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翡翠の道 ー縄文の祈りー

糸魚川翡翠の旅より③

今から5000年くらい前の縄文時代中期に、
糸魚川周辺の人たちがヒスイの加工を始めた。

加工された糸魚川産のヒスイは、北は北海道、南は鹿児島まで、
日本全国から見つかっている。

縄文時代に、そんな「ヒスイの道」とも呼ぶべきネットワークが日本に張り巡らされていたなんて。

なぜだか、はっきりわからないらしい。
婚姻関係とか権力関係とか、交易とか。


だけど、「特別な思い」を伝えるためだったろう。

糸魚川の河原で、水の中に一際キラキラした綺麗な石を見つけたヒトが、
もし、誰か特別なヒトがいたら、
その思いを美しい石に託して渡したくなったろう。

しかも、その石が特別に硬くて、だけど、磨くと特別に美しかったら。
きっとその石の光は、太陽の光や、水のきらめきや、
暗闇の中の炎や、動物の目のような、光と繋がって感じられたろうと思う。

石の加工は、
「人がまとえる光」の始まりだったんだろう。
光をまとったものは、何か特別な力を授かったように感じたかもしれない。

そして、光をまとったものの最大の願いは、
生命の讃歌と継承だったと思う。


ヒスイ文化の発展は、
縄文人たちのイノチへの祈りと繋がっていたように思えてならない。

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