見出し画像

休学日記 4/29~5/5

4/29(月)
 ぬけがら。出さなきゃいけないESとかあったけれどぬけがらだったからずっと起き上がってはなんかしんどくて布団に戻り、泣いたりハリセンボンのYouTubeを見たりしていた。わたしはお笑いが禁止されている家庭で育って、それが関係しているのかはわからないけれどお笑いには適性がない。コントと漫才の違いもわからないし、ネタの笑いどころもいつもよくわからなくてぼんやり見ていたら急に笑いが起きてびっくりする。だからハリセンボンのお笑い芸人としてのあれこれもぜんぜん知らない。でもハリセンボンのYouTubeを見ていると気持ちが穏やかになる。ハリセンボンのYouTubeは愛のかたちだと思う。
 夜になったらちょっと気持ちが落ち着いてきたので通話を開いて、フォロワーと自分の辞書を作るなら何を載せるか話して遊んだ。自分の辞書に載せる言葉はあんまり思いつかなかったけれど、フォロワーの辞書に載せる言葉はたくさん思いついた。フォロワーのことすきだから。自分のことも理解して、すきになりたい。
 

4/30(火)
 ぬけがらV2。夕方までずっと布団にいて、起きていたのになにをしていたのか全然覚えていない。たぶん覚えている価値もないことをしていた。お花の水を昨日(もしかしたら一昨日も)換えるのを忘れていたことに気がついて、ごめんねって言いながら換えた。
 月末のライブに着ていく服を考え始めたいのに、容姿コンプ爆発の時期になってきてしまっている。もう何着てもブスだからどうでもよくない?と思って、ZOZOとか見てもひとつもかわいいと思えない。最近は化粧をしていてもしている最中からずっとファンデがよれてる気がしたり、いつもと同じアイシャドウがやたら濃く感じたり、アイラインが目の端でやけに主張して浮いている気がしたりする。こういう時期は美醜の感覚が曖昧になり、正気に戻った時に見返すととんでもない顔面を作り上げていたりするので怖い。ルーティーンの化粧しかしないでおく。変に見えてもルーティーンを信じる。目は信じない。それはそれで怖い。
 

5/1(水)
 郵送のエントリーシートを書いていた。最寄りの郵便局の時間に間に合わなくてもう諦めようかと思ったけれど、せっかく書いたから21時までやっている新宿の郵便局までわざわざ出しに行った。駅に着いて改札を出るまでに知らない男2人から連続で声をかけられて心が怒り寄りの無になった。知り合いみたいによっ!って感じで声かけてくるの流行ってるんですか?渋谷とかでもよくされるのですが。普通に不快だからやめてほしい。なぜなのかあまりうまく説明できなくてもどかしいけれど、こういうことがあるたびにわたしは自分が軽んじられている気がして泣きたくなる。いつか慣れるんですか?一生慣れないし毎度新鮮に気持ち悪いと感じているわたしが潔癖でおかしいのでしょうか。新宿郵便局の普通郵便と速達に使えるセルフレジは最高。
 

5/2(木)
 カウンセリングに行った。身近な人との関係について、わたしは自分の加害性を恐れすぎており、その人はおそらく自分の加害性を認識していなすぎる、という話になった。だとしたらどうすればいいのだろう。適切な距離ってどうしたら見つかるんだろう。
 先週、面接結構うまくいった!これで落ちてたら面接官はサイコパス!と言ったけれど、面接官はサイコパスでした。面接で一次より先に行ったことがほぼない。そんなにわたしは会うとわかっちゃう「何か」がありますか。てか落とすなら褒めないでほしい。思わせぶりなことすんな。
 

5/3(金)
 友達とごはんに行った。お酒を伴う食事の時ってお酒を飲んで喋りながらちまちま食べるから、永遠におなかいっぱいにならなくて怖い。
 春から教員になった友人はめちゃくちゃ仕事が性に合っているらしく、天職かもと言っていて純粋にすごいと思った。初回で書いたけれど、わたしは教員採用試験の二次試験を辞退した。教員という仕事はたぶんわたしの仕事を通じて実現したいこと(エントリーシートでよく聞かれるやつ)に沿っていたと思う。子どもが好き、と手放しで言うのは少し感覚が違うが、わたしは子どもを希望だと思っている。この世で何よりも優先されるべき存在だと思うし、子どもが傷つけられる世界なら存在しなくていいと本気で思う。教員の仕事を考える時はいつも
背を向けて板書しながらあなたにも翼があると教える仕事 / 木下龍也
を思い出す。教育実習に行っていた3週間、授業準備が毎日間に合わなくて寝れないし、やっと準備した授業も全然上手くできなくて申し訳なくて苦しかったけれど、その間ずっと生徒はまっすぐにきらめいていて、この子たちは希望だ、と毎日思い直した。最終日にもらった寄せ書きを読んで、彼らの前に無限に広がる可能性のひとつの欠片を自分が与えることができたような気になって泣いた。そして、その嬉しさと同時に恐ろしくて仕方なかった。こんなに柔らかくて繊細なひとたちの「先生」になって、たった一言で人生を左右してしまう可能性を自分自身がはらむことが。彼らの多くにとっての世界とは家庭と学校のふたつで、そして彼らにとっての大人は保護者と教師の2種類だ。その片翼を担うことの意味の大きさ。わたしは自分の無意識の加害性を知っている。その自覚がなければ教員は務まらないということもわかっている。わかっていて、その上で自信がなくて、心の底から恐ろしくて、教員の道を歩むのをやめた。わたしは覚悟を持つことができなかった。
 この話を本日の冒頭で教員になったと書いた友人にしたら「多分多くの教員はそこまで深く考えてない。あなたみたいな人こそ教員になってほしいけど、きっと生徒と共倒れするんだろうね」と言われた。そんな美しいものではなく、ただ傷つけたくない悪者になりたくない嫌われたくないのエゴで、やってみてもいないのに逃げただけだよと思った。
 

5/4(土)
 とくにバイト先で嫌なことがあったわけではないけれど、死ぬぞ!と思いながら退勤して、ダイソーとスーパーに寄ってラップとトイレットペーパーとフルーチェの素を買った。いくじなし。
 才能がある人って珍しくないといけないはずなのにそこかしこにいて、才能がある人たちも才能がある人コミュニティの中でさらに才能があるなしで悩んでいて、才能がぜんぶないわたしはどうしたらいい?フルーチェ4人前を晩ごはんにした。
 

5/5(日)
 体調不良の欠員が出て(お大事にしてほしい)地獄のような忙しさのバイトを耐えた。夕飯、お米と共に作り置きの野菜そぼろを食べるつもりで野菜そぼろをあたため、ごはんを解凍しようとしたら冷凍ごはんを切らしていたことに気づく。しかたなくレタスで巻いて食べた。おいしかった。健康になってしまう。やることがたくさんあるのに眠くて、全部放棄して一旦寝た。夜中の1時ごろに起きてやること全部やって、ついでにむしゃくしゃしたからオレオマフィンも作った。明日フォロワーと遊ぶからあげよーっと。
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?