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2003年 福岡ダイエーホークス(優勝・日本一)

プロ野球で抜群の得点力を記録した打線には愛称がついたりします。
例えば1998年の横浜ベイスターズのマシンガン打線、1996年の広島東洋カープのビッグレッドマシン打線などです。
そんな中2003年の福岡ダイエーホークスの打線はとてつもない破壊力を持っていました。822得点、打率は3割近くになり、チームOPSは8割台を記録。2000年代のプロ野球において屈指の打線でした。今回は2003年の福岡ダイエーホークスについてみていきましょう。


ミレニアム以来のV奪還へ!

1999年にダイエーホークスとして初の優勝を達成。2000年も優勝に2連覇を達成したホークスは01年02年もAクラスには入っていました。
それを支えたのは90年代のドラフトでしょう。
野手で言うと93年に小久保裕紀を獲得したのを皮切りに94年は城島健司、96年は井口忠仁、松中信彦、柴原洋といった具合に獲得できており、その選手たちが脂に乗った頃と時同じくしてダイエーも強豪となっていきました。
一方野手だけではなく投手も揃えてきており93年は吉武真太郎、95年は斉藤和巳、96年は倉野信次、岡本克道、97年は永井智浩、篠原貴行、星野順治、01年の寺原隼人、杉内俊哉と投手もまた素晴らしい選手が揃っていました。

しかも02年のドラフトでは自由獲得枠を2枚使い早稲田大の和田毅、九州共立大の新垣渚を獲得。新垣といえば4年前のドラフトで沖縄水産高在学中にオリックスに1位指名されたもののダイエー行きを熱望していたためこれを拒否してまで大学進学。そしてついに念願のダイエー入りとなりました。

新垣(左)と和田(右)
2002年のドラフトというのは松坂世代の大学生がプロ入りする年で
この2人も即戦力として大いに期待された。

外国人では投手でブライアン・ナイトとマット・スクメルタを獲得。
野手では現存のP.バルデスに加えてブライアン・ネルソン、そして後述の小久保の離脱に伴いサードを守れる助っ人としてフリオ・ズレータが6月に入団しました。

暗雲 小久保裕紀今季絶望

オープン戦が行われていた3月6日、事件が起きます。
小久保裕紀がホーム突入の際、捕手と交錯。右膝の前十字靭帯断裂・内側靭帯損傷・外側半月板損傷・脛骨と大腿骨挫傷という重傷を負い、今季絶望となったのでした。
前年は.292 32HR 123打点とまぎれもなくチームの中軸だった小久保が1年出れないことはチームにもかなり影響していました。

野手陣

この打線なにが凄いって規定到達者6人が打率3割超え、そしてOPS.900超えが4人うち2人が1を超えているという化け物打線なんです。
打点で見ても井口が109、松中が123、城島が119、バルデスが104と100打点カルテットという史上初の偉業を成し遂げています。
打点数の増加を促進しているのが上位打線の出塁率と機動力でしょう。
村松有人、川﨑宗則、井口の盗塁数は合わせて104。井口は42盗塁で盗塁王を獲得しています。

ここでいきなり出てきた川﨑って誰だという話ですが、川﨑は高卒4年目の選手で前年はウエスタンで打率.367と無双。この年は鳥越裕介の故障もあり2番ショートで開幕スタメンを掴むと鳥越の復帰後は小久保が守っていたサードに回りました。するといきなり3割近い打率と高出塁率と30盗塁を達成。レギュラーの座を掴みました。

また途中入団のズレータは67試合で13HRを放つ大活躍を見せました。
少し残念なのが鳥越で.212は逆に目立ってしまっています。実は鳥越が.250打てばチーム打率は3割に乗ってたそうでもしも小久保がいて川﨑がショートで同じような成績を残していたらとんでもないことになってたなと思います。

フリオ・ズレータ

投手陣

強力打線を持ち合わせていると投手陣が疎かになりがちなのはあるあるですが、この年のダイエー投手陣は多くの指標で1位を記録しました。
なんといっても先発4本柱の存在が大きかったでしょう。
斉藤は防御率2.83、20勝を記録して最多勝と最高勝率(.870)を獲得。
杉内も10勝、新人として期待された和田と新垣は和田がいきなり14勝をマークして新人王を獲得。新垣はこの4本柱の中で1番高いK%を記録して8勝を記録しています。
この4本柱、全員FIPが100切っており、WARも全員3.0以上というとんでもない強さ。さらに斉藤が26歳、杉内と新垣が23歳、和田が22歳と全員まだ若い投手でした。
また20歳の寺原が7勝、新加入のナイトが6勝しています。
全体的に若い先発陣で向こう数年はこの強さが意地できそうな感じです。
救援陣でもリーグ救援防御率が2位と大崩れしなかった投手陣はリーグトップ。投打のバランスが良いですね。

斉藤和巳(右)
左は同じく20勝を挙げていた井川慶(阪神)

ダイハード打線爆発

開幕戦のロッテ戦ではバルデスの2ランで先制するとそのまま勝利。
4月は主に前年優勝の西武、いてまえ打線がまだまだ健在な近鉄と優勝争いを演じます。
チームが上昇気流に乗ったのは5月に入ってから。
14日の近鉄戦では先発ナイトが3回途中8失点とKO。普通ならこのまま負けるところですが、そのままじゃ終わらないのがダイハード打線です。6回に城島が2ランを放つと4点を追う9回にはまたしても城島が満塁から走者一掃の二塁打と大道の二塁打で同点に追いつくとネルソンのサヨナラタイムリーで決着。最大8点差を大逆転した試合でした。
この劇的勝利の波に乗ったダイエーは破竹の7連勝で一気に優勝争いで一歩リードします。

お得意様のオリックス

17日のオリックス戦では今季最多の21得点で11点を取られながらも圧勝。
いい機会なのでここで2003年全体でのオリックスとのカードについて語りましょう。
この年のダイエーはオリックスに対し大量得点で勝つことが多く、例えば7月27日の試合では今季最多得点の21得点を上回る26点を取り勝利。
8月1日にはそれを上回る29得点を取り勝利。この試合3回までに23得点を取っていました。そして9月14日には20点を取って勝利するなど、この年20点以上取った試合は全部オリックス戦という暴れっぷりでした。
当時のオリックスは投手陣が大崩壊を起こしており、守備も平成以降歴代ワーストでとにかくノーガード戦法で戦っていましたが、ダイハード打線ほど破壊力のある打線だとその全てを燃やしつくされてしまったというわけです。

7月1日の近鉄戦では村松がサイクルヒットを達成。
オールスターには村松、井口、松中、城島、大道、杉内、和田、篠原が選出されました。
8月17日の近鉄戦で引き分けるもここでM30が点灯。
以降のダイエーは勝率5割で推移しますが、9月30日のロッテ戦で18安打で打ち勝ち、壮絶な打ち合いの末13-10で勝利。ついに2000年以来の優勝を決めたのでした。
シーズン最終戦の10月7日では斉藤がロッテ相手に勝利し20勝達成。
城島も捕手としてフルイニング出場も達成されました。

内弁慶シリーズ???

そんなダイハード打線擁するダイエーの日本シリーズでの相手は阪神でした。星野仙一監督率いる阪神はこの年18年ぶりの優勝を果たしており、その強さは2位中日に14.5ゲーム差をつけたというところからもわかると思います。こちらもリーグでNo.1の得点と打率でダイハード打線にも負けない強い打線でした。

第1戦はホーム福岡ドームでダイエー先発は斉藤、阪神先発は斉藤同様この年20勝をしている井川慶。
2回にダイエーが先制も、4回に逆転。しかし城島のHRで追いつくとバルデス、村松の連打で鳥越の犠牲フライで勝ち越します。
その後シーソーゲームの様相になったこの試合は9回にズレータがサヨナラタイムリーを放ち5-4で先勝しました。
第2戦はダイエーが杉内、阪神が伊良部秀輝が先発。
するとダイエーは早々と伊良部を捉え、3回まで5点を取り伊良部をKO。
その後もズレータ、バルデスの3ランHRなどで火のついたダイエー打線は止まらず最終的には13-0でダイエーが2勝します。


甲子園へ…

ダイエー強しか。舞台を甲子園に移した第3戦はダイエーが和田、阪神はT.ムーアが先発。
この試合はロースコア展開で、1-1でこのシリーズ初の延長に突入。
篠原がアリアスに四球、桧山進次郎に安打を打たれピンチを作ると、藤本敦士にサヨナラ犠飛を打たれ敗戦。
第4戦はダイエーがB.ナイト、阪神が井川が先発。
この試合はナイトの乱調から3点を失うと、やはりこの試合もシーソーゲームとなり、5-5でまた延長突入。
結局この試合はこのシリーズで抑えをしていた新垣が金本知憲にサヨナラHRを打たれ敗戦。2勝2敗と並ばれてしまいました。
第5戦はダイエーが斉藤、阪神が下柳剛の先発。
初回に阪神が先制するもすぐさまバルデスのポール直撃HRで逆転。
しかし6回に今岡・赤星のヒット、金本の四球で2アウト満塁となると、桧山に逆転タイムリーを打たれ勝負あり。
なんとダイエーは敵地甲子園で3連敗を喫し逆王手をかけられた状態になってしまったのです。

福岡ドームラスト2試合

第6戦はダイエーが杉内、阪神が前回登板大炎上した伊良部の先発で始まりました。
ダイエーは初回川崎のセーフティバントで出塁するとシリーズ通して不調だった井口の2ランHRで先制。3回もエラーの間に得点し伊良部をマウンドから降ろすことに成功しました。
その後はダイエーが主導権を握り、5-1で勝利。ダイエーは3勝3敗と最終決戦となる第7戦に望みを託します。

第7戦、日本一を賭けた試合、ダイエーは和田、阪神はムーアが先発。
ダイエーはチャンスを作り、松中の2点タイムリーで先制すると、3回には井口の2ラン、城島のソロHRでムーアを3回5失点とKO。和田は好投を続けて9回のマウンドに立つと、引退表明していた広澤克実にソロHRを打たれはしたもののラストバッターの沖原佳典を抑えてゲームセット。
ダイエーは1999年以来5年ぶりの日本一に輝いたのでした。
和田は新人の日本シリーズ胴上げ投手となり、日本シリーズMVPは杉内が受賞。優秀選手賞には井口と城島が選ばれました。

激震 小久保裕紀放出

こうして2003年の戦いを終えたダイエーでしたが、まさかの展開が待っていました。小久保裕紀の巨人への無償トレード放出です。

先ほども書いたように1年を棒に振るう大怪我をした小久保。しかし当初から小久保とフロントの関係は良いものではなく、球団への不信感が常にありました。極めつけは甲子園での試合を見に行ったフロント関係者から「今年は小久保がいなかったから優勝したんです」という話を人伝に聞いた小久保はチームに必要とされていないと思い放出を直訴。
その結果が無償トレードでの巨人移籍でした。
これには小久保を慕うチームメイトも猛反発。松中信彦は

「球団にふざけるな、と言いたい。どうして小久保さんをタダで巨人に出さなきゃいけないんですか。あんなにチームのために一生懸命やった人が簡単に放出されるなら、ぼくらだって同じ目に遭う。この球団は勝ちたくないんでしょうね。終わりですよ。ファンには申し訳ないけれど、翌年連覇したいという気が急激に薄れています」

と話し、他のチームメイトも「チームをまとめていたのは小久保さんだったんでチームにとっても大打撃(柴原洋)」、「今、頭の中が真っ白で何も考えられません。恥ずかしいです。とても日本一の球団がやることじゃない。選手としては侮辱されているとしか思えない(斉藤和巳)」、「普通じゃない(城島健司)」、「シーズン中何度も励ましてくれた。来年いないなんて信じられない(和田毅)」とそれぞれコメントを残し、監督である王も「チームが崩壊する」とまで発言していました。

チームは優勝旅行をボイコット、11月6日に中内功オーナーが球場に来たとき選手は中内に挨拶すらしなかったそうです。

フロントへの不信感が募る中、次のシーズンが始まろうとしていました。

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