと。
気持ちの整理もついてきましたし。
また新しくやり直せるんです」
『そいつの話を』
「あ、フレンド申請していいですか?
やもめさんって話しやすいですよね。
たぶん歳も近いですよ」
「あ〜そう、ですね。
いいですよ……。
はは、わたし何歳に見えるんだろう」
『そいつの話を信じるな』
がたがたの文字が意味のある文章になった瞬間、それを背にしながら彼が言った。
「パーソナルミラーって、便利ですよね」
その途端、視界にレフトの通知が表示され、QVペンを操作していたユーザーが消えた。
「僕、移動しますね」
「え……はい。
それじゃあ、またどこかで」
わたしが言い終わる前に彼はワールドからレフトしてしまった。
気付けばすっかり人の居なくなったワールドで、わたしは動けずにいた。
今までの会話を頭で反芻しながら、わたしは送られてきたフレンド申請をいつまでも見つめていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?