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僕らがストレスを感じる理由①

自我が芽生えたが故の苦しみ

人間の自我が芽生えるのは諸説あるらしい、おおよそ2歳から。その頃から、自分がどんな人間かを考えるようになって、それまで外界に向かっていた意識が自分に向かってくる。

世間でよく言う「魔の2歳」というのはこの時期で、言語に関連した脳領域の神経回路が増幅する時期という事もあり、急速に言葉の発達が進むとともに、自己主張をすることも増えてくる

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この時期の子育てを経験した人からすると、本当に大変で「どうして、こんな行動をとるのか」と本当に悩む時期。ただ、上の写真を見てもわかるように、何を主張しているのか大人の目からは正直分からないことが多い。長男曰く、これは車に変身したところらしい。恐らくトランスフォーマーの影響だろう。

では、その頃の記憶が当の子供にあるかないかというと、今から考えてみると思いだせない人が多いハズ。とは言いながらも、当時の事を親に聞いてみると、「当時のあなたはどうだった」とか、「それからどうやって今に至った」とか、主観的な話が中心になるけれど、色々と状況を垣間見ることができる。

それを聞いてみて、「なるほど、そうだったのか」とか、「本当にそんなだったの」とか、今の自分の延長上で(といっても過去の話なので、正確には遡及であるわけだが)、納得できたり、できなかったりするのが普通だったりする。

多くの人がそうなんだろうけれど、自分が思い描いている自分と今その時を迎えている実際の自分との差に落ち込む。幼少期の作文、中でも将来の夢やそれに類する文書をいま読み返すと、その目標との差に歴然とする事が多い。その通りになっている人に会ったこともなくはないけれど、非常に稀であり、多少の挫折を踏まえた謙虚な目標になっていない限りは、ほぼ皆無に近いと思う。

自分も衛生管理者を取得して、人事労務の仕事をやることになるなんて思いいもしなかったりもする。そして今はそのような仕事はしていない。たった数年の間に人生のボラティリティが偉く高まったと未来の自分からは見えるのかもしれない。

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(後日へ続く)

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