見出し画像

親と子の土曜クラス『そら』子どもの体験を奪わないこと。

里山にある公民館は

昔学校だった建物をそのまま使っている。

瓦屋根の木造の校舎は

まるで私の母校のよう。

教室に入ると

石油のにおいがして

さらに親近感を覚えた。



昨日は親と子の土曜日教室『そら』

3回目の参加。

起きるのが遅くて

いつもより到着が遅れた。

でも、まだ半分も来てない。

『そら』のスタートはゆっくりだ。

だいたい集まったら円になって座り

お手玉の手遊びをした後に

話したい人が話したいことを話す

『ハッピータイム』

幼児さんたちは自分の番になると

回ってきたトークンをそのまま隣の子に

渡すだけの子も多いけど

中には話したい子もいる。

息子と同い年のsちゃんは毎回

作ってきたものとかを話している。

話しても話さなくてもよくて。

でもこんな小さくても

話せる場があることが大事だなと思う。


今日は焚き火。

焚き火でマシュマロを焼くので

マシュマロを刺す棒をとってきてと言われる。

見本はなかった。

私はここでも

自分の正解探しのクセが出てるなと思う。

正しさを追求しようとしてしまう悪いクセ。


焚き火をおこしは

やってくれるママやパパの人たちに任せて

山へ。

途中に崖のぼりが始まる。

虫探しが始まる。

途中で落ちてる棒を適当に拾う。


棒を拾ってマシュマロが刺しにくそうなら

ナイフを貸してもらえる。

5歳ぐらいの男の子。

ナイフの使い方を少し教えてもらった後

その場で立ったまま

一人で器用に削り始めた。


まわりに他の子もいたし

私は大丈夫かなと少し心配になった。

スタッフは気に留めている様子はない。

しばらくすると

真剣にナイフで削っている男の子が

うちの子に

「そこ、危ないで」

と言った。

あぁ、これでいいんだ。

と思った。


息子がぼくもぼくもとスタッフのそばに。

3歳だし

スタッフと一緒にやるのかなと思ったら

息子にも自分でさせてもらえた。

すでに細かったので木の皮を剥く感じになった

「できたなぁ!」

というと、とても満足そうだった。


箕面子どもの森の方針だったと思うけど

トラブルが起こりそうだからといって

大人が介入してやめさせたりしない。

というようなことを思い出した。


大人も子どももこの世に

体験するために生まれてきたと、私は思う。

大人はこれまでの自分の経験から

その先の予測がたってしまうので

事故やトラブルが見えたら避けようとする。

だけど

大人の予測なんてあたらないことも多い。

そして

大人の心の安定のために

子どもの体験を奪うのはよくないと思った。


彼らは体験から学ぶ。

たたいたら喧嘩になったとか。

走り回ったらぶつかったとか。

そういえば

廊下を走った子には

大声で怒鳴る先生がいた。

怒られた子が学ぶことは

あの先生の前で廊下は走ると怒られる。

いないところだけ走ろう!

かな。

スピード違反の車と同じだ。


私だけでは

一人の価値観では

体験させてやれないことを

『そら』ではさせてもらえる。

子どもを育てるときには

やっぱり

いろんな大人がそばにいるのがいいと思った。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?