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いじめの話


不潔な子

どの学校にも1人くらいは居たんじゃないだろうか。
いつも同じ格好で登校してくる。
髪は乱れていてベタついている。
なんとなくすぼけた顔をしている。
体臭、口臭が鼻につく…

私がその“不潔な子”だった。

小学校に入学。
「アイツぜってぇ風呂入ってねえやろ!」
そんな嘲笑からいじめがはじまった。

不潔な子の周りには必ずバイ菌を移し合うゲームが流行る。
やってる方は楽しそうだ。

バイ菌をつけられたら時間制限があるようで、鬼ごっこが始まる。リミットを超えるとバイ菌をつけられた人もバイ菌になるルールらしい。

庇う人は居ない。同じ目に遭いたくないからだ。
ある時、仲の良い友達だと思っていた子から「話しとるのバレたら友達やと思われるけん学校では話しかけんでね」と申し訳なさそうに小声で伝えられた。

急に環境音のボリュームが絞られ頭の中は忙しく何かを考えているんだけど文字にできない。
これをショックと言うんだと思う。
私の口からとっさに出た「ごめんね」。
元々低い自己肯定感が更に下がるのを感じた。

いじめは虐められる方にも問題がある

これについては長くいじめを経験した私も賛同する。
ただ、その被害者本人が自力で問題を解決まで持っていけるかというのは別だ。

例として話せば、私は実際に不潔だった。
清潔にさえしていれば虐められはしなかったのかもしれない。

私が物心ついた頃、父は60半ば。
早くから総義歯だった父は歯磨きを殆どしなかった。
(義歯でもブラッシングは必要ですが)
父の両親は戦時中のお生まれということもあり、父自身も小学生の頃に終戦を迎えている。
その為毎日お風呂に入る習慣もなかった。

子供の目線に立ち、一緒に風呂や歯磨きをしてくれるような父でもない。気にもしていない。
娘に対して接し方もよく分からなかったのだろう。
結果、私は自身を清潔に保つという最初に習慣づける項目が欠損してしまっている。

私は小学校入学から中学卒業までの9年間いじめを受け続け、辛抱した。
遅刻は日常茶飯事だったが学校を休むことはなかった。毎日通学し日課のいじめを受けた。

そして、中学の卒業式を迎える日の朝、いつも通りの食卓で、初めて父にいじめの事実を告白した。

「わたし今日までずっと虐められてきたんよ、毎日毎日。毎日ね。でももう終わりやけん大丈夫」

父はこの話を聞き、卒業式という晴れ舞台の日に血相を変えて校長室に怒鳴り込みに行った。
文字通りめちゃめちゃ怒鳴っている。

何故いじめを隠してきたのか。

私はこうなる事が分かっていた。
在学中にこれをやられてはいじめが加速するからだ。
もう二度と登校することのない今日ならと選んだ。

もう登校しないのだから伏せていても良かったのに、敢えて私は父に告白をしている。
“気付いてはくれなかったね”と父に対してあてつけるような気持ちが何処かにあったのかもしれない。

いじめを苦にして自殺したニュースが流れる度、コメンテーターは必ず口にする言葉がある。

「誰でもいいから助けを求めて欲しい」

出来るわけがないのだ。
大人が介入してきた所で何も変わらない。
むしろ更に悪化する事が皆分かっている。

自分の大切な物が傷付けられた事に怒り、感情に任せて制裁しようとする大人のその行動はただの自己満足。本人は救われていない。

虐める側には虐める側の、虐められる側には虐められる側のバックグラウンドがある。

不幸は不幸を生む。
貧困、愛情不足は連鎖する。


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