見出し画像

トットちゃんのことと、子どもを大切にするということ。私があのときできなくて苦しかったこと。

もし、彼と
違う場所で
公立の学校で
先生と生徒として
出会っていたならば

私は彼を大切にできなかった。

だから
今の私で
今の場所で
出会えてよかった。

ありがとうございます。


子どもの頃に住んでいた家の本棚に
ずっと置いてあった本。
『窓際のトットちゃん』



私はそれがすごく気になっていて
読みはじめたものの
その頃は読んでも
なんだかおもしろくなくて
途中までしか読めなかった本。

それが今になって
黒川公民館の本を整理したときに出てきて
懐かしい本だと思って
持って帰って読むことにしました。

そしたら
コクレオの森の代表のみほさんが
この本を大切にされていたことがわかって
あぁ、そういう本だったのかと
改めて知り
教員人生を過ごしながら
30年ほどの時を経たあと
やっと読み終えることができました。

トットちゃんの通っていた
トモエ学園。
それこそ私が作りたい学校の形。
先生のあり方だったのです。

トットちゃんは
普通の学校は退学でした。
授業の途中に机を開けたり閉めたり
チンドン屋を呼び込んだり。
気になったことは
考えるより先に体が動くという子だったので。
授業は成り立たない。

だけど、トモエでは違った。
トットちゃんは自分のペースで
自分のやりたい順番に勉強ができて
みんなバラバラのことをしていてよかった。
楽しい体験授業がたくさんあった。
そして先生がとてもあたたかかった。
子どもを信じて任せる。
校長先生が素敵すぎた。

さすがにトモエ学園でも
じっとしていられないトットちゃんは
演劇の発表会には出らなかったし
大人がびっくりするような
困ってしまうようなことも
たくさんしていたけど
それでも
校長先生はいつも
「あなたは本当はいい子なんだよ」
といつも言っていて
トットちゃんはトモエの中で
大切にされてそだっていた。

今なら
トットちゃんは
退学にはならないけど。
発達障害の名前が付いていて
特別支援学級か学校へ入ることとなり
普通学級でみんなで勉強することは
できなかったと思う。

普通学級にいる間に
大変な子
問題児
悪い子
ダメなレッテルをこれでもかと
貼られていたと思う。

だけどトモエでは違った。
本当はいい子だと言ってもらえたし
友達もたくさんいたし
トットちゃんは
毎日とても楽しそうで
幸せそうだった。

環境が人を変える。

そう思っています。

子どもたちが育つ環境は
もっと豊かでなくてはならない。

大変な子
ダメな子
できない子
問題児

そういうレッテルは 
本当に本人がそうなのではなく
環境がつけるのです。

彼ら彼女たちが
本当に自分が悪いのだと
信じ込んでしまう前に
どうか
そうじゃないと
つたわってほしい。


里山スクールでは
受け入れるときに
発達に課題があるとかどうとか聞きません。

それは普通学級という環境の中で
つけられた課題であるから。

一緒にいろいろやっていく中で
あぁ
この子は環境の変化が苦手だなとか
じっとしてるのが苦手だなとか
話をとにかく聞いてほしいんだなとか
注目を浴びたいのだなとか
すばしっこいなとか
聞くの苦手だなとか
言葉遣いが悪いなとか
発音が不明瞭だなとか
絵が上手いなとか
手先が器用だなとか
やさしいなとか
虫が大好きだなとか
動物に詳しいなとか
ゲームが好きなんだなとか
色塗りが好きなんだなとか
ゼリー作りの名人だなとか
頭脳派だなとか
竹に思い出があるんだなとか
野球がすきなんだなとか

いろんなことがわかって
それなら
漢字が苦手ならひらがなにするし
虫が好きなら虫のお家つくればいいし
雑草拾ってきたなら味噌汁に入れたらいいし
長くじっと座ってることはしないし
話はたっぷり聞いてあげるし
前に出たかったら発表会を開く

漢字読めるように練習してきなさいとか
虫見てないでこっちをやりなさいとか
雑草は捨てなさいとか
じっとしなさいとか
いわない。

注目を浴びたいがための行動は
先生にとって邪魔ものでしかないけど
出たかったらいつでも場を提供できる。

そういうことが
大切にする
ということだと今思っています。

でもそれは普通学級ではできなかった。
それは先生が悪いわけではない。

私もずっとずっと
子どもを大切にできないと
自分を責め
力不足を嘆いてきたのです。


彼は
私の息子のように
Tシャツの襟首を噛みながら
私の描く絵をじっと見ていました。

私は
学校にいたときの
あの子にはしてやれなかったけど
今ならできる精一杯の
大切にする
ということをやっていきます。

させてもらえることに感謝しつつ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?