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すげえセンシティブな話を晒す 〜11年後の7月に

大好きなギターボーカリストのライブに久々に参戦!

東京でライブの機会はあったものの、仕事が、とか、予定が、とかってなかなか足を運ばずにいた。

そろそろ行きいたいとチケット予約した2020年3月のライブが、ぎりぎりコロナの影響で中止に・・。

配信ライブは何度か観戦したものの「JUON君の生声、生ギターが聴きたい・・」とずっと思っていました。

アコスティックライブではあったものの久々にJUONくんの笑顔、歌声、相変わらずのエモーショナルなギタープレイが観れて幸せいっぱい。


ソロライブのためまぁソロ曲がほとんどでしたが、ライブの中盤あたりで2曲だけFUZZY CONTROLの曲を披露してくれた。

・僕のその物語

・SUNSET

僕のその物語の終わりでギターを止めず、コードを弾き続けてそのままSUNSETへ。



あ・・・。



イントロのコードとオレンジ基調の照明で、一気にフラッシュバック。

この曲が発売されたのは2010年7月7日・・。当時。


それは僕にとってそれまでちょっだけ地獄だったのが、更に深い地獄に入った節目の日でもありました。

新卒で2009年に社会人に。

当時の会社や先輩方を否定したいのでは全くなく、

ただ日々過ごすほどに、先輩方を見るほどに、

どうしても僕の理想の人生の線上には無い気がした。困った。

入社した会社は学生当時、自分なりにかなり考え、軸を持って選び抜いた会社だった。自分の選択に自信しかなかった。

それがどうやら違った。自分のとった選択に自信が持てなくなった瞬間、自分の全てに自信がなくなった。

当時大阪に勤務していた僕は、会社で行われる2年目研修のため7月5日-7日に東京の研修会場(通称 タマケン)へ。

前向きな内容の研修内容とは裏腹に、全く気持ちがついていかない自分にも更に凹んだ。絶望した。

またタマケンではエリアが指定されたうえ同期の男女が一斉に集うこともあり、雰囲気的には少しだけ浮ついてチャラつく。研修後が本番、みたいな空気もあった。研修が終了したら部屋へ戻り、ピアスをつけてロビーに出てくる男もいた。

ただ、どうにもこうにも気持ちが晴れない。

仕事がうまくいかないとか先輩とうまくいかないとか、悩みはそんなレベルではない。頑張ればそんなことなんとかなる。


自分の選択基準がもう信じられない。


これがきつかった。

最終日の7月7日。他支店で働く入社時研修のときの仲が良かった友人1人にだけ伝えてタマケンを出て、大阪に帰ってきた。

「もう、無理だわ。俺。頑張ってな。」


大阪に戻り、そのまま難波へ向かいタワレコでこの日発売のこのCDを購入。

絶望にまみれたままのその景色を今でも覚えています。

先がなーんにも見えない。けど今を耐えるほどの馬力ももう残ってない。

辞めるのはいいけど。その先どうすんの?

この会社がダメだったんなら、もう他で正社員で働く気もない。

すぐフリーターに入ってジャンカラのバイトに戻るでも良かったのだが、その道は当時の彼女が嫌がり、ためらった。他にも方法はあるだろと頭の片隅で誰からのものでもないツッコミが聞こえていた。

(このときも、どこかで音楽だけは続けていたかった)


取り急ぎ休むことだけ決めた。

翌日7月8日、寮の近くの心療内科に行って鬱の診断を出してもらった。

出た、のではなく、休むための手段として出してもらった。症状説明のときはもう嘘をついた。眠れない、気持ちが晴れない、辛い、頑張れない、動機がする、とか諸々言った。実際はよく眠れたし動機もない。優しい先生で、すぐに診断書と薬を何種類か出してくれた。

寮の両隣の部屋は同じ支店の先輩だったため、なるべく会いたくなかった。できるだけ寮を出た。毎日難波の夜の街にくり出してネカフェに寝泊まりして、先輩たちが仕事に出た日中に寮に戻りシャワーを浴びて少し休み、夕方くらいにまた街に繰り出す。そんな感じの生活を繰り返した。

たまに一人で行先決めずにレンタカーを走らせて旅行に行ったり実家に帰ったりもしたが。

でも、ほぼほぼ毎日難波をフラついていた。

そのときにこの曲をずっとエンドレスリピートしていたのです。


「迷うことで景色が 見えなくなって

 冬のコート着たまま 夏になり

 太陽の光さえ 眩しくなくて

 大きな声で叫んでも 波がかき消して

 届かない声と 過ぎゆく夏」


とか、この辺りの歌詞がなんだかもうドンピシャすぎてねー。


時間(当時ボーナスも出たてで割と金もあった)だけあっても、希望がなければ人生地獄。

このとき強く感じたこと。


3ヶ月後に退職、大きな決断もせぬまま派遣社員やって半年後に結局フリーターになるという道をその後歩みましたが。(その後も結構地獄が続きましたがw)


狙わずして11年後の同じ7月。気づいたときにハッとした。

あのときと同じ7月か・・。11年。ほぼ一回り。


「よく、頑張ったな。」


と、JUONくんに言ってもらえた気がして泣き(はしませんでしたがw)

でも、とっても感慨深いものがありました。

そして生きてさえいれば、状況、環境を変えて、こうしてまた好きだった曲たちにも出会えるのだなぁと^^


今日は、さとちゃんとのセッションライブで、FUZZY CONTROLの曲がメインなんだとか!!


もっかいSUNSETやってくんねーかな♪



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