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再復帰までの道のり❶

1985年12月20日、私は実家に戻りました。反対していた両親や兄は喜んでくれました。荷物などは置いたままでしたが、別に必要ないと思いました。もう戻らないと家族に告げましたが、鞄の中に「聖書」「原理講論」「聖歌」「御旨(みむね)と世界」の本が入っていた事は黙っていました。

戻らないと言いながら、何故このような本を持ってきていたのか。その当時の自分は「思い出のために持っていたい」という感じだと思っていましたが、冷静に考えてみれば未練たらたらな事は明白です。

自分の事を分析してみると、理論的思考を好む反面、直感で決めてしまうところがあります。と言うよりも「直感ありき」であって、その直感が正しい事を裏付けるための「後付け論理」だと言うべきでしょう。

「こうしたい」という欲求があって、なぜそれをしたいと思うのかを考える。起こしてしまった行動の原因をはっきりさせないと前に進めない性分です。

この時の私はまだ、文先生はメシヤだと信じていました。いや、確信はないのですが、信じたいと思っていました。この時点で、統一教会に対する様々な悪評を聞いていたなら、ここできっぱりと辞める事が出来たかも知れません。

しかしこの頃にはまだインターネットは普及しておらず、今のように簡単に調べる事なんて出来ませんでした。また、たとえ誰かに悪評を聞かされたとしても、簡単に信じる事はなかったでしょう。

もともと疑い深い人間なので、人の言う事をすぐに信じるような事はしません。「この人の言う事は本当なのか」とまずは疑って、自分で検証してから信じるようにしています。

この頃は情報がなかったので、検証する材料がありませんでした。今までの自分の経験と、手元にある「聖書」「原理講論」「聖歌」「御旨(みむね)と世界」で判断するしかありません。

私は信仰者と言うよりも、求道者だったと思います。人々が幸せになる絶対的な真理があるなら知りたい。見つけたい。そのために統一原理を研究していたのです。

この時点ではまだ、自分が救われるべき存在だと言う自覚がありませんでした。特に罪を犯してきたわけでもないし、良心的に生きていました。それゆえに、メシヤの必要性を実感していませんでした。

文先生がメシヤかどうか確信がないけれど、世界の問題をなんとかしたいと革命を起こそうとしている。そのカリスマ的なリーダーシップに魅力を感じていました。信仰と言うよりも、革命に身を投じる戦士といった感じで自分自身を捉えていたと思います。

統一教会を辞めたからと言って、他の信仰をしようとは思いません。宗教自体が好きではありません。儀式的なものを強制されるのがとても嫌です。統一教会は宗教をなくす運動だと思ったからやっていました。

文先生は、神と一つになれば宗教は必要なくなると言っていました。将来的には「祈らなくても良くなる」と。だから最終的には、教会をなくそうとしていたと思います。

1991年の還故郷(かんこきょう)摂理の時、文先生は「君たちには全部教えた。君たちはもう卒業だ。これからは故郷に帰って氏族のメシヤになりなさい。それぞれの家庭が教会になるのだ」と言いました。

この時点で、統一教会をなくそうと思っていたのではないかと私は思います。大きくなりすぎてコントロールできなくなった組織を、壊してしまいたかったのではないかと。

文先生の事を「稀代の詐欺師」「生来の極悪人」として断罪する人たちが多いのですが、それはあまりに短絡的な考えだと思います。再臨のメシヤ・文鮮明ではなく、一人の人間・文鮮明はどんな人物だったのかを検証する必要があると思うのです。

そうは言っても、私には検証する術(すべ)もありませんし時間もありませんから、ただ頭の中で推理してみる他に手立てはありませんが、このブログを書き始めた動機は、信仰の世界で30年間生きてきた備忘録を残すためであると同時に、私の推論を発表するためでもあります。

さて、実家に帰った当時の話に戻りますが、一週間もすると「どうして自分はここにいるんだろう?」と思い始めます。寒風吹きすさぶ中、路傍伝道している兄弟姉妹の事を考えると、暖かい部屋でぬくぬくしている自分が申し訳ない気持ちになりました。

私は(神の)軍隊の一員なのに、戦場に戦友たちを残して逃げてきた卑怯者だと言う思いが湧いてくるのです。この時点で、現在のように統一教会の悪評を知っていたらこんな思いにはならなかったでしょう。しかし、戻ってきて喜んでいる家族の手前、また戻りたいなんて言えません。

私は今の心境を手紙に書いて霊の親(伝道した人)に送りました。すぐに返信が届きました。便せん8枚に隙間なく文字が書かれていました。伝道されて1年間、電話や手紙などくれる人ではありませんでした。

支部の兄弟姉妹は、大抵の場合が路傍伝道なので霊の親が同世代だったり身近にいます。いつも交流している姿を見て羨ましく思っていました。ですから手紙をもらうだけでも嬉しいのに、8枚もの長文に込めた心情が伝わってきて、涙が止まりませんでした。

教会に戻ったら苦しい日々が待っています。だけど、戻りたい気持ちが日に日に強くなります。これは、共に苦労した戦友とも言うべき兄弟姉妹との情の絆とでも言いましょうか。彼らばかりに苦労をさせている自分が許せないのです。

自分自身を分析してみると、受動的タイプの人間だと思っています。目の前にいる人が喜んでいると自分も嬉しくなり、怒っていると悲しくなります。「相手ありき」の人間なのです。「自分が喜ぶため」と考えるとやる気が出ませんが、「誰かを喜ばせるため」と考えると力が出ます。

なのでいつも、行動の動機を探していました。「家族や先祖、国や世界、そして神のため」に信仰しているのであり、献身したのだと。当時は、正しい事をしていると信じていたからです。

今は、統一教会がやってきた事、そしてやろうとしている事は正しいとは言えないから反対しています。今の組織に求める事は、過去の過ちを認め、被害者に謝罪と賠償をし、教会員に真実を伝える事。

すぐには解散出来なくても、少しずつ規模を縮小する事。高額献金をやめにしたら、自然に縮小していくと思います。教会外の人たちの理解を得られるように努力してほしいと思っています。

タイムマシンがあれば当時の自分に言い聞かせるところですが、残念ながらそれは出来ません。私はこの後、霊の親と連絡をとりながら、再復帰の道を探していく事になります。

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