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僕らがストレスを感じる理由②

挫折から人への興味へと

ちなみに自分の目標が何だったのかと思い、小学校の頃の文集を読み見返してみたら「器械体操の選手」とのこと。一体この時何があったのかと思ってしまった。人生において一度も器械体操をやったことはないし、今となってはなぜこれを目指したのかもわからない。

今現在器械体操の選手ではないけれど、成長の過程をとっても、今になっても、それほどの大きなショックがなかったのは不幸中の幸いだったかもしれない。写真は将来スパイダーマンになるという長男

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町内会のお祭りもこの格好で行ってしまった。彼は将来ショックを受ける可能性がなくもないのかと不安になることもある。

幼少期の作文は一例だけれど、実際のところ自我が芽生えて以降というものの、色んな局面で、目標と現実の乖離に苦しみ、多かれ少なかれ挫折を感じて生きていくのが人間なのかもしれない

そういう自分も、過去を思い返してみると本当に多くの挫折の機会を頂き、折れ続けて現在があるのかと思う。折れる度に、「自分って何なんだろう」とか「何ができるのだろう」とか自省し考えるようになり、そしていきつくのは毎回「何て売りがない人間なんだろう」という帰結

救われない結論に、一体周囲の人はどうやっているのだろうと思い、人に対して興味が湧くようになった。非常に後ろ向きな理由だけれど、そうやって人や社会に対して興味を持っていく人も少なからずいると思っている。

(後日へ続く)

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