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統一教会に献身❷

献身した私は、伝道機動隊に配属されました。実践トレーニングで一緒だった年上のメンバーの中には、アメリカに行った人、代理店に行った人、事業団に行った人、支部の総務になった人など様々です。

仕事を辞められない人や家庭の事情で献身出来ない人は、そのまま青年部として活動していました。自宅から通っている人は親に教会を説明しないと献身出来ませんが、私の場合は一人暮らしでしたので比較的簡単でした。

献身する際に、電話で教会の話をしました。本来は会って直接話をした方が良かったのでしょうが、反対されると決心が揺らいでしまいそうだったので電話で伝えました。当然反対されましたが、言っても聞かないと思われて「勝手にしろ」という感じでした。

当時はまだ、統一教会と言ってもそれほど知られていなかったので、強くは反対されませんでした。霊感商法で騒がれてから伝道された人は大変だったのではないかと思います。

まだ20歳で怖いもの知らずだった事もあり、将来の事なども全く考えていませんでした。社会経験豊富な年上の人たちは、仕事を辞めて献身する事の重大さを十分理解していたと思いますが、私は深く考えもしませんでした。

親には、将来は事業団(統一教会系の会社)に入るから大丈夫と説明していましたので、何となくそんな未来を思い描いていました。ここが一つの分かれ道だったと思います。献身しないで会社勤めをしながら信仰をしても良かったわけですから。

働いていない期間というのは空白期間になるわけで、履歴書を書く時に困ってしまいます。今だったら簡単に献身するなんて選択しないと思いますが、当時の教会内には「献身するのが当たり前」みたいな風潮がありました。

頼まれると嫌と言えない性格という事もあって、「神が必要とするなら、こんな私で良ければ献身します」という感じでした。また、祝福を受けるには献身しないといけないという事もあって、「いつかは祝福を受けないといけないのなら、今献身した方が良いかな」という思いもありました。

伝道機動隊は朝から夜12時過ぎまで路傍伝道をやります。私がいた時は男性2人と女性5人、それに隊長とチームマザーの9人だったと思います。私は恥ずかしいほど実績を出せず、ただいるだけって感じでした。

信仰の訓練という意味で考えれば、いろいろと学ぶ事は多かったと思います。のちに代理店に行って印鑑販売を経験しますが、やはり実績が出ない底辺のメンバーでした。

いるだけで食費がかかるわけですから、「タダ飯食らい」の申し訳なさで、逃げ出したいといつも思っていました。それでも残っていたのは、「生きた神に出会いたい」という思いがあったからです。

神がいるのかいないのか、信仰を始めた時からずっと考え続けてきたこの問題の答えを見つけたかったのです。文先生のみ言に「神を信じるのではない。神を知るのである」とあります。

「コンセントにつなぐと神の愛がドバっと流れてくる」というので、それを体験してみたかったのです。そうすれば、神がいるのかいないのかで悩む事はなくなるだろうと思っていました。

そして私は実績がないまま、2か月後に人事異動になりました。代理店の前に行く研修店舗です。ここで印鑑販売の訓練を受けた後に代理店配属になります。代理店は厳しい所と聞いていたので行きたくなかったのですが、献身者ですから言われた通りにするしかありません。

研修店舗は支部と雰囲気が全然違いました。支部は実績なくてもニコニコしていられますが、ここではそうはいきませんでした。まさに実績第一主義みたいな感じで、日に日に追い詰められていきました。

新人でも容赦なく叱責されます。追い詰められた私は意を決して、7日断食をする事にしました。いわゆる成約断食といわれるものです。祝福を受ける前に必ずしなければいけなかったし、少しでも神に同情してもらって実績を出したかったのです。

7日の間、水だけを飲んで普通に活動します。もともと痩せていましたが、終わってみたら49kgになっていました。本来ならばご飯の事など考えずに感謝してやらないといけなかったのに、ずっと食べ物の事ばかり考えていました。

7日間、無事にやり遂げたのは良いのですが、肝心の実績が出せなかった事がかなりショックでした。もともと感受性が強いのに断食をしたおかげで霊性が強められ、断食明けの2日目の朝、私はホームを飛び出しました。

「もうここにはいられない」

誰にも告げず、そのまま電車に乗って実家に帰ったのです。母は私を見てびっくりしました。1年半ぶりに帰ってきた息子がやつれていたからです。

「どうした? 何があった?」

私は断食していた事を話しました。母は責める事なく受け入れてくれました。その日のうちに、班長が迎えにきました。班長が母に説明してくれて、一緒に帰る事にしました。この時は辞めようと思ったわけではなく、ただ少し休みたかったのです。

班長が優しい人で、母も安心したようです。結局、研修店舗は1か月で人事となり、再び支部に戻りました。その後、選挙応援に1か月ほど行ったりして、しばらくはのんびりと時が流れました。

そして再び人事となり、今度は東京ブロック選抜の特別伝道機動隊に行く事になりました。組織として、上からの指示は絶対です。「新たなチームを作る事になって誰かを送らないといけない。誰か適当な人はいるか。〇〇君で良いか」そんな感じで決まったのでしょう。

東京の某繁華街を拠点に集まったメンバーたち。私たちに課せられた目標は途方もない金額でした。それを年内に勝利する事。東京、そして日本全体を背負っている感じがして、毎日が吐きそうでした。ただでさえ伝道が苦手なのに、アベル(隊長)からの容赦ないプレッシャー。日に日に彼に対する殺意が強まっていきました。

12月の寒風が吹きすさぶ中、楽しそうに歩いているカップルの姿を見つめていると、「あれ、私は何をしているんだろう?」と思いました。全ての事が嫌になって、私はそのまま兄の家に向かいました。

突然やってきた弟に驚く兄にお金を借りて、私は電車に乗って実家に向かいました。5か月前と同じ事を繰り返して、親元に帰ってきました。その後、支部長から電話が来ましたが、母に「もう帰らないそうです」と言ってもらい、このまま戻らないぞと心に誓いました。入教して1年も経たない、21歳の冬の事でした。

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