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世界樹リプレイ日記Ⅱ(ギルド設立)

(↓前回の話)



旅立ち

1年と数ヶ月ぶりに故郷に戻ったミントは、家へ帰ると両親からこっぴどく叱られた。

かねてより冒険者に憧れていたミントだったが、冒険者になることに反対していた両親を最後まで説得できないまま故郷を飛び出していたからだ。

きっかけは、村には滅多に訪れることのない旅人が何気なく口にしたエトリアの迷宮の話と、その最深部に挑み続けるとあるギルドの噂。
めくるめく冒険譚と、それを紡ぐ自分と同い年ぐらいの年若き冒険者たちの話を聞いたミントは、とうとういてもたってもいられずに家を出た。

当然、両親は心配した。
もう二度と戻らないのではないかと覚悟した。

だから、娘から便りが届いた時には心の底から安堵したものだ。
ふもとの街で文字の読める知り合いに読んでもらった手紙には、娘の無事と居場所が記されていた。
それから、件のギルドから教えを受けているということも。

その後も代筆屋を介した手紙でのやり取りは何度かしていたため、息災であることはわかっていたが、ミントの両親が心休まる日はなかった。

村では畑仕事の手伝いしかしていなかったのだ。その上極度の方向音痴、冒険者など務まるわけがないと思っていた。

ところが、戻ってきたミントはその短所を克服していた。
体も少しだけ大きくなり、以前よりもよく働いた。

ある日ミントはこう言った。

「お父さんお母さん。私、やっぱり冒険者になりたい。剣の勉強がしたい」

…両親は折れた。
娘の冒険への憧れが尽きることはないのだと悟った。
そして、彼女をいつまでもこの村に留めておくことは出来ないということも。

同時に、娘が教えを受けたというギルドにほんの少しだけ感謝した。
無茶で無鉄砲だったミントが己の無力さを認める程度には成長したのは、きっとその人達のおかげでもあるだろうから。

両親は娘の願いを聞き届けた。
やるならきちんとやりなさい、と。

それから、ミントは家で畑仕事の手伝いをする傍ら、ふもとの街で剣を学んだ。
両親の知り合いのつてで、元冒険者だと言う街一番の剣の使い手を紹介してもらい、その者の元でソードマンとしての修行を重ねた。

毎朝日が昇る前に起床し、数刻かけて山を下り、ふもとの街で剣を振り、夕暮れになる前から再び山を上り、夜が深まる頃に家へ帰った。

1日のうち剣に触る時間は少なかったが、これは師の方針によるものだった。

『冒険者は戦闘より歩いてる時間の方が長ェからな。体力が第一だ。それに、どんなに疲れてても怪我して死にかけてても、剣の勢いが鈍ることがあっちゃなんねえ。敵が目の前に現れたら、剣を抜いて立ち向かうことしか出来ねえんだ。体調が悪かろうがなんだろうが、常に絶好調の時と同じ速さで、鋭さで、敵をぶった斬ることが出来なきゃならねえ。それが出来ない奴から死んでいく。…ミント、お前は死ぬなよ』

仲間の命を迷宮で失ったという師の教えは厳しかったが、実践的だった。
エトリアで学んだ冒険者としての基礎がここで補強され、ミントの剣の腕は少しずつ磨かれていった。


季節は巡り、やがて冬になった。

その年で最も寒く、激しい雪が降りしきる日の夜。
村に一本の立札が立てられた。
それは、遥か北の地にあるハイ・ラガード公国からのお触れ。
この国で発見された世界樹の迷宮に挑む冒険者を募る布令。
ミントにとっては焦がれるほど望んでいた夢への入口。

「お父さん!お母さん!」

視界を塞ぐほどの猛吹雪の中、外から帰ってきたミントは、興奮で顔を赤らめながら、居間にいた両親の前に現れた。

その様子を見た両親は、ミントが話を切り出す前に全てを察した。
ついにその日が来たのだとわかった。
娘の瞳は、彼女が以前村を飛び出した時と同じ輝きを放っていた。

「私、どうしても冒険がしたい。危なくっても大変でも、まだ誰も知らないことに挑戦してみたい。…ごめんなさい、心配かけちゃうのはわかってるの。でも、行きたいの。世界樹の迷宮に挑みたい。憧れの人達と同じ場所に立ってみたい!」

ひとしきり話を聞いた両親は、ミントを静かに抱き寄せると、ゆっくりと頷いた。
お前の好きなようにしなさい、と。

愛する両親の抱擁を受けながら、ミントはありがとうと小さく呟いて抱き返した。

それから何日かは家族団欒の時を過ごした。

別れを惜しんで、と言うこともあったが、激しい吹雪は勢いを増し、ふもとの街へと下る山道は雪で完全に塞がって、身動きが取れなくなっていた。
こうなると旅立ちどころではなく、ミントは村の者達と一緒に雪かきに奔走しなければならなかった。

次第に雪の勢いが収まって、塞がっていた道も通れるようになった頃、一枚の手紙が村に届いた。
この山奥の村に文字が読める者はミントの他にいないため、必然的にそれはミントに宛てられたものとなる。

なんだろう、と思いながら封を開くと、それはかつてエトリアで世話になったギルド、Cygnetのメンバーからの手紙だった。

「シトラさんだ!」

脳裏に送り主の姿が思い起こされる。
アルケミストのシトラ。
エトリアの世界樹の迷宮を踏破した冒険者のうちの一人。
常に眠たげな目をしており、何を考えているのかいまいちよくわからない人物。
ただしその実力は折り紙付きで、今はエトリアに居を構えて日々錬金術の研究に明け暮れているとかなんとか。
ミントにとっては文字の読み書きや魔物の知識など色々と教えてくれた恩人であり、憧れの対象であり、目標だった。

いそいそと文字に目を走らせる。
そこには、細く丸みを帯びた字でこう書かれていた。

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ミントへ

 やっほー。シトラだよ。久しぶり〜。元気してる?
 こっちは元気だよ〜。変わったことはあんまりないかなー。こないだレンリがふら〜っと遊びに来て、好き放題飲んで食べてまたふら〜っと何処かへ行っちゃったぐらい。うん、いつもどおりだねー。
 そうそう、ハイ・ラガード公国で迷宮が発見されたって知ってる?大陸全土にお触れが出たって言うから、この手紙が届いた頃にはミントのいる村にもその話が届いてるかな?
 いいよねー、迷宮。わくわくするよねー。
 私達も久しぶりに集まって冒険でもしに行こっかー!
 …と、言いたいところなんだけど、こう見えて私、最近けっこー忙しいんだよねー。
 ルゥとアサギは行方知れずだしね。レンリは神出鬼没だし、トルテも修道院に入っちゃったからすごく忙しいみたい。
 と、言うことで、ミントには是非Cygnetを代表してハイ・ラガード公国の迷宮をさく〜っと踏破してきてもらおうかなーって。
 ん?何の話かって?
 やだな〜。ミントはもうとっくに私達の仲間に決まってるじゃない!
 ミントと初めて会った時、私達のギルドに入りたいって言ってたよね?
 あれ、その日のうちにちゃんと登録手続済ませておいたから🤞
 あと、ハイ・ラガード公国の方にも連絡して、"Cygnetが再び世界樹の迷宮を踏破する"って宣言しておいたからね👌
 あ、ついでにエトリアの王冠も送っておいたから、ちゃんと受け取ってね〜。
 それじゃがんばってね。ばいば〜い。

     ✨世界一の錬金術師✨シトラより

 追伸:ちなみに私、しばらくエトリアを留守にするから、こっちに訪ねてきてもいないからね😘-chu❤️

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一通り読み終えたミントは一言こう呟いた。

「………………………はい?」

それからしばらくの間、手紙の内容を理解するまで、石のように硬直し呆然と立ち続けているのだった。


ギルド設立

シトラからの手紙を受け取った翌日、ミントは両親や師と別れを告げ、ハイ・ラガード公国へ向けて出発した。

「…はあ」

もらった手紙は何度も読み直したりひっくり返して裏面を眺めたり火で炙ったりしたがあれ以上に書いてあることは何も無かった。

「私がCygnetのメンバーって…。嬉しいけど、今となっては畏れ多いよう」

正直に言えば今すぐエトリアに行ってシトラに問い詰めたい気持ちもあった。
しかし手紙にはその行動を読むかのような追伸が記されてある。
彼女がしばらくエトリアに居ないと言うならそれはきっと事実だろう。
シトラとは1年ほどの付き合いだったがどういう性格かはなんとなくわかってきていた。

「ルゥさんやトルテさんも知ってたのかなあ。…たぶん知ってたんだろうなあ」

流石に独断でギルドに加入させたとは考えづらい。
本人に内緒で手続きを済ませるという発案者は間違いなくシトラだとしても、おそらくはミント以外の全員が知っていたと考えるのが自然だった。
冒険者としてのあれこれを懇切丁寧に教えてくれたのも、初めから後継者を育てるという意図もあったのだと思うと色々納得がいく。

Cygnetは解散した。
エトリアの世界樹の迷宮を踏破した彼らは散り散りになり、それぞれの道を進んだ。
そして最後に、自分達で築き上げたギルドを、きっとミントに託したのだ。

「…うん、なら頑張らなきゃ。その名前に恥じないような活躍をすればいいだけなんだから!」

むん、と気合を入れる。
両手の拳を握り、決意を新たにする。

…そういえば、冒険を共にする仲間はどうすればいいんだろう。
そのあたりのことは手紙には何も書かれていなかった。
流石に一人で迷宮に挑めとは言わないと思う。
ギルドを託されたからには仲間にする人も自由に決めていいということなんだろうか。

うん、きっとそうに違いない。
…そういうことにしよう。

「冒険が好きな人と出逢えたらいいなあ」

もともと、このギルドの加入条件はそれに尽きた。
ギルドを立ち上げたルゥが富や名誉よりも冒険そのものを楽しみたい者を募って出来たのがCygnetだ。
その方針はミントもさらさら変えるつもりがなかった。
そこを変えてしまえば、名前が同じだけの全く別のギルドになってしまうだろう。

それに、今は解散してメンバーも離れ離れになってしまったとはいえ、いつかまた皆が揃う日が来ることをミントは信じていた。
他の者達もきっと同じ気持ちである筈だ。

だから、ミントはいつか来るその時のため、皆が帰ってくる居場所として、ギルドの名を守っていくつもりだった。

(…でも、男の子とか入れちゃおうかな。シトラさん、あれで男の人に免疫がないらしいし)

誤解されがちではあるが、Cygnetに年頃の少女ばかり集まったのはたまたまの偶然であり、加入条件は先の通り、それさえ満たしていれば老若男女を問うたことは一度もなかった。

そうしてミントが空想の中でシトラをうろたえさせるというささやかな仕返しにふけっていると、やがて目的地が近付いてきた。

皇帝ノ月一日。
徐々に春に近付いているとはいえまだ気温は低く、底冷えするような冷気が空から降りてくる季節。
村を出てから馬車を何度も乗り継ぎ、幾度も夜を明かして歩き続けたミントは、とうとうその地に辿り着いた。

ハイ・ラガード公国。
やがて天空の城に至れりと伝わる世界樹を神木と崇める国。

目の前には、いかめしい石造りの城門と、視界いっぱいに広がる巨大な樹が悠然とそびえ立っていた。

知らず、感嘆の声が漏れる。
その迫力に圧倒され、しばしの間立ちすくむように見惚れた。

一陣の風が吹き抜ける。
金色の三つ編みが揺れ、右耳に付けた耳飾りがきらりと煌めいた。

「…あの兵士さん、また会えるかな」

そっと耳を撫でる。
あどけない顔立ちの少女が付けるには少しばかり背伸びしたような大人びた意匠の耳飾りは、一月ほど前に布令を伝えに来たハイ・ラガード公国の兵士から譲り受けたものだった。
もしも再び会うことができたなら改めてお礼を言おうと、そう決めていた。

胸が高鳴る。
再会と、まだ見ぬ出逢いに期待を抱きながら、ミントは一歩一歩噛みしめるように門をくぐっていった。




















ハイ・ラガード公国の広場に足を踏み入れたミントは、周囲に騒がしい人の気配を感じた。
どうやらこの街は、多くの冒険者によって賑わっている街のようだ。
故郷とは比べものにならないほどの賑やかさにミントの心は躍った。
ふもとにあった街だってこれほど栄えてはいなかったし、以前滞在していたエトリアに負けるとも劣らない活気に満ちている。
人の多さと街の広さで言えばこちらの方が大きいだろうか。
世界樹をぐるりと取り囲むように建てられた街の作りや家屋の並びなど、何もかもが新鮮で目移りしながらも、ミントは逸る気持ちを抑えながらまずはと冒険者ギルドへと向かうのだった。


「ここ…かな?」

目的の場所に辿り着いた時、ミントは最初衛兵達の詰所にでも来てしまったのかと思った。そこかしこに置かれた剣や盾、弓や槍が物々しく、床も壁も石材を敷き詰められた灰色で、四方には幾何学模様の意匠を凝らした大きな窓がいくつも並んで陽の光をふんだんに射し込んではいるけれど、余計な装飾は殆ど無く、どこか無機質で寒々しい印象を覚えた。しかし。

「わあ…」

そのような内観とは裏腹に、建物の中は人々の熱気で溢れていた。
冒険者達の交流の場でもあるのか、ロビーには多くの人が集まり、ざわざわとした喧騒が絶え間なく響いていた。
性別も年齢も、肌の色や髪の色も、各々抱えている武器や装備も多種多様で、きっとその誰もが天空の城を目指す冒険者なのだろう。
いよいよもって沸き立つ高揚感にそわそわとしながらも、ミントは受付と思しき場所を見つけ、人々の列に加わった。

「あのう…Cygnetの者ですが…」

やがて自分の番になり恐る恐ると尋ねると、話は聞いているとばかりにすぐに奥の部屋へと通された。

(うわあ…通じちゃった…。やっぱりシトラさんの言ってたことは本当だったんだ…)

カツカツと音を立てながら石畳の廊下を歩く。
緊張で顔を強張らせながら部屋に入ると、一人の兵士が窓の外を睥睨するように立っていた。これがこの国のフォーマルなのだろうか、これから戦でも始めるかのように全身を甲冑で身を包み、手には剣を携えている。常在戦場をその身で現しているのかもしれないが、雰囲気だけで威圧されてしまいそうだった。兵士は来訪者の気配に気付くとくるりと振り返った。

「ん…見ない顔だが、かつてCygnetを率いた旅の者が来ると聞いている」

お前がそうか?と目の前の人物はミントに尋ねた。

(違う!全然違う!!私、Cygnetを率いたことなんてない!!なんか誤解されてる!!!)

ミントは心の中で全力で首を振った。
話が正しく伝わってなかったのか、伝えた者が故意に間違えたのかは定かではないが、とんでもない勘違いをされてるのは間違いなかった。
ミントの脳裏に一瞬だけ舌を出しててへっと笑う某アルケミストの姿が浮かんだ。

「いえ!あの、ええっと…確かに私はCygnetの一員(らしい)ですけども…」
「私も噂に聞いたことがある。エトリアの街を救った伝説のギルドCygnet。その勇名を再びこのハイ・ラガード公国で響かせるつもりがあるならば…ここが公国のギルドとなる。ここでお前の仲間を集い冒険に出るがいい」
「あ、はい…」
「それとも、かつての名を捨て新たな名で冒険に挑むつもりならばそれでも構わない」
「…………」

誤解を解こうとしたミントの面持ちを逡巡と見て取ったのか、目の前の兵士は一つの選択肢を差し出した。

かつての名を捨てる。
本来なら私のような新参者はそうすべきなのかもしれない。
その方が気は楽になるかもしれない。
もともと、シトラから手紙を受け取るまでは新しいギルドを立ち上げるつもりだった。

でも。

「名前は変えません」

ミントがきっぱりと答えると、兵士は鷹揚に頷いた。

「Cygnet。あの高名なギルド名を継いで公国での冒険を行うんだな」
「はい」
「解った。エトリアと同じようにお前のギルドが公国の未来を開いてくれると期待しているぞ」

自分がCygnetのメンバーに入っているとわかった時点で、その名を捨てるという選択肢はミントの中になかった。

シトラさんからそうしろと言われたからじゃない。
あのギルドが好きだったから。
誰よりも憧れる、その人達のことが好きだったから。

―――だから私は、自分の意志で、その名前を継ぎたいと思うんだ。

白鳥の雛。みにくいアヒルの子。
その由来のとおり、自分もいつか美しく成長して羽ばたいてみたいと思うから。

ミントの決意に満ちた表情を見た目の前の兵士は満足気に頷いた。

「…そうそう、Cygnetを率いたお前に渡すものが一つある」

だから私は率いてないんだけどなあ…とは今更言いにくい雰囲気のまま、兵士は部屋の机の上にある立派な装丁の箱から、恭しそうにある物を取り出した。

(わ…。ほ、本当に送ってたんだシトラさん…)

ミントも一度だけ見たことがある。
それは、Cygnetのエトリアでの冒険の証を示すもの。
迷宮を完全に踏破し、その地で手に入る素材や魔物の生態を明るみにし、その最奥に坐す"魔"をも討ち果たした証。
すなわち、この世に二つとない『エトリアの王冠』だった。

「この証に相応しい働きをこの公国でも見せてくれる、と期待しているぞ」

丁重に手渡される王冠を、ミントは両手で大切なものを扱うように受け取った。

…もっとも、最初に手にした者たちはあまりこれに興味がない様子で、おざなりにカバンの中に突っ込んだり人差し指でくるくると回して遊んでたりしていたのだけれど。


Cygnet(シグネット)

それからミントは冒険者登録を済ませると、施設を後にした。
冒険者の登録を行った場合、そのままこの国の臣民登記として記録され、必然的にハイ・ラガード公国の国民となるらしい。
偽名を使おうと他国の貴族であろうと何処かのお尋ね者であろうと、迷宮に挑む冒険者である限りは気にしないとかなんとか。

とんでもない話だ。
治安とか大丈夫なんだろうか。

もしかしたら、その為に兵士の人達は常に甲冑を身にまとって完全武装してるのかな…などと少しだけ浮かんできた怖い想像を、ミントはぶんぶんと頭を振ってかき消した。

「そんなことより、早く仲間を集めないと」

ミントは建物の脇からひょっこりと顔を出して目の前の通りを眺めた。
行き交う人、人、人、人…。
大きな通りには露店が立ち並び、冒険者である者もそうでない者も雑踏で溢れかえっていた。
かつてCygnetを立ち上げたルゥは冒険者の登録を手早く済ませると町の広場に出て突然歌い始め、仲間を募ったと言う。
あわよくばそれに倣って、と考えたミントだったが…。

(無理!絶対無理!)

話に聞くのと実際にやろうとしてみるのでは全然違う。
気さくで人懐っこい性格のミントであっても怯むほどの人の多さだった。
もともと、山奥の小さな村で生まれ育ったこともあり、人は好きでも人混みはあまり得意ではなかった。
本人が自覚するほどの音痴でなかったとしても、きっと同じことは出来なかっただろう。

「仲間を集める場所の定番といえば…やっぱり酒場だよね」

今まで聞いてきた冒険譚では、ロマンチックな出逢いや宿命を背負った者達が導かれるようにして集まる…なんてものも数多くあったが、その中でも現実的なのは酒場における出逢いだった。
当然、冒険者ギルドでも冒険者同士の交流は盛んに行われており、たいていの冒険者はそこで仲間を募ると言われている。
しかし、互いに長い付き合いになる命を預けるともがらを探そうとした時、酒場は出逢いの場として好んで使われた。
酒を飲み交わしうまい料理を口にすれば自然と胸襟を開いて打ち解けてしまえるのが冒険者だ。
そして、酒を飲めずとも開放的な気分になれる独特の雰囲気がそこにはあった。
そのようなものだと聞いていた。

だから、ミントは深く考えずに手近な酒場に入った。
酒の味を知らないミントは店の良し悪しもわからない。
なんとなく、ただ近くにあったと言うだけでその店を選んでしまった。

―――ここがもし、『鋼の棘魚亭』であれば、また違った結果になったかもしれないのに。

年季の入った扉を押して開くと、カランカランと低い鈴の音が鳴り響いた。足を踏み入れた瞬間、床から木の軋む音と感触が伝わった。

(うわ、なんかちょっと…)

同時に感じたのは、むせ返るほどの酒と煙草の入り交じった臭いだ。不快ではあるが慣れれば我慢できる程度の臭いと適度な小汚さ。これが冒険者たちの入り浸る酒場の平均と思えばそうかもしれないが、ミントが唯一入ったことのあるエトリアの『金鹿の酒場』よりは数段格が落ちた。
朝と昼のちょうど境目にあって店内は薄暗く、壁やテーブルに置かれた電球がぼんやりとした仄明かりを照らしている。それなりに広いフロアには満席とまでは行かずとも多くの客達が占めていて、人々は会話に花を咲かせカチャカチャと食器の擦れる音が賑やかさに拍車をかけていた。

「いらっしゃい」

ミントが空いているカウンター席に座ると、店のマスターと思しき男が、拭いているグラスから目を背けないまま声をかけてきた。

「注文は?」
「あ、えーと…じゃあ、リンゴジュースを」

男は顔を上げ、ミントのことをじろりと見た。
それからカウンターにあった水瓶を手に取り、たった今拭き終わったばかりのグラスに注いで、ゴトッと音を立ててミントの目の前に置いた。

「…はいよ」
「あ、ありがとうございます」

ミントは差し出されたグラスに顔を近付けて少しだけ口に含んだ。

(ぬるい…)

おまけに甘味は少なく渋味があり、その上グラスからは変な匂いがする気がして、ミントは二口目以降飲むことを躊躇した。

「あの、私、一緒に冒険してくれる仲間を探したいんですが」
「集める方?入る方?」
「え?」
「仲間を集めたいのか、どこかのギルドに入りたいのか」
「あ、集めたい方です」

ミントが答えると、目の前の男は親指で店の奥を指し示した。壁に貼られた掲示板には小さな羊皮紙が所狭しと鋲で打たれ、地の部分が見えないほどに埋め尽くされている。

「メンバー募集ならあそこでやってるよ。自分で書くなら500エン。代筆が必要なら1000エン」
「え!お金、かかるんですか?」
「最近、新しくギルドを立ち上げたい連中が多くてね。だから金を取ることにしたんだ」
「そう…ですか」

ミントは呆然とした。
仲間を募集するのにお金がかかるなんて考えてもみなかった。
500エンか1000エン。
いずれにしても今のミントには届かない値段だ。
宿代も含めた冒険に使うための手持ちの資金はちょうど500エン。
ここで仲間を募集すれば今晩は野宿して過ごさなければならないし、装備品や道具は買えなくなってしまう。

「金をかけるのが嫌なら冒険者ギルドでやるといい。あそこなら同じことをタダで出来るからね。その分募集の数もかなり多いから勧めはしないが…手っ取り早いのは誰かのギルドに入るか、直接声をかけて探すことだ」
「な、なるほど…」

色々と教えてくれてありがとうございます、とミントが丁寧におじぎをすると、男は再びグラスを拭く作業に戻り始めた。

冒険者ギルドには後で行くとして…とりあえず地道に声をかけていこうかな。

店の中を見回してみる。
客層と言うものを今まで意識したことがなかったが、こうして改めて見ると腕っぷしに自信のありそうなむくつけき男どもが大半を占めていた。
酒場とは本来子供の寄り付かないところではあるし、ミントは知らなかったが、この店は料理は不味いが酒だけは安くて美味いと評判で、酒さえ飲めればなんでもいいという飲んだくれ達に一定の需要があるという理由もあった。

とにかく片っ端から話かけてみよう、と腰を浮かそうとしたその時。

「ねえねえ、もしかして君、Cygnetの人?」

ミントの方が逆に声をかけられた。
気付けば、自分と年の近そうな少年が隣に立っていた。

「間違ってたらごめんね。でも、さっき冒険者ギルドで見かけたような気がしてさ。で、立ち聞きするつもりはなかったんだけど、その時に自分のことを『Cygnet』って言ってた気がするんだけど…どう?これって君のこと?」
「え…う、うん。それは、たぶん私のことだと思う」

ミントが頷くと目の前の少年は両手を叩いて喜んだ。

「やっぱりそうだ!うわあ、嬉しいなあ!ずっと会ってみたかったんだ!」
「あのね、でもそれは」
「Cygnetの人と会ったら聞いてみたいことがいっぱいあったんだ!山みたいに大きな竜と戦って勝ったって本当!?」
「あ…うん。本当だよ。でもね、それは…」
「ええー!すごい!どうやって倒したの!?どうやったらそんなに強くなれるの!?今まで一番倒すのに苦労した敵は!?」

少年が大声で熱っぽく矢継ぎ早に質問をしていくと、周りの者達も「なんだなんだ」「どうしたどうした」と騒ぎを聞きつけるように近づいて来る。

「Cygnet!?」
「Cygnetだって!?」
「あの伝説のギルドが!?」
「エトリアを救ったっていう、あの!?」
「本当に来たのか」
「具体的にどう救ったのかは全然しらんけど」
「あの三つ編みの娘か?」
「マジ!?!?」
「オイオイ俺死ぬわ」
「思ったよりも若いな」
「テンション上がってきた」
「ふーん、ちょっと可愛いじゃん」

エトリアの迷宮を踏破したギルドがハイ・ラガード公国を訪れるという話は以前から街中に広がり、その噂で持ち切りになっていた。
世界樹の謎を解明するという誰もが成し得なかった偉業を果たしたギルドが、同じく世界樹と呼ばれる迷宮に挑もうというのだ。
これで期待しない方が無理があるだろう。
店の中にいた客達は一斉に押し寄せ、ミントの周りにはあっという間に人だかりが出来上がった。
強面の男達に囲まれたミントはちょっとだけ恐怖を感じた。
一人ずつ声をかけにいく手間が省けた、とか、これだけ人がいれば仲間になってくれるかもしれない、とか思う余裕はなかった。
まずい流れだ。
冒険者ギルドの時と同じく、完全にあらぬ誤解を受けている。

「あ、あの!皆さん!落ち着いてください!確かに私はCygnetですけど!」
「Cygnetだってよ!」
「本物のCygnetか!」
「いやでもまだわからんぜ」
「本物なら勲章だか王冠だか持ってるって話だ」
「エトリアの迷宮を踏破した証ってやつか!」
「かっけー!」
「なあアンタ!それ持ってるのか!?」
「ああ、ぜひとも拝んでみてえもんだ」
「持ってるならちょいと見せてくれよ!」
「あ、は、はい」

男達に気圧され、半ばパニックに陥ったミントは言われるがままにカバンの中から『エトリアの王冠』を取り出した。
歓声が上がる。
どよめきは増し、男たちは偉大なる功績の証を一目見ようとますます色めき立った。

「す、すげえ!これが迷宮踏破の証か!」
「世界に一つしか無いっていう、あの!」
「かっけー!」
「おいどけ!見えねえぞ!」
「うるせえ!すっこんでろ!」
「美しい…」
「ってことはやっぱアンタ本当にCygnetなのか!」
「エトリアの迷宮のこと、話してくれよ!」
「ああ、俺達はアンタの話を楽しみにしてたんだ!」

(ああ、もう、どうしよう…)

ミントは困り果てた。
もはや場は収拾がつかないほどにヒートアップし、男たちの興奮は冷めることを知らなかった。
店のマスターは揉め事はごめんだとばかりに静観を決め込んでおり、当てになりそうもない。
それでも正直に話すしかない、とミントが大きな声を張り上げて説明しようとしたその時。

「うるせえぞてめえら!!」

熊の咆哮の如き怒号が鳴り響いた。
しんと静まり返る店内。
声の出どころはミントのいるカウンターのちょうど反対側。
目の前にあった人混みが自然と割れた先にその人物はいた。
左頬に入れ墨と獣の爪痕のような大きな切り傷があり、視線だけで人を殺せそうなほど鋭い目つきをした巨軀の男が椅子にどっかと座り、酒の入った小瓶をぐびぐびと口にしていた。

「…オイ。アンタ、本当にCygnetか?」

赤ら顔で、明らかに目の据わっている男は睨みつけるようにミントを見た。

「俺ァよう、エトリアに長いこといたからアイツらのことはよく知ってるぜ。だが、アンタの顔は一度も見たこともねぇな」
「あ、そ、それは…」
「アイツらはな、バード、レンジャー、アルケミスト、ダークハンターの4人のギルドだ。…ああ、途中から入ったブシドーも入れれば5人だっけか。アンタ、見たところソードマンだろ?そんなやつは、アイツらがギルドを立ち上げた頃にも、迷宮の主を倒した頃にもいなかった筈だぜ」
「う………」

うまく舌が動かなかった。
目の前の男から発されている紛れもない"敵意"が、初めて人から向けられる殺意にも似た"悪意"が恐ろしく、ミントから身体の自由を奪っていた。

「…いったいどういうことだ?」
「そういやなんで一人なんだ?」
「この子はCygnetじゃなかったのか?」
「確かに、ソードマンがいたって話は聞いたこと無いな」
「じゃあこの王冠は何なんだ」
「よくできた偽物…ってコト!?」
「本物を騙ろうとしてたってことか?」
「ふてえ野郎だ」

どよどよと好き勝手言っていく男たち。
無数の疑いの眼差しがミントの心を苛んでいく。

違う、違うんです。
その王冠は本物なんです。
それは、それだけは、紛れもない本物で―――

「…まあいい。俺が知ってるのはそこまでだ。そのあたりでエトリアを離れたからな。もしかしたらもっと後になって仲間が増えた…なんてこともあったのかもしんねえ。だがよ。だいたいアンタ、なんだそのナリは?ダガーにツイード?なんでそんな貧相な装備してる?噂じゃ三匹の竜から剥ぎ取った逆鱗で剣をこしらえたそうじゃねえか。そいつはどうした?そもそも、アンタは竜と戦ったことがあんのか?」

ない。
戦ったこともなければ、見たこともない。
それどころか、一度も迷宮に足を踏み入れたことさえ、ない。

どう戦ったのか、どうやって倒したのかは知っている。
みんなが話してくれた。
みんなが聞かせてくれた。
そのことは全部覚えている。
でも、それはみんなが経験したことであって、私の体験では、ない…。

何も答えられなかった。
ミントは俯いて、すっかりと黙りこくってしまった。
すると、先ほど声をかけてきた少年がその傍らに寄り添うように近付いた。

「やめなよ。大の大人達がよってたかって。怖がってるじゃないか」
「…あァ?」

入れ墨の男が機嫌悪そうに睨みつけるが、少年はさらりと受け流した。

「ごめんね。彼は僕の仲間なんだ。見た目は怖いけど、そんなに悪い人じゃない。何か事情があるんだよね。一人なのも、今この場に他の仲間達がいないのも。よかったら、話してくれるかな」

少年はにっこりとミントに笑いかけた。
それだけで不思議と少しだけ心が軽くなった。

辺りを見渡す。
皆一様にミントの言葉を待っている。
深呼吸する。
大丈夫、ちゃんと話せばきっとわかってくれる筈。

「実は、私―――…」

ミントは事情を打ち明けた。
Cygnetと出逢って、過ごした日々のこと。
冒険者としての基礎をそこで学んだこと。
公国からのお触れを目にしたこと。
ギルドのメンバーから手紙が届いたこと。
この時に自分がCygnetの一員だと初めて知ったこと。
他の仲間達とは今は散り散りになっているということ。
そして、新しい仲間を募りたいということ…。

これ以上の誤解が生じないように、ミントは初めから丁寧にゆっくりと話していった。
そして、ひとしきり話終えた後、少年は言った。

「なんだよ、それ」
「―――――え?」

返ってきたのは、共感などではなく、落胆と…失望だった。

「それじゃ君、Cygnetでもなんでもないじゃないか」

少年は溜め息を吐いた。
表情は無く、それでも声にはどこか苛立ちが混じっているのが感じられる。

―――Cygnetでもなんでもない。

自分でもそう思っていたはずなのに、わかっていたはずなのに、他の人から言われると殊更に胸に響いて、ミントは打ちのめされたように立ちすくんだ。

「…僕たちは本当に楽しみにしてたんだ。だってそうだろ?誰にも出来なかった、世界樹の迷宮を踏破するという偉業を成し遂げたのがCygnetなんだ。その人たちが、同じく誰も踏破出来ていないこの国の世界樹の迷宮に挑むなんて聞いたら、期待せずにはいられないよ。だけど、蓋を開けてみたら、迷宮を踏破した当の本人たちは誰もいなくて、いるのは冒険をしたこともない迷宮初心者が一人だけなんて」
「あ………」

考えてもみなかった。
ここの人達がどんな思いでCygnetを待ち侘びていたかなんて。
その名前の重さと大きさを、わかっていたつもりなのに、わかっていなかった。

「正直、舐めてるな」

入れ墨の男が頬杖をつきながら言った。

「ギルドが代替わりするのはいい。後継者を作るのもいい。だが、送り込むのは一人だけで装備も仲間もあとは現地調達?おまけに『ただ冒険を楽しみたい』?『冒険が好きな人を仲間にしたい』だ?あいにく、そんな物好きな奴はいねえよ。少なくとも、この店にはな」
「え…それって、どういう」

疑問を挟もうとしたミントに、少年が諭すように声をかけた。

「…迷宮は甘くないよ。たぶん、君が思ってるよりずっとね。エトリアの迷宮がどんなものかは知らないけど、少なくともこの国の迷宮は恐ろしい魔物がたくさんいるんだ。毎日のように冒険者は死んでいって、仲間や家族を失った人もたくさんいる。だから、魔物や迷宮そのものに恨みを持つ冒険者もいる。逆恨みと言われればそれまでだけどね」

少年は沈痛な面持ちを浮かべた。
気付けば、周りにいた男たちも同様の表情を浮かべている。
中には拳を握り後悔と憎悪を滲ませている者もいた。
…それは、店のマスターだった。

「…Cygnetの人たちの話を聞きたかった。一番深くまで迷宮に潜った人たちは、一番多く魔物を殺してきた人たちだから。どうすればうまく魔物を殺せるのか、どうやったらそこまで強くなれるのか、きっと彼らなら知っているはずなんだ」

冒険者の横のつながりは強い。
そして彼らは、時に同じ境遇を持つ者同士で繋がり、コミュニティを形成していく。
例えば、ある酒場に魔物に強い恨みを持つ客がいれば、それと似た客が自然と集まり、常連ともなれば、やがて客層そのものになっていく。
店主がもともとその理念を持っていれば尚更だ。
酒とは、楽しむためだけではなく、辛いことや悲しいことを忘れる為に飲むものでもある。

つまり今。
この時、この場所で、
ミントは完全に場違いな存在だった。

「元々俺はアイツらのことが気に食わなかった。伝説のギルドなんて持て囃されるようになってからは表立ってそんなこと言えなくなったけどな。道楽ギルド、お気楽ギルドなんてからかわれることもあったんだぜ?ま、そういうのをアイツらは実力で黙らせちまったんだけどよ。動機や目的はともあれ、並み居る魔物どもをぶち殺し、迷宮を踏破したのは確かだ」

入れ墨の男は右手に持っていた小瓶を煽った。

「…なあアンタ。悪いことは言わねえ。今すぐ家に帰りなよ。これはアンタのことを思って言ってるんだぜ。アイツらはな、はっきり言って"いかれ"だよ。まともな奴が同じことをしようったって無理なんだ。迷宮の残酷さと恐ろしさを知りながら冒険を楽しみ続けるなんてのは正気の沙汰じゃねえ。もしもアイツらに憧れてるんなら、冒険譚を楽しむ程度でやめておけ」

でなけりゃ死ぬぞ、と、入れ墨の男は言うべきことは言ったとばかりに背を向け、深く椅子にもたれた。

それを皮切りに、周りにいた男たちもミントから離れていく。
半ば白けたように、興を失ったように。
去り際に、肩をポンと叩いて『あまり気にすんなよ』と小声で励ます者もいたが、『期待させやがって』などと心無い罵倒を残していく者もいた。
最初に声をかけてきた少年も、もはや興味はないとばかりに去っていった。

一人ぽつんと残されたミントは、ふらついた足取りで店を出ようとして…会計がまだ済んでいないことに気付いて引き返した。

「お代はいらないよ」

店のマスターは、ミントが注文した、全く減っていないグラスの中身を流しに捨てながら言った。

「…ただ、君みたいな子はもうここには来ない方がいいかもしれないな」

そして、ミントは今度こそ飛び出すように店を後にした。

それからのことはよく覚えていない。
気付けば宿に入っていた。

もう一度冒険者ギルドに戻って、書き殴るようにしてメンバー募集の紙を掲示板に貼り付けたことだけはかろうじて覚えている。

しかし、どうやってここに辿り着いたのかは覚えていなかった。

「…疲れたな」

ちょっとだけ横になろうと思い、着替えもそこそこにベッドの上に突っ伏した。

体が重い。
村にいた時は一日中山を歩いて剣を振り回しても平気だったのに。

寝返りを打つと、机に置いた『エトリアの王冠』が目に入った。

エトリアの迷宮を踏破した証。
偉大なる功績の証明。
この世に二つとない、紛れもなく本物の。

でも、それを持つ私は。

「偽物…」

わかっていた。
そんなことは初めからわかりきっていた。

迷宮を踏破するどころか迷宮に入ったことすらない。
それでCygnetの一員を名乗るなどおこがましいなんてことは自分自身が一番よく知っていた。

「みんな、がっかりしてたな…」

それでも、酒場の冒険者達から向けられる視線は、無垢でいたいけな少女には堪えた。
目の前にいるのが歴戦の冒険者などではなく、どこにでもいるただの小娘だとわかった時の、あの瞳。
そのへんの石ころを見るような、虫けらを見るような、無機質で温度のない目…。

「う、………」

心臓が跳ねる。
胸が引きつり、指先から全身が冷えていく。
目の前が暗くなり、だんだんと平衡感覚がなくなっていく。

(駄目!こんなことでいちいちしょげてたらルゥさん達に笑われちゃう)

何が悪かったかというと、運と巡り合わせが悪かったと言う他ない。
夢や希望を持って冒険に挑む冒険者も多い中、そうしたものを失い、心が擦り切れた者達のたまり場に足を踏み入れたのは不運以外の何物でもなかった。

ミントに足りなかった点を挙げるならば、伝説とさえ呼ばれるようになったギルドの名を継ぐことへの覚悟か。
人々に期待されることがわかっているならば、それと同じだけ失望される可能性を考慮して然るべきだったのだ。

(少しだけ休んだら、また街に出かけよう…)

今日やったことと言えば冒険者ギルドと酒場に行ったぐらいだ。
まだ日は沈んでいない。
今後のためにも、暗くなる前に近くを見て回って少しでも街に慣れておきたかった。
酒場にいた入れ墨の男からは故郷に帰ることを勧められたが、かといってはいわかりましたと素直に従うほど従順ではなかった。

(そもそも、あの人にルゥさん達の何がわかるっていうんだ)

エトリアに滞在していたというあの男は、Cygnetが頭角を表す前からその存在を知っているような口ぶりではあった。
しかし、ミントは1年の間とはいえ当の本人たちと毎日一緒に過ごしていた。

それこそ家族のように。
仲の良い姉妹のように。

良いところだけでなくだらしないところも知っている。

ルゥは放っておいたらすぐに部屋を散らかしてしまうことも、レンリの寝相が悪いことも、トルテが泣き虫なことも、シトラがお風呂に入る時間が長いことも、大人びて見えるアサギがその実一番精神的に幼く童(わらべ)のように無邪気で子供っぽい一面があることも知っている。

彼らと過ごした時間はミントにとって大切な宝物だ。
その彼らがまともじゃないとか、普通じゃないとか言う第三者の意見には耳を傾けるつもりはなかった。

(とにかく、一緒に冒険してくれる仲間を早く見つけない…と…)

温かく柔らかなベッドに沈んでいき、やがてミントは意識を失った。
長旅の疲れが溜まっていたことや、ハイ・ラガード公国に入る直前、路銀を節約するために夜通し歩き続けてきたこともあり、泥のような眠りに落ちた。
夢を見ることもない、深く重たい眠り。

結局、日が沈んでからも一度も目を覚ますことなく、そのまま夜が更けるまで死んだように眠り続けた。

こうして、ミントの冒険者としての1日目は終わったのだった。


始まりの朝

翌日。
皇帝ノ月二日。

すっかりと寝過ごしてしまったミントは、辺りが明るくなっていることに気付くと、ベッドから跳ね起きた。

「嘘!?もう朝!?」

急いで顔を洗い、身だしなみを整える。
それからすぐに部屋を出て、階下を降りた先にある食堂に向かい、用意されてあった朝食をかきこんだ。
ひどくお腹が空いていて、食べながら、そういえば昨日は何も口にしていなかったことを思い出した。

食欲はある。
睡眠もたっぷりと摂って体調も万全だ。
窓からは柔らかな日差しが射し込み、小鳥が歌うようにさえずっている。

(昨日はあんまりうまくいかなかったけど、今日は何かいいことが起きそうな気がする!)

辛いことは寝て忘れ、すぐにポジティブに切り替えられるところがミントの長所であり美徳だった。

爽やかな冬晴れの朝。
美味しいご飯をお腹いっぱい食べて幸せな気分になったミントは手早く身支度を済ませると、宿を出て冒険者ギルドへと向かった。

早朝5時過ぎ。
昨日訪れた時よりも早い時間帯で、ロビーは人もまばらだった。

掲示板に貼り付けたメンバー募集の紙を確認する。応募があれば何かしらの書き込みがあるはずだ。一度話を聞きたいとか、どこどこにて待つとか、待ち合わせ場所を書いたりしてその後落ち合うのが通常の流れだった。

「あれ…ない…」

しかし、ミントが貼り付けた紙は昨日と同じまま、自分が書いた募集声明が記されているのみで、その他には何も書かれていなかった。

思わず周りにある用紙を確認する。
採集のためレンジャーを一人募集する紙には、既に何人かの書き込みがあり、その後も文字のやり取りが綴られていた。他も同様だ。
とはいえ、ミントと同じように誰からの書き込みのないものもちらほらとあった。

「いっぱいあるから目につきにくいのかな…」

掲示板の大きさは昨日酒場で見たものより格段に広く、それに貼り付けられた羊皮紙の数も遥かに多かった。
酒場のマスターがあまり勧めないと言っていたのはこれが理由だろう。
壁一面に隙間なく埋め尽くされた無数の紙は、まるで世界樹に生い茂る葉を真っ白に染め上げたかのようだった。
中にはどうにか目立とうと文字を大きくしたり色を塗ったり大言壮語で言葉を飾ろうと涙ぐましい努力をしているものも少なくない。対してミントが書いたものはいたって普通だ。
エトリアの伝説のギルドといっても特別扱いは何もなく、貼り付けられる場所も用紙の大きさも定型で他のものと何も違いはなかった。

(こんなんじゃいつまで経っても迷宮に入れないよ…)

がっくりとミントがうなだれていると、その近くで、同じように掲示板を眺める冒険者に声をかける姿があった。

「なあ、あんた!強そうな見た目してるな!入るギルドを探してるのかい?」
「ん?ああ…傭兵をやってたんだが、近頃はどこも平和でね。冒険者になりゃ稼げるって聞いたんでこの国に来たんだ」
「傭兵か!そりゃあいい!ちょうど頼りになる前衛が欲しいと思ってたところなんだ!見たところソードマンか?それともパラディン?」
「パラディンだ」
「ますますいいな!オレはダークハンターだ。よかったらうちのギルドに入らないか?オレの他にも後衛があと3人いる。あんたが加わりゃ5人揃うんだ。もちろん、報酬ははずむぜ!」
「ふーん…詳しく話を聞かせてもらおうか」

そうして二人は言葉を交わしながら去っていった。
きっとこのまま酒場にでも繰り出すのだろう。

(そっか!掲示板を見てる人は、メンバーを集めようとしてるか、どこかのギルドに入ろうとしてる人たちなんだ!)

ならば直接声をかけていったほうが手っ取り早いと思うのは道理だった。

掲示板の前には今も思案顔で立っている冒険者達が何人かいる。

ミントは心の中で『よし!』と気合を入れると、先程見たやり取りに倣って、近くにいた者達から順番に声をかけていくことにした。

「こんにちは!お姉さん、もしかして入るギルドを探してたりしてますか?」
「…誰、アンタ」
「あ、申し遅れました!私、ミントって言います!ソードマンです!一緒に冒険してくれる仲間を探していて…」
「ミント?ああ、あんたが…」
「え?」
「いえ、こっちの話。それで、仲間を探してるって?」
「はい!」
「私、もっと強そうな人と組みたいの。悪いけど他をあたってくれるかしら」
「あ…そ、そうですか。すみません、お話してくれてありがとうございました」
「…ふん」

アルケミストかドクトルマグスと思しき女性は髪をかきあげると、つまらなそうにその場を去っていった。

(うう、失敗しちゃった…。でも、まだまだこれから!)

出だしからすげなく断られても、ミントはめげなかった。
目に付いた者から次々と声をかけていった。

「こんにちは!」

「一緒に冒険してくれる仲間を探していて…」

「職業不問です!冒険が好きな方なら誰でも!」

「お話だけでも…」

「ソードマンです!よろしくお願いします!」

だが、ミントの奮闘むなしく、仲間になってくれる者は現れなかった。

「悪ぃな。俺は集める方なんでね。逆にあんたがこっちのギルドに入るなら構わないんだが…」

「メディックは引く手あまたなんだ。もっと良い条件のあるところを探すよ」

「冒険を楽しみたい?遊びじゃないんだ。お断りさせてもらう」

「無理」

「神は言っている。あなたとは組むべきではないと―――」

昨日の反省を生かし、ギルド名は伏せた上で勧誘をし続けたが、結果は振るわなかった。
そして、ギルド名とは結局のところ伏せ続けられるものではない。

「実は私のギルド、Cygnetで―――」
「ええっ!?」
「あ、といっても色々と事情があって今は私一人なんだけど…」
「いやいや!そんな、ボクなんかが畏れ多いよ!ごめんなさい!やっぱりさっきの話はなかったことで!失礼します!」
「あ!ちょっと!」

中にはミントと同じ希望に満ちた新人冒険者もいるにはいたが、Cygnetの名を聞くとかえって萎縮してしまい、詳しい説明をする間もなく去って行ってしまった。

そして、ロビーにだんだんと人が集まってきて掲示板の前に人だかりが出来てくると、ミントは撤収を余儀なくされた。

「ちょっと君」
「はい?」
「熱心なのは良いことだが、他に掲示板を利用したい人の邪魔になってしまうよ。募集の紙を貼っているなら大人しく待っていなさい」
「あ…す、すみません」

ついにはギルド職員に注意を受けてしまい、慌ててその場を離れた。

(ううん。仲間を見つけるのがこんなに大変だなんて)

ミントは想像と現実とのギャップに早くも苦戦していた。

仕方ない。
待っている間、街を歩いて見て回ろう。
武器や防具を買う場所、治療をしてくれる場所は今のうちに覚えておいたほうが良い。

「…それか、ちょっとだけ迷宮に入ってみようかな」

せっかく遠路はるばるハイ・ラガード公国まで訪れたのだ。
目と鼻の先にある世界樹の迷宮とはどんなところなのか、ひと目見たいと思うのが人情というもの。
そうでなくとも、ミントにとっては憧れの晴舞台だ。
本当は今すぐにでも冒険を始めたいという気持ちを、いよいよもって抑えられなくなってきていた。

「一人で迷宮に入るのは危ないって言うけど、入口のあたりならたぶん大丈夫だよね」

いざとなったらすぐに街に戻ればいいし。
ルゥさんたちも駆け出しの頃はそうやって少しずつ力を付けていったって言ってたもんね。

そうやってうんうんと自分を納得させながら、ミントは迷宮に入る準備を整えるべく街へと繰り出すことにした。

ミントは今、本人に一切の自覚がないまま、無意識に焦りはじめていた。

冒険者ギルドを後にしたミントは、ギルドの職員に予め尋ねておすすめされた店に訪れていた。

シトト交易所。
ここでは、武器や防具、冒険に必要不可欠なアイテムを一通り揃えているだけでなく、迷宮で手に入れた素材を売却することも出来ると言う。
これらのことが一つ所でまとめて出来るのは非常に有り難い話で、冒険者から重宝されるに足る十分な理由となっていた。

店の雰囲気も良く、ミントは中に入ってすぐに気に入った。
店番が自分と同じくらいの年頃の女の子で、話す素振りや仕草もどこか親近感の湧く子だったということもあるかもしれない。
…もっとも、Cygnetの大ファンだという彼女のきらきらとした瞳で見つめられたミントは、ただ苦笑いをすることしか出来なかったのだけれど。

それから、ミントは自分の財布と相談しながら必要な物を買い揃えた。

手持ちの資金は495エン。
このうち490エンを支払い、バックラーとメディカ21個を購入した。
辛うじて残ったのはたったの5エン。
昨日と同じ宿代の分だけだった。

(冒険者心得その1、『ケチケチしない』!)

その日暮らしの冒険者は宵越しの金を持たない…というのは通説ではあるが、それとは別にミントはルゥから教わったことを思い出していた。

『迷宮に入る前には十分に準備しておくこと!特にメディカはたくさんあったほうが良いよ!死んじゃったら元も子もないからね。お金は魔物を倒して素材を売れば返ってくるからだいじょーぶだいじょーぶ!』
『初めの頃はルゥも癒しの子守唄を歌えなかったもんねー。というか、バードの唄を全然歌えなかったんだっけ。道中よく歌ってくれたけど、それはただの歌で実はあんまり意味がなくって…』
『バラすな!!!』

茶々を入れるシトラをルゥがキーッと怒って追いかけ始めたところで回想を止める。
本当はダガーをククリナイフに買い替えるか悩んだが、今回は見送った。
おそらくは初めての戦闘となる。
それなら使い慣れた得物の方が良いだろうし、その分メディカを買えるのでそっちの方が良いと思った結果だった。

(ダガーにツイード…昨日の人からは貧相な装備って言われちゃったし、今日も遠回しに『弱そう』って言われた気もするけど…いいもん。使いやすいんだもん)

でも、そんなだから仲間になるのを断られちゃうのかなあ。
もっと見た目に気を遣った方がいいのかな…。

鏡の前で上半身をひねらせたりして身なりを確認する。
バックラーを購入したことで多少は泊が付いた気もするが、ミントには鏡の中の自分がいかにもな迷宮初心者に見えて仕方なかった。
事実そうなので仕方ないのだが。

「あとは…迷宮に入るためにはまず偉い人から許可をもらわないといけないんだっけ」

あの全身甲冑を身に纏ったギルド長がそんなことを言っていた気がした。

それからミントは、財布が軽くなった代わりに重くなった背嚢を担ぎながら公宮へと向かうことにするのだった。



ラガード公宮。
この地を治める大公が住まうこの国の中心地。
田舎も田舎、山奥の小さな村で育ってきたミントにとっては縁もゆかりも無い、きっと貴き人たちが暮らしている場所。
冒険者ギルドだってずいぶんと広くて大きかったけれど、それよりも更に立派で遥かに大きい。
辺りは荘厳で静謐な空気に満ちており、周囲を警備している物言わぬ兵士達が一層の緊張感を高めている。

ミントはそこを訪れ、この国の政を司る按擦大臣と名乗る一人の老人と向き合っていた。
住民の管理から公共施設の維持、世界樹の迷宮へ挑む冒険者たちの管理に至るまで携わっているらしい。

「ふむ…今の名は知らぬが、そなた、かつてCygnetと名乗ったギルドの者じゃな?聞きしに勝る風格、さすがは樹海の英雄よ。まことに感服の限りじゃ」
「あはは…」

ミントはもう否定するのを諦めた。
そして『このおじいちゃん大丈夫かな?』とちょっと思った。

「断っておかねばならんが、この国で世界樹の迷宮へ挑むには公国民となる必要があるのじゃ。公国民となる為には、この大公宮から出題する試練を乗り越えてもらわねばならん。試練を受ける覚悟はあるのじゃな?」
「はい!」
「…ふむ、それでこそ冒険者じゃ。そなたらが育ち、強くなることこそ我らにとっても好ましい」

ミントが力強い返事をすると、目の前の老人は満足げにうなずいた。

「…さて、ではそなたに試練を出す。樹海の探索を始めたくば、まずはこれを受理するのじゃ」
「試練…それはいったいどういう内容なんですか?」
「迷宮の1階で地図を作成するというものじゃ」

曰く、世界樹の迷宮を歩く為には地図を作成するという技術の習得が必須であるという。
まずもってそれが樹海において最低限必要な能力なのだろう。
エトリアでもギルドを立ち上げたばかりの新人冒険者に対しては同様の試練を課していると聞いたことがある。

「迷宮の1階に行って公国の衛士に会って話を聞くがよい。そこで出される試練を無事乗り越えて街に戻ってきたとき…そなたを公国の民と認め世界樹の迷宮に挑む冒険者と認定しよう」

そう言って老人は『樹海の地図』をミントへ手渡した。
今はまだ何も書かれていない、白紙の地図。
これを自分たちの手で完成させ、やがて天空の城に至るのが今回の冒険の目的だ。

「あの…ちなみに、いつまでに試練を合格しなきゃいけないとかありますか?」
「ミッションの達成まで特に期間の指定などは無い。そなたのペースで探索を進めてもらって構わぬよ、無理はすべからずじゃ。試験となるミッションを受領すれば樹海への出入りを許す旨衛士に伝えよう」

老人の答えを聞いたミントはほっとした。
今日のところはまだ迷宮がどんなところか見てみるだけのつもりだったから。
いつでも街に戻ってこれるなら一人でも安心して入れるだろう。

「大公宮の窓口はいつでも開放されておるのでな、好きな時に訪れて頂いて構わぬぞ」

厳かな雰囲気のある場所だけれど、冒険者に対しては結構フランクに接してくれるらしい。

柔らかく微笑む老人にミントはぺこりと会釈をすると、その場を後にした。



公宮を出たミントは、うきうきとした足取りで公国中央市街を歩き、迷宮入口へと向かった。

自然と速歩きになり、だんだんと歩幅が広くなっていく。

―――いよいよだ。
―――ついにこの時が来たんだ。
子供の頃から憧れて、焦がれ続けてきた冒険に身を投じる時が。

装備は買い揃えた。
偉い人から許可ももらった。
仲間…はまだ出来てないけど、とにかく、迷宮に入る準備は整った。

「いざゆかん!世界樹の迷宮へ!」

そして、小さな少女の冒険が、ついに始まろうとしていた。

第一階層、古跡の樹海。
1F、天に挑みし冒険者が歩みを進める場所。

見る者を圧倒する景色。
並び立つ巨大な木々は遥か頭上に新緑の葉を広げ木漏れ日を落とす。
ハイ・ラガードの街を抱くように枝を広げた巨大な守り樹、"世界樹"の中に存在する樹海。

―――世界樹の迷宮。

「すごい…」

ミントの故郷の山の緑だって充分に綺麗だったけれど、それとは比べ物にならなかった。
碧々とした葉の一つ一つや色とりどりの花々が鮮やかで瑞々しく、それがどこまでも遠く続いている。
空気は明るく澄んでいて、地面は苔の絨毯に覆われふかふかと柔らかい。
その中に点在する石造りの古代の遺跡は木の根や蔦が絡まり、碧く苔むした様は瓦礫ですら儚く美しかった。


そうしてミントが眼の前の景色に目を奪われていると、一人の衛士が姿を現した。

「公国に新しい冒険者が訪れたという報告を受けている。ようこそ、世界樹の迷宮へ!」

目の前に現れた一人の衛士はミントの行く手をさえぎるように立ち塞がる。

「私は、公国直属の衛士隊の者だ。君たち冒険者のミッションの手伝いを任務としている」

衛士はそう告げると、ミントを値踏みするよう眺めながら口を開く。

「では早速だが、公国民となるための第一の試練に向かうとしようか?」

尋ねてくる衛士に、ミントは挙手をして発言を求めた。

「あの、すみません。私、今日のところはこのあたりで何回か魔物と戦ってみようと思うのですが」

言外に、今日は試練に挑むつもりはないことを伝える。
が、目の前の衛士は安心してほしいとばかりに大きく首を振った。

「任務は簡単だ。今から私が君を樹海のとある地点まで誘導していく。君はその場所から、ここ…即ち街の入口まで帰ってくれば任務終了、となる」
「え?あの、ですから」
「さあ、ついてきたまえ。世界樹の迷宮での冒険の始まりだ」
「え?え?」

そしてミントは、右も左もわからぬ樹海の中、あれよあれよと有無を言わさずひきずられるようにして森の奥まで連れて行かれた。

いくつもの道を曲がり、すっかり道順も忘れた頃にやっと衛士の足は止まる。

「…この辺りでいいだろう。さあ、これからが君のミッションの始まりだ」

衛士はそう告げると、不安そうに辺りを見ているミントを励ますように言葉を続ける。

「ここから街までの道のりを地図に描いて帰るのが任務となる」

そう言うと、衛士はミントの持つまだ新しい地図を指差す。

「初めに、簡単にその地図の描き方を教えておこう」
「あの、それは知っているので大丈夫ですけど、でも…」
「では、これで話はお終いだ。私は一足先に戻って、街への入口で待っている。君が無事、地図を描いてたどり着くのを楽しみに待っているよ」

そう告げると、衛士はその場から歩き去っていった。

後に残されたのは、広大な樹海の中、一人ぽつんと立っているミントの姿だけ。

人の命を狙い、襲いかかってくる魔物達の棲む森の奥まで連れてこられて、置き去りにされた少女の姿が一人残されただけ。


「…………………え?」


肺腑から絞り出された呆然とした声は、さわさわとした葉擦れの音に紛れ、すぐに消えて無くなった。




―――こうして、唐突に。
最初の試練の幕が切って落とされた。








→(世界樹リプレイ日記Ⅱ(最初の試練)へ続く)


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