成人公演2021 - 岐路


成人公演2021『岐路』



この『岐路』っていうタイトル。
気に入っている。


このタイトルを決めたのは私とマヌカだった。

ももえ先輩がつけてくださったタイトルには(仮)が付いていて、最初はみんなでタイトルを考えてたけど、決まらなくて、時間もなくなってきて、もうマヌカと私で決めちゃおう、って。それがいきさつ。

とりあえずお互いに考えた案を送り合った。
私が先にメモのスクショを送り付けた。
その時私、メモに書かなかったんだけど、実は『岐路』っていう言葉は浮かんでいた。

でもなあ。なんかなあ。
ありのまますぎるよなあ。

そう思ってマヌカに言わなかった。
そしたらマヌカから来たタイトル案に『岐路』があって(その時はまだ別のサブタイトルをマヌカはつけていた、)めちゃくちゃ驚いた。
思考読まれたかと思った。


岐路。
そもそも岐路ってどういう意味。

き-ろ【岐路】
1. 道が分かれる所。分かれ道。
2. 将来が決まるような重大な場面。
3. 本筋ではなく、わきにそれた道。
(「デジタル大辞泉」(小学館)より)


だそうです。




私たち、気づけば岐路に立っていた。


高校演劇で出会った。
卒業を迎えた3月、私たちは高校演劇の終わりに広がる岐路から一緒に踏み出すはずだった。
それができなかった2年前。
私たちの道は完全に分かれてしまったように思えた、けれどもそのうちの何人かは、あの時立っていた岐路を忘れられなかった。
似ている道を探した人もいれば、振り返って見つめてきた人もいる。
背後にその熱を感じながら前を見て歩いてきた人もいる。

あの岐路を忘れられなかった何人かのうちの、何人か。それでいて今改めて自分の中のなにかに終止符を打とうとする8人。それが私たちだった。

20歳という人生の岐路の上、私たちはもう一度あの時と同じようで確実に違う岐路をつくりあげる。
それがこの公演だと思うとなんだかしっくりきて、私はマヌカとタイトルを『岐路』に決めた。


私: 岐路かなあ
マヌカ: うーん岐路だね
私: おし!けってい!!!


これは実際にLINEでした会話。
(え、この頃の私たちこんなゆるゆるに決めてんの?)
でもこのゆるゆるトークの裏には、たくさんの言葉にし切れない思いがあった。はず。
マヌカにはマヌカの、そして私には私の。

高校演劇をしていたころ、一緒に全国への切符をかけて競ったマヌカと同じ岐路に立つ。
少しむずがゆいような、照れくさいような、そわそわした感情が居着いたのを覚えている。


岐路


それぞれの道からそれぞれの道へ。
私たちはずっと私たちとして生きてきて、これからもきっとそうしていくしかない。
誰かと同じ道なんて歩いていられない。
だからこそ、長い道のりの中でほんの少し重なり合った3年間を愛さずにはいられない。

ある岐路に立っていた時の私には戻れない。
私はもう高校生じゃないし、成人公演も終えた。
岐路を過ぎ去った私は、過ぎ去る前の私ではない。
だけど、たまには振り返ってもいいと思う。
あの時立っていた場所を覗きに行って、景色を思い出してもいいと思う。
そうしたいと今は思える。

岐路は分かれゆく道を意味するし、私たちの道は今すでに分かれているけれど、道は続いている。

前にもあとにも続いている。

『岐路』にはいつでも戻って来れる。

このタイトルにはそんな優しさも含まれていると私は思う。



岐路。
分岐する路。
岐阜の路。

私たちの3年間と、それから離れ離れになったようでいつもどこかにだれかの影が見えていた2年間。
あの頃を忘れられなくて、苦しくて愛しくて、やっと今報われた人たち。
あの頃に苛まれて、眠れない夜が何度もあって、やっと今向き合えた人たち。
その中の、私や、成人公演の仲間や、卒業公演の仲間や、先輩たち。

そのすべてに、私はありがとうとさよならを言った。
一生会えないわけではない。
みんなどこかで生きてる限りは、いつかまた会える。
だけど今、さよならを言わなくてはいけないと思った。言いたいと思った。
また会えるときまでそれぞれの場所で息をしていくために、私たちが共通して持っていたなにかにさよならを言った。

それが寂しさだったのか後悔だったのか、あるいは怒りだったのかはわからない。
だけどきっと何かが一緒だった。
何もかもが違う私たちのなかで、それだけがずっとおなじでいた。
だからこうして同じ岐路に立てたんじゃないだろうか。


いい日だった。
いい公演だった。
いい岐路だった。



人生にいくつもある岐路、その中で、
2021年11月13日に立った、発った、絶ったあの岐路を忘れたくない。




私はそれを祈りながら、今日もあの日の先を歩いている。





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