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統一教会に入教❶

入教した日がいつになるのかと改めて考えてみますが、4日修練会の最後の日だと言われた気がします。そう考えますと、私の場合は1985年1月3日になります。ちなみに伝道された日は初めて原理を聞いた日と言われていますから、私の場合は1984年12月8日、いわゆる「霊の誕生日」です。

修練会から帰ってきますと、21日間の新生トレーニングに参加します。修練生は教会の館で寝泊まりします。食当さんが作ってくれた弁当を持って会社に行き、帰ってきたら夜は講義を受けます。

新生とは「新しく生まれる」という意味です。文先生をメシヤだと受け入れ、信仰生活を始めるためのトレーニングです。統一教会は「禁酒」「禁煙」「男女交際禁止」ですから、共同生活をしながら慣れていく期間です。

幸い私は、タバコは吸いませんし恋人もいませんでした。酒は好きでしたから抵抗はありましたが、少しすると慣れていきました。ほとんどの修練生が私より年上でしたから、禁酒や禁煙は大変だったと思います。

当時一緒だった修練生の皆さんは、誰も付き合っている人はいなかったようですが、恋人がいた人は大変だったと思います。泣く泣く恋人と別れた人もいたでしょうし、逆に信仰を諦めた人も多かったでしょう。

私たちはいわゆる信仰一世の立場ですから、自らが決意して信仰を始めました。ですから、誰かに強制されたという感覚はほとんどの人がなかったと思います。

ところが、現在世間で問題視されている「宗教二世」の場合はそうではありません。信仰している親によって強制的に信仰をスタートさせられます。これは統一教会の二世だけではなく、他の宗教においても大きな問題になっています。

統一教会の場合は、子どもが小さいうちは日曜礼拝に一緒に連れていきます。うちの場合も、子どもたちが赤ちゃんの頃から礼拝に連れていきました。大きな教会では保育室があったりして預けられますが、小さな教会ではそれがないため、大人に混じって説教を聞かなければならず、今考えると可哀相な事をしたと申し訳なく思っています。

子どもたちが2,3歳の頃から清平修練会に行きましたが、行き帰りの長距離バスが大変でした。食事も基本的に辛い物ばかりで、子どもの口に合うものがなかったので、ほとんどパンを食べさせていたように思います。

両親には反対されていましたから、「どこに行ったの?」と聞かれても子どもたちには嘘をつかせなければならず、心苦しい思いがしました。親の信仰に付き合わせてしまった事は、本当に申し訳なく思っています。

新生トレーニングでは祝福の話がありました。「今まで人間は、神によって与えられた理想相対(理想の結婚相手)がいる事を知らずに自分勝手に相手を選んで結婚してきた。統一教会では神が選んだ相手と結婚する。メシヤである文先生が相手を選んでマッチングしてくれる」というものです。

当時20歳の私には、結婚なんて遠い先の話だと思っていましたが、自分にぴったりの相手を選んでくれるならありがたいと思いました。この頃はまだ、統一教会の闇の部分は全く知りませんでした。

誰も知らない真理を知った喜びと、神に出会った喜び、更にはクリスチャンが熱望してきた再臨主に生きて出会う事が出来た奇跡に、毎日が楽しくて仕方ありませんでした。

新生トレーニングの期間中に、高校時代の同級生を伝道しました。単純に、誰かにこの喜びを伝えたかったのです。彼は大学生で都内に住んでいました。卒業以来の再会を喜んでくれて、コンサートや講演会に来てくれました。

講演会の帰り道にビデオセンターに連れていって、コース決定しました。彼もまたお金がない貧乏学生だったので「だましたな」と言われてしまいましたが、それでも遠いところから通ってきてくれました。

高校3年間ずっと同じクラスで仲が良かったので、彼ならきっと受け入れてくれるだろうと期待したのですが、ビデオを観ては文句を言って帰っていく感じでした。

そんな彼が二日修練会に参加しました。帰ってきた参加者を歓迎する会があったのですが、彼がどんな感想を言うのか不安でたまりませんでした。いよいよ彼の番が回ってきて、こう言ったのです。

「神はいます!」

まさかの信仰告白にびっくりしました。恥ずかしながらも目が潤んで視界がぼやけてしまった事を覚えています。それまでの否定的な態度から一変した彼を見て、私も神業を実感しました。

そんな彼も後にメシヤを明かされるわけですが、献金につまずいて離れてしまいました。深入りする前で良かったと今では思っています。

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