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災害が起きた時の安否確認のクセが直らないと感じた今朝の地震。

私なりの緊急時の習慣

今朝の緊急地震速報で飛び起きました。
東日本大震災での経験から
地震があるたびに
別々に生活をしている母・祖母・伯母の安否確認をするルーティンがありました。
そして緊急時も職場へ向かい待機しなければならない。という
事務員の私さえも同等にした会社のルール。

今朝の緊急地震速報でついついこれまでの癖がでてしまい
習慣ってすごいなと改めて思いました。

家族の安否確認。

母(当時は父が生存)、伯母(当時は伯父が生存)、祖母とそれぞれの家で生活をしていました。
東日本大震災の時は電車もすべてストップしていたので
会社の車で途中まで送ってもらい
自家用車で両親の自宅へ。
私は内陸部でしたので津波の被害などはありませんでしたが
職場で自家発電をして電源を入れた時にテレビ画面と
ラジオでの情報で
これから一体どうなるんだろう…と思いながら
点灯しない信号機がすべて赤信号になっているように感じたのを思い出します。

祖母の安否とコミュニティの希薄さ

両親の自宅から40分ほどのところで祖母は一人暮らし。
自宅は崖の下で災害時に何かあると不安なので両親と同居してほしい気持ちがあったのだがお構いなしだった。
手分けをして父が祖母の安否を確認をして連れてきたのだが
「縁側で風呂敷をもってぽつんと座っていた」
と父が後に話してくれました。

祖母が47歳の時。祖父が倒れ、なんとか住居を…という想いで建てた家。最終的には両親宅には生活しませんでしたが
何があっても近所の人が助けてくれると過信をしていたようです。

実際、孫よりも地区会長の言うことが正しいと(笑)

家族の折り合いは悪くはないのですが
東日本大震災の3か月後父が亡くなり
代わりに祖母のお世話を看取るまで私がしましたが
わがままな祖母とどれだけバトルをしたことか…。
このことも後々書きます。

職場へ向かっても…。

(元)職場は365日年中無休。
現場で待機しろとは言われたものの
自家発電で使用したガソリンも尽きてしまい
電気が入らないデスクトップPCは使い物にならない。
充電器も当時はモバイルバッテリーも乾電池を入れたものだったり…。

Twitter(X)も始まったころで
ツイート仲間が私の所在をさがしているようだったが
電池が切れてしまい安否確認できない。

電車もバスも止まっているのに
自家用車で会社へ来いと…。

…あぁ、もうこの時からおかしいよね。元会社。

ガソリンも配給がなくて
届いたのが水。

会社のメンバー同士で
この水を沿岸の会社で被災した方々に届けました。

必要な個所にとどけろよ!

通勤のガソリン代を節約するために
自転車を使ったり
同じ地域のメンバーと交代で車を出した記憶があります。

伯父の体調も気になり…

この当時は伯父は余命宣告をされていました。
物静かな伯父さんでしたが
私と同じ業種だったので
理解してくれた唯一の人でした。

病院も抗がん剤治療がストップしたりと内陸部でもかなりの被害がありました。

叔父の人工透析

千葉にいる叔父の人工透析も気がかりでした。
東北よりも被害がなかったのはよかったのですが
数日透析ができなくなったという話を聞き
緊急時には東北の私達がいる近隣の病院をチェックする必要はあるなと
感じました。

今朝の地震が起きた時

親父に連絡しなきゃな…
祖母の黒電話は停電でも繋がる(電話線が切れてなければつながるという事実)な…
車で職場へ行くか…
叔父さんは息子さんと一緒だから大丈夫か…

…13年ですべて不要だったわ…。

母は私の横で座ってお茶飲んでる。
伯母は施設にいるので緊急時は連絡くる。

親父も祖母も叔父もあっちの世界いっちゃうし
仕事も行かなくていいし

…って私
これだけ一人でやってたんだ。

と書きながら改めて思いました。


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