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2003年 オリックス・ブルーウェーブ(6位)

この年のパ・リーグは福岡ダイエーホークスのダイハード打線が席捲。さらに大阪近鉄バファローズのいてまえ打線も依然強力でした。
そんな中、強力打線の餌食となりプロ野球最悪のシーズン927失点を喫したチームがありました。当時暗黒時代に入りつつあったオリックス・ブルーウェーブです。


シーズン開幕前

2002年シーズンは39年ぶりの最下位。1990年代後半の栄光はどこへやら2000年代に入るとチームは低迷していました。そもそもイチローや田口壮がメジャー挑戦で退団した影響で打線が弱く、この年最優秀防御率を獲得した金田政彦が防御率2.50で4勝しかできないという非常事態も起こります。
打撃陣の改善のために2003年のオリックスはロッテオリオンズなどで大活躍したレオン・リーを打撃コーチに、外国人もF.セギノール(覚醒前)を解雇し、ホセ・オーティズ、ルーズベルト・ブラウンを獲得。
極めつけはかつての守護神平井正史を放出し、中日から山﨑武司を獲得するトレードを敢行。平井は1999年以降5,6登板ほどに終わっていました。
さらに吉井理人がMLBから復帰。さらにMLBで活躍したマック鈴木を逆輸入ドラフトという形で2位で獲得。Aクラス返り咲きへ万全の補強をしました。

マック鈴木
村上雅則、野茂英雄に次ぐ3人目の日本人メジャーリーガー。
ちなみにMLBでのキャリアハイは00年の8勝。

スタッツ

野手陣

2003年 オリックス・ブルーウェーブ 野手陣

打線を見るとクリーンアップが大奮闘。谷佳知が.350で21HR、さらに189安打で最多安打のタイトルを獲得。ブラウンも打率3割越えの28HR、オーティズも.255で33HRと大暴れ。トレード加入の山﨑武司も低打率ながら22HRと破壊力はありました。上位打線の出塁率(塩谷、大島、谷)もとても良いですし、全体としていいように見えますが、先ほども言ったようにこの年は超打高。チーム打率はダイエーに次ぐ.276も得点数は652とリーグ5位と伸び悩みます。また若手でいうと25歳の後藤光尊、24歳の平野恵一とこれからを担う有望な若手も多かったです。

投手陣

2003年 オリックス・ブルーウェーブ 投手陣

補強をした投手陣ですが現有戦力のエース・ユウキ、抑えの大久保勝信、山口和男などの主力投手陣が一度も投げられずにシーズン終了。
左のエース格である金田政彦、具が度重なる離脱、怪我から復活を目指す川越英隆も怪我をしてしまいます。そうなると投手陣は完全に崩壊。即戦力期待のマック鈴木は29登板でわずか4勝、防御率7.06、吉井理人も開幕投手を務めましたが24登板でわずか2勝、防御率6.51と頼みの綱は完全に切れてしまいました。ドラフト自由獲得枠で獲得した加藤大輔が9Sと一定の活躍のしましたがそれでも43登板で防御率は5.17でした。
チーム防御率が5.95と圧倒的最下位。927失点を喫してしまいました。またこの年はダイエーに年間28試合で242失点と完全にカモにされました。8/1には1-29と衝撃的な大敗をしてしまいます(サムネの画像)。
実はこの年トレードで中日に放出した平井正史が先発転向で12勝を挙げるという大活躍。山﨑武司の活躍ももちろん素晴らしいとは思いますが、この投手崩壊を見ると(たらればですが)平井放出は悪手だったんじゃないかなと思えてしまいます。

首脳陣の迷走

2003年のオリックスは開幕から低迷。そしてなんと開幕から20試合目(当時のオリックスの成績は7勝12敗1分)にして石毛宏典監督が解任。
ここらへんは石毛がフロント陣と揉めており、例えば石毛はくじで打線決めたり、フロントの肝いりで獲得したオーティズ、ブラウンを2軍で干したりとフロントに背くような行動を連発。この軋轢の中で解任されたものだと考えられます。
後任にはレオン・リー打撃コーチが昇格します。
レオン監督は守備重視から攻撃重視の野球にシフトチェンジ。しかし攻撃性に全振りした結果守備が大崩壊。オーティズ(二塁)が24失策、後藤(遊撃)が18失策、平野も12失策、また普通エラーは少なめな外野でも谷が11失策、ブラウンが12失策とチームで132失策をしてしまいます。これは2000年以降のプロ野球で最悪のエラー数です。
当然チームの調子が良くなるはずもなく、5月は5勝16敗、6月は6勝15敗、7月は奇跡の勝ち越しも8月は4勝19敗1分と1ヶ月で借金15を作る借金メーカーと化したチームは二桁失点で敗戦した試合が23試合という完全にバッピ状態になりますが、いかんせん打線も得点力があるものだから馬鹿試合が連発。
二桁得点をするけど二桁失点もするというあまりにも(いろんな意味で)破壊力があるチームとなってしまいました。
結局シーズンは借金40の48勝88敗4分で断トツ最下位。レオン監督代行は記者の質問に対して流暢な日本語で「信じられない。聞きたくない嫌なレコードだ」と語り、この年をもって退任することになりました。

レオン・リー監督

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