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学校に来れて幸せ。脳腫瘍を抱えた桜ちゃんの話。⑥

これまでの桜ちゃんの記事はこちら。



桜ちゃんは、それから転院になりました。

そこは緩和ケアというところだとおばあちゃんに教えてもらいました。

私はその言葉を初めて聞きました。

でもおばあちゃんの口ぶりから察しがつきました。


もう何度も手術を繰り返していた桜ちゃん。

これ以上、頭蓋骨に穴を開けるのはもう良くない。

全ての腫瘍を取り除くと言うのは不可能だと聞きました。

心と体の辛さを和らげるための場所が緩和ケアというところでした。


私は息子を抱っこして

病院にいきました。

ある時、私が行くと

病室には桜ちゃんだけでした。

桜ちゃんに色々と話かけたり

歌を歌ったりしました。

以前のように

会話はできませんでしたが

その日は笑ったり

うなずいたりしたくれました。

最後に

「また来るからね。」

と言うと

「うん!」

と言ってくれました。



寒くなったある日。

私のところに学校から連絡がありました。

「桜ちゃんが危ないので、来てください。」

息子を連れて、耳鼻科に来ていた時のことでした。

焦らなくても大丈夫。

なんとなく私はそう思いました。


それでも、急いで会計を済ませてから

病院へと車を走らせました。

病室に入るとたくさんの先生方がベットの周りに

集まっておられました。

お母さんは、横たわる桜ちゃんの頭を支えるようにして

座っておられました。

私が行くと、先生がきたよと伝えてくださいました。

桜ちゃんはとても穏やかで息をしているのかさえ

わかりませんでした。

私は、きたよと桜ちゃんに伝えました。

がんばってきたねと言いました。


それから

少しもたたないうちに

桜ちゃんは

お空に

旅立ちました。


私は桜ちゃんはまた来るねと言った私の言葉を

覚えていて待っていてくれたのではないかなと思っています。


学校に来れて幸せ

そんな言葉を聞いたのは長く先生をやっていて

初めて聞いた言葉でした。

そうやって思う子がいるなら

まだまだ学校も先生も捨てたもんじゃないし

そう思ってくれる子のためにも

学校はよりよい場所であって欲しいと願います。


私は、春になると桜の木を少し切って

桜ちゃんのところへ持っていきます。

桜ちゃん。

私は、あなたの先生になれて本当に幸せものです。

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